「 革命終焉 」
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〜Revolution FINAL〜 |
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今週で当ブログは連載450回目を迎える事が出来ました。
450回記念のテーマとして我らが「ミスター・プロレス」(FILE No.325,428参照)天龍源一郎の引退を取り上げる事が出来て光栄です。
11月15日両国国技館、題して「〜天龍源一郎 引退〜革命終焉 Revolution FINAL 」…13歳で相撲入りし26歳でプロレスに転向した天龍選手の、プロレスラーとして39年、格闘家としては53年にも及ぶ偉大な歴史にピリオドが打たれたのです。
天龍選手のプロレス・デビューである11月13日(1976年)に合わせて日曜日の15日に引退試合が決まりましたが、相撲が原点である天龍選手にとって両国で最後を迎える事は感慨無量だったと思います。
試合の日程が発表されるとまだ正式に対戦カードも決まっていないのに前売りチケットの7割が裁け、天龍選手はその報を聞いた時「今まで嘘をつかずに一生懸命頑張って来て本当に良かった。」と代表である娘の紋奈さんと二人でほろっと来たそうです。
私は上井さんにお願いして予約したのですが、チケットが手元に届くまで一ヶ月半ぐらいかかってやきもきしていました。その件で紋奈さんとお電話で話す機会があったのですが、あまりの人気にチケット発送が追いつかず嶋田家(天龍一家)は大混乱だったとか…。
天龍選手の引退にかつてのライバルでタッグパートナーでもあったスタン・ハンセンとアメリカの師匠とも言えるテリー・ファンクが来日して花を添えてくれました。
テリーと言えば5月の来日が肺炎の為に中止になりその後の病状が心配だったので、試合ではないものの待望の来日が実現しほっとしました。
当初は兄ドリー・ファンク・ジュニアも一緒に来る予定でしたが今度はドリーが諸事情により来日中止、ザ・ファンクス揃い踏みはなかなか実現しませんね…。
レジェンドの来日でイベントも盛り沢山、引退試合の8日前である7日には品川のサークルKサンクスの前で天龍&ハンセンの夢のコンビによるサイン&撮影会が実現しました。
天龍選手は現役選手としては最後のイベントで、しかもハンセンとの「龍艦砲」での登場ですよ!この組み合わせは二度と無いかもしれないしこれはもう行くしかありません!
イベントは当日発売の「龍艦砲」特製Tシャツを購入した先着200名が対象でしたが、 お店前に到着すると早くから長蛇の列ができていて焦りました。
並んでいる人数を数えながらようやく最後尾に辿り着くと私の順番は123番(1、2、3、ダーッ 笑)、わざわざ上京して足切りされたら洒落になりませんので滑り込みセーフで助かりました。
龍艦砲との感激のスリーショット撮影後は前回も触れたようにすぐ大阪にとんぼ帰りして新日本プロレス大阪大会に駆け込み、いや〜長い一日でした…。
(龍艦砲揃い踏み!撮影&サイン会の模様はこちらをクリック)
天龍選手の引退前夜にもスペシャルなイベントがあったのですが、そのイベントに参加できたのも物凄いラッキーがあったからでした。
7日の龍艦砲のイベントで並んでいる時、後ろの124番の人と「整理券貰えて良かったですね〜。」などと雑談をしていたら、その人が唐突に「来週はテリーとハンセンのイベントがあるらしいですね。」と耳を疑うような事を口にしたのです!
その人がスマホで検索してくれたら確かに二人がハードロック横浜に来店する事になっていて、幸いにも私はその日から上京予定でしたのでその場でお店に電話、無事予約を完了しました。このイベント、お店のFacebookで紹介されたぐらいでプロレス関連のサイトでの告知もなく(イベントわずか三日前の週プロに掲載あり)プロレスファンでも知らない人が大半だったと思います。私も偶然後ろに並んだ人が教えてくれなければあわや見逃すところで、つくづく自分は強運だと神に感謝…あの時の124番の人、ありがと〜!!
