夏頃から、BS放送で懐かしい「必殺仕事人」シリーズの再放送をやっていて毎日楽しんでいました。
大のテレビっ子だった私ですが、何故か時代劇にはあまり縁がありませんでした。(我が親父殿は「柳生一族の陰謀」が好きでした)
歴史的背景を認識していないと楽しめないという先入観があって、子供の頃から勉強大嫌いな私にはとっつきにくかったのかもしれませんが、金曜日夜10時の「必殺仕事人」だけは何故かよく観ていました。
1980年代、金曜の夜は私にとって至福の時間、8時からは勿論「ワールドプロレスリング」、9時からは現代版の仕事人とも言える「ザ・ハングマン」、そして10時に「必殺仕事人」、全てテレビ朝日系列なので一度もチャンネルを替える必要なし(笑)、まさしくゴールデンタイムという言葉に相応しい黄金の時間帯でした。
「仕事人」の再放送が終わってしまったので今は7〜8年前に購入した「ザ・ハングマン」(一作目)のDVDを久々に第一話から観直しております。
いや〜、「ハングマン」はIが最高ですわ、「顔を変え指紋を消し戸籍を抹消して死人となった」という設定と独特のハードボイルドで暗い展開に痺れました。
シリーズは計7作目まで作られましたが、後期は完全にコメディタッチになってちょっと耐えられませんでしたから。ザ・ハングマンIよ永遠に…。
懐かしの80年代を振り返りノスタルジーに浸っているとキリがないので、そろそろ本題に入りましょう。
30年ぶりに「必殺仕事人」の再放送を観ていて本放送の頃は全く意識していなかったのですが、ほぼ毎回のように劇中にうどん屋や蕎麦屋が出て来る事にカルチャー・ショックを受けました。
え〜っ、うどんやそばってこんな大昔(江戸時代)からあったの!?という新鮮な驚きです。
お店だけでなく屋台のうどん屋や蕎麦屋まで登場し、藤田まこと(故人)演じる中村主水(愛称は八丁堀の旦那!)がしょっちゅう油を売っているのです。
電気もガスも無い時代ですから当然火鉢に炭を使ってお湯を沸かして営業していたのでしょうが、物知りの流通システム研究会事務局の樋口さんにこの話をすると「赤穂浪士」の中で討ち入りの前夜に皆で蕎麦をすするシーンがあるそうです。やはりこんなに古くからからうどんやそばなどの麺類は庶民の間に定着していたのですね。
色々と調べていたらそばの名所、信州は長野県にそば博物館がある事がわかりました。
それもホクト産業さんの計らいで毎年宿泊させて頂いている保養所にほど近い場所じゃないですか!
タイミング良く今年も9月にお招き頂いたので(詳報は近日)、集合時間の前に見学に行って来ました。
「戸隠そば博物館とんくるりん」(http://www.togakushi-tq.jp/)、何で「とんくるりん」という名前なのか聞いてみたら、そばを打つ時にとんと叩いて生地を伸ばす時にくるりんと巻くイメージを表しているのだそうです。
受付で頂いたパンフレットによると、そばは日本で最も古い作物で島根県の沼原で一万年も前のそばの花粉が発見された事から何と縄文時代の早い時期には焼畑で栽培されていたと考えられているそうです。
それなら江戸時代にそば屋があっても全く不思議ではありませんが、信州の高冷地では穀物で一番積算気温の低いそばが生産に適しており、気候や地形の関係で米、麦の生産が困難だったこの戸隠では昔からそば粉を使った「お煮かけ」「そば焼き餅」「そばがき」「そば団子」「そばせんべい」「かぶねり」など様々な調理方法でそばを主食に取り入れていたのです。
博物館内では当然、本場のそばも頂きました。何のそばにしようか迷いましたがホクトさんに敬意を表してキノコそばをチョイス致しました(笑)。
博物館の右隣には水車があり、何でこんなところに?と不思議でしたが傾斜地を流れる水路の多い戸隠では機械製粉の時代が来るまでは水車の力による石臼でそばを挽いていたのです。
しかし水車を見ると私は反射的に「本陣殺人事件」を連想しますね(笑)。
金田一耕助イベント(FILE No.309,310参照)、今年も行くぞ! さらに博物館の左隣は展望台に上る道があり、展望台から出発点に戻れる滑り台が設置されていました。
ちょっと怖かったのですが、ホクトさんの保養所に伺うには時間的に早すぎたので上から滑ってみる事にしました。
ところがいざ座ってみると滑りが悪くて全く動かない!
今更滑り台から降りるわけにもいかず必死に手足を動かして無理矢理滑り降りたのでした…。
(戸隠そば博物館の模様はこちらをクリック)
さて、そばに続いて今度はうどん、と言うわけで我が地元関西(京都)にはうどん博物館(http://udon.mu/)があり、こちらも後日行って来ました。
博物館と言ってもこちらは展示スペースは少なく食べる方がメイン、日本全国45種類以上のうどんが味わえます。
私は色々と迷って目移りしましたが、栃木県の耳うどんを頂く事にしました。 麺ではなく耳の形に似たすいとんのようなものが入っていて栃木では厄除けの言われがあるそうです。最初、水餃子かと思いましたが(笑)。
うどんの生い立ちにも諸説ありますが、一説によると奈良時代に遣唐使によって中国から渡来した索米(さくべい)=後の麦縄(むぎなわ)が日本の麺文化の始まりだとか…。
典型的な日本食だと思っていたうどんのルーツが実は中国とは…「非常に興味深いですねえ。」 BY 杉下右京
(うどん博物館の模様はこちらをクリック)
考えてみればうどんやそばに限らずどんな料理にも人間の知恵によって生まれ進化して来た歴史があるのです。偉大な先人たちに感謝して食事を美味しく味わいたいものです。
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