前回(FILE No.342参照)はうどんとそばの博物館でしたが今回は美術館編です。
京都は歴史あるお寺や仏閣が多く、日本はおろか世界中から観光客が訪れる町ですが、まだ暑さも厳しい9月の日曜日、京都市内の美術館に行って来ました。
えっ?また大松美術館(FILE No.318参照)がやって来たの? いえいえ、違います。何を隠そう京都には
プロレス美術館(http://pro-wrestling-museum.jimdo.com/)があるのです!
世界でもまず例のないこの美術館がオープンしたのは今から13年前(奇しくも私が社長になったのと同じ年です)、京都市左京区在住の熱狂的プロレスマニア、湯沢利彦さんが収集した数々のプロレス関連のコレクションを多くの人に公開しようと、自宅の二階の一室をそのまま美術館としたのでした。
過去に何度もテレビやメディアで紹介され、今や京都の観光案内にも掲載されているというのですからまさに筋金入り、立派の一言に尽きます。
京都への観光旅行も兼ねて地方から訪ねて来るファンも多いそうですが、私もいつか行こうとずっと思っていながら、なまじ距離が近いといつでも行けるとなかなか行動に移せず今日になってしまったのでした。
美術館と言っても何しろ普通の家、湯沢さんのご自宅ですから訪問は完全な事前予約制です。
ところで何故プロレス博物館じゃなくて、美術館なの?と疑問に感じる方もいるかもしれません。
プロレスは普通の格闘競技やスポーツとは違う、言わば格闘芸術、それならばプロレスに関する貴重な品々は美術品と呼ぶに相応しいという湯沢さんの信念からあえて美術館を名乗っているのです。
そう言えば武藤敬司は自分の試合を「作品」と表現しますからね。
プロレスは本当にすばらしい芸術ですよ!
訪ねる二週間ほど前に湯沢さんに予約の連絡をしたら、気さくにOKして下さいました。
当日、京都駅からバスに約40分ぐらい乗っていたでしょうか、目的の停留所で降りて住所を頼りにプロレス美術館というか湯沢家を探すのですが見つかりません。
何しろ番地が出ていない家が多いのです。
そのうち約束の時間が迫ってきたので何度か電話を入れたのですがなかなか繋がらず焦って来ました。ようやく4回目で繋り助かったと思ったらまだ前の見学者が帰っていなかったそうです。
因みにこの日は私を含め都合3人の来客があったとの事、指定された近所の図書館で涼みながら10分ほど待っていると湯沢館長が迎えに来て下さいました。
初対面ですが、前述のようにテレビにも何度も登場されていますし、さらに遡れば私が東京に住んでいた時代からプロレス会場で湯沢さんの事は何度も目撃していましたのであまり初めてという気がしませんでした。
到着した湯沢家の2階に直接上がれる階段をのぼると部屋のドアの前には「プロレス美術館 憩いのリング」の小さな看板が…。
扉を開けたら6畳一間の部屋に特製のミニリングが設置されており、凄まじいプロレスグッズのお宝品が並んでいました。
勿論、この部屋に展示してあるのはコレクションのほんの一部で家中の押し入れや物置まで貴重品だらけとの事、私んちや実家もかなりのものですがこりゃあスケールが違うわ、負けました!
昭和40〜50年代後半からの雑誌や東京スポーツも多数保有され、家族に怒られて整理整頓に勤しんでいるそうですが、整理していたら同じ本が最高7冊あったという話には笑えました(笑)。
同じパンフレットでもスタンプで押されている対戦カードが違っていたり、これは保存用、これは交換用、これは読書用などと自然に増えていくんですよね〜。
湯沢さんは私より1つ年上、プロレスを見始めたのもほぼ同時期(もっとも私の場合、途中ブランクがありますが)という事もあって自然に昔のマニアックな話となりました。
1983年6月、滋賀県大津市で当時NWA世界王者リック・フレアーと超獣ブルーザー・ブロディ(FILE No.180,255参照)のシングルマッチが行われました。
ノー・テレビの会場で行われた試合は両者大流血で大荒れのノーコンテスト(無効試合)に終わったのですが、当時月刊だったゴング誌はこの試合をNWA世界王座を賭けたタイトルマッチ、そしてプロレス誌はノンタイトル戦として報じていたのです。
残念ながら東京スポーツはチェックできなかったのですが、果たしてこの試合はタイトルマッチだったのか?それともノンタイトルか?
インターネットなど情報が発達した今では考えられませんが当時は調べる術もなく(今思えば雑誌社に電話でもすれば良かったのですが)疑問はずっと私の中に残っていました。
その話をすると何と湯沢さんは当時、会場でこの試合を観戦していたのです!
そして間違いなくノンタイトルの特別試合で翌日の東スポにもそのように報道されていたと貴重な証言して下さいました。
いや〜、30年来の謎から解放されてすっきりしました。
この日は武藤敬司の新団体、WRESTLE-1の旗揚げ戦の日で、途中からテレビの生中継を観ながらマニアックな談義は続きました。
私も普段このような話をする機会がなかなか無いものですから、すっかり盛り上がってしまい気がつくと2時間半も長居してしまいました。
湯沢さんには「大体プロレスマニアという人種は、全てにおいてプロレスを優先するので人付き合いも悪く会社でも出世しないし社会からドロップアウトするのに、田宮さんは立派に社長をされているんですから凄いですね。」と言って頂きました。
いえいえ、私もかなりドロップアウト寸前です(笑)。
湯沢さんの現在の夢の一つが、人生の集大成として現在カナダ在住のインドの猛虎、タイガー・ジェット・シンに会いに行く事だそうです。
夢はいつか叶うもの、その時は私も是非同行させて頂きますので!
本当にシンがお元気な間に実現したいですよ。ご本人の口から「新宿伊勢丹前事件」(FILE No.247〜251参照)の真相を聞きたいものです。
そう言えば先日、某新聞の片隅に小さなコラム記事で「インドの虎」というタイトルを見つけてギョッとしました。
読んでみたら筆者の友人にインドのIT業界で成功し「インドの虎」と呼ばれている人がいるというような話で、シンとは全く関係ありませんでした(苦笑)。
インドの狂える虎はシン先生だっつ〜の!!
再会を誓い湯沢さんにお礼を言って大阪に帰りましたが、人間の心を揺さぶり影響を与えるものを文化と言うならプロレスは立派な美術、芸術であり文化そのものです。
将来は是非プロレス美術館も財団法人化でもして後世まで伝えて欲しいものですね。
そうして私が死ぬ時にはマイ・コレクションも展示して貰いたいものです。
(プロレス美術館の模様はこちらをクリック)
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