当日の関東地方は一日中雨でしたが、早起きして上京したのでお店に到着したら今回は整理券の2番をゲット、おかげで最前列の特等席に座る事が出来ました。
なお、参加者への食事メニューはステーキセット…「プロレススーパースター列伝」を読んでいた世代ならこの意味がわかるはず(笑)?
イベントは1部にハンセンが、2部にテリーが登場してトークとサイン会をこなす形式で、レジェンドの姿を間近で見て感動しっぱなしでした。
しかも当初はない予定だったツーショット撮影コーナーもあって皆からは歓喜の声、私を始め何人かが「ツーショット撮影やってくれ〜!」とお店のFacebookにリクエストしていたのですが、お店側がエージェントにぎりぎりまで交渉してくれて急遽開催が決まったのです。半ば諦めかけていただけに嬉しい誤算、何しろ私、この為だけにわざわざ秘蔵コレクションであるNWA世界ヘビー級、PWFヘビー級のベルトのレプリカを持って来たのですから(笑)。はっきり言って死ぬほどの重さで、ベルトをスーツケースに入れて全米中を防衛戦に飛び回ったNWA世界王者の気持ちが少しはわかりました(苦笑)。
欲を言えば一瞬でも良いから二大レジェンドの揃い踏みが見たかったところですが、それは翌日のお楽しみと言う事でまたも超ハードな一日が終わりました…。
(ハンセン&テリー IN ハードロックカフェ横浜はこちらをクリック)
一夜が明け遂にやって来た天龍選手引退の日…前日くたくたに疲れていたのに緊張してあまり熟睡できず…天龍選手は果たしてどんな気持ちで朝を迎えたのでしょうか?ようやく雨の上がった午後、両国に向かうと国技館の前はグッズの先行販売に並ぶ人で早くも長蛇の列が出来ていました。チケットは前売りで全て完売、立ち見も含め当日券は一枚もない超大ヒット興行がまもなく始まるかと思うとわくわくしますが、両国駅で墨田区のHさんと待ち合わせして館内に入ると人・人・人のすし詰め状態でした。
上井さんのおかげで今回は何と!最前列をゲット!しかも私の席番は天龍選手のデビュー日である13番ですよ!
この日の試合はBSスカパー!の他、インターネットや全国19ヶ所の劇場でのライブビューイングがありましたが、試合後生中継を観ていた有光支店長や佐野先生、戸島さんらから「田宮さん、思いっきりテレビに写っていましたよ!」と連絡がありました(笑)。
この日は天龍選手の盟友、長州力選手も久々に参戦、今や貴重な長州選手の試合を間近で観る事が出来て嬉しかったです。
さらにセミファイナルでは、この春勃発した諏訪魔選手と藤田和之選手の因縁対決が組まれました。5月のIGF大阪大会で気運が盛り上がったものの(FILE No.426参照)またしても流産しかけた試合が両者の望む「第三者のリングで」急転直下実現する事になったのです。
オープニングでは大物ギタリストの高中正義さんが来場、天龍選手のテーマ曲である「THUNDER STORM」(サンダー・ストーム)を生演奏してくれました。
天龍選手が入場テーマにこの曲を使い始めたのは確か81年頃、テレビ視聴者からの公募で決まったと記憶していますが、34年間に渡り天龍選手とともに歩んできた名曲の生演奏が一度聴きたくて高中さんのライブに行こうと思っていたので感激しました。
高中氏はゲスト出演が決まった時、以下のようにコメントしています。
「プロレスラー天龍はかっこいいよなあ、堂々としていて。長きにわたって僕の曲を使ってくれて感謝だよね。今回引退するにあたって感謝の気持ちを込めてサンダー・ストームを弾きたいと思います。」
全11試合、4時間半に及んだ大興行のメインを締めたのは勿論本日の主役、天龍源一郎、そして天龍選手が最後の試合の相手に選んだのは新日本プロレスの大エースで、現・IWGPヘビー級チャンピオンのオカダ・カズチカ選手でした。
