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社長の経営日誌

孤高の天才 社長の経営日誌社長の経営日誌 田宮社長が好き勝手に織りなす独白です
 FILE No.325 2013.5.25
「 ミスター・プロレス(1) 」

まずはすっかり忘れていた4〜5月のゴルフの成績発表です。
4月21日は社内コンペでおなじみの京都の美加ノ原で107、そしてゴールデンウイークが明けた5月8日にはお得意先の方々と初めて訪れた兵庫・六甲国際ゴルフクラブで112、得意先の方々も好きでこの日はさらにハーフラウンド追加プレイをする事になりまして、こちらも56と振るわず(涙)。
これからは暑くなるのでしばらくコースには出たくないですね〜。

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 天龍源一郎選手が来阪

さて、ゴールデンウイークの話題ですが5月4日、大阪はミナミにあるプロレス・バーに「風雲昇り龍」「ミスター・プロレス」こと、天龍源一郎選手がやって来ました!!
大阪で天龍選手がイベントをやる事自体が非常にレアで、小さな店内には熱心なマニアが40人近く駆けつけました。

天龍は13歳で相撲入りし東前頭十三枚目まで昇進、26歳でジャイアント馬場にスカウトされて全日本プロレスに入団、その後は不遇の時代が長かったものの81年頃よりジャイアント馬場、ジャンボ鶴田に次ぐ「第3の男」として頭角を現わし始めました。
「第3の男って言うと聞こえはいいけど、ようはヤラレ役ですよ。」と自伝の中では自嘲気味に語っていた天龍が立ち上がったのが87年でした。
当時はプロレス人気が低迷しており、危機感を覚えた天龍は盟友である阿修羅・原と「龍原砲」(後に天龍同盟)と呼ばれるタッグを結成、ジャンボ鶴田ら全日本の正規軍に戦いを挑んだのです。

この時代、全日本プロレスや新日本プロレスは全国で年間200試合もの興行を開催していましたが、テレビ中継のある大会場の試合とノーテレビの地方での試合内容にはかなりの落差がありました。

相撲に本戦に関係ない花相撲があるのと同じでレスラーも生身の人間、日本中を回りながら200試合も全力ファイトをこなすのは物理的に不可能でやむを得なかったのかもしれませんが、この常識?に果敢に挑戦したのが天龍革命と呼ばれるムーブメントでした。
「全日本プロレスを活性化し、客を増やす為には一試合たりとも気を抜くわけにはいかない!」とどんな田舎の小さな会場でも、大会場と変わらない凄まじい全力ファイトをやるようになったのです。口で言うのは簡単ですがこれは並大抵の覚悟で出来る事ではありません。
「地方のがらがらの客席で客があくびしているのがリング上から見えるんだよね。よし、今あくびしたアイツを絶対リング上に釘付けにしてやる!って死に物狂いになったよ。」
インターネットの無かった時代、ファンの口コミで「天龍(全日本)は地方でも手を抜かない。」と評判になって次第に全国で観客数はアップしていき、プロレスファンの天龍に対する信頼感は絶対的なものとなりました。

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 この日も毒舌は絶好調!
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 マニアが持参した日本
デビュー戦のポスターを
持って…

天龍は全日本だけではなく、後に参戦した新日本でもメジャー・タイトルを総ナメ、天龍革命は団体の枠を超えました。
そして遂には日本人としてただ一人、ジャイアント馬場とアントニオ猪木からフォールを奪うという偉業を達成、さらには大仁田厚と電流爆破マッチを行ったかと思えば女子レスラーと戦ったり、タレントと試合をしたりと、常にファンを楽しませ続け63歳となった今もリングに上がる天龍にはいつしか「ミスター・プロレス」という称号が与えられたのです。
角界からプロレス入りした選手は過去から現在まで、数十人にも上りますが力道山を別格とすると天龍こそ最大の成功者と言えるでしょう。

この日のトークショーも開口一番、「いい天気の連休にこんな薄暗いところに人の悪口聞きたくて集まって…」と皆を爆笑させ毒舌とサビの利いたジョークも絶好調、しかし「ミスター・プロレス」の言葉には重みがあり、皆真剣に耳を傾けました。
私が「古巣の全日本プロレスについて?」と質問すると
「武藤敬司がオーナーになった段階で、全日本プロレスの名前はノアに移譲すれば良かったんだよ。三沢にだけは!(譲らない)っていう(馬場)元子さんの意地があったのかな。」

尚、天龍選手と言うとテレビ