そもそも二人の因縁は二年前、オカダ選手が2012年に続き2013年と二年連続でMVP(東京スポーツ主催プロレス大賞の最優秀選手賞)に選ばれた時にまでさかのぼります。MVPの連続受賞者はアントニオ猪木、ジャンボ鶴田、天龍源一郎に続く史上4人目の快挙でしたが、オカダ選手はふてぶてしく「その三人は僕と同じ時代でなかった事に感謝すべきですね。僕がいたら有り得ない事ですから。」と言ってのけ、これに「オカダよふざけるな!」とばかりに噛みついたのが我らがミスター・プロレスでした。
天龍選手にすれば「猪木さんはもう現役じゃないし、ジャンボももうこの世にはいない、自分が言わねば誰が言う。」の心境だったのでしょう。
もっともこの時は舌戦はすぐに終息、話題も立ち消えになりました。そもそも誰も37歳もの年齢差のある二人の対決が実現するとは思わなかったでしょう。
しかし天龍選手はその時の気持ちを忘れてはいませんでした。
今年の2月に引退を表明し、8月の新日本プロレスの両国大会に乗り込むとオカダ選手にに対戦表明をやってのけ、オカダも堂々と受けて立ち究極の異次元対決が決定したのです! 私は早くから引退ツアー中の何処かで天龍−オカダ戦が実現すると確信はしていましたが、せいぜい6人タッグ戦と思っていましたのでまさかのシングル対決実現に驚きました。自身の引退試合に往年のライバルとの懐メロ対決ではなく、敢えて今一番強い男に挑む事を選択した事に並々ならぬ天龍選手の覚悟を感じたのです。
正式に対決が決まると再び舌戦、オカダ選手が「天龍さん本気ですか?もし売名行為なら止めて下さい。」と言えば 天龍選手は「売名行為?バカ野郎、俺はお前の何十倍有名だと思ってるんだ?」と絶妙の切り返し、今や滑舌の悪い キャラとしてテレビに引っ張りだこの天龍選手、これは一本取りました(笑)!
かくして迎えた65歳と27歳の最初で最後の一騎打ち…何だかアリスの名曲「チャンピオン」を連想させましたが、往年の必殺技である延髄斬りもパワーボムも影を潜め、ここ数年はパンチ、チョップ、ラリアットぐらいしか出来なくなっていた天龍選手は大半の予想を裏切り低空飛行ながらも延髄斬り、不完全ながらもパワーボムまで繰り出し15分以上も粘る接戦、最後はオカダのレインメーカーの前に沈んだもののその壮絶な生き様に誰もが胸を打たれ、試合後は私もしばし放心状態でした。
(革命終焉、天龍源一郎引退試合はこちらをクリック)
両国のちゃんこで乾杯した後も燃え尽き症候群状態が続きましたが、すぐには大阪に戻れず翌日からは東京で仕事(と言うか本来こちらがメインです 笑)、16日はお昼にリケンファブロさんを表敬訪問、夜は久々に某コップ屋さんと錦糸町で食事、17日は台場でリスパックさんのトップ・ステージ会に出席、さらに翌日はジェプラの会議が待っていました。
冒頭に書いたように栄えある450回目のブログのテーマに天龍引退を取り上げようと思うと締め切りに間に合わないので、今回は珍しく東京までパソコンを持参したのですが、ノートと言っても私のPC、結構大きくて重いんですよね〜。
今回の上京は着替えにパソコンにカメラにチャンピオンベルト2本(!)、これに行きは雨だったので傘も加わる大荷物…出張じゃなく引っ越しか!?という大変さでした(苦笑)。一番重いチャンピオンベルトはHさんに懇願して大阪に送ってもらいましたので帰りはかなり楽でしたが、我ながらようやるなと呆れます…。
時間が空くとホテルは言うに及ばず喫茶店、帰りの新幹線でもPCとにらめっこ、周りから見るといっぱしのビジネスマンですが実はブログを書いているだけ(笑)…ようやく450回記念の大作(?)を締め切りに間に合わせたのでした。
最後に、天龍源一郎と言う偉大なプロレスラーと同時代を生きた事と、その最後の試合に立ち会えた事に改めて感謝したいと思います。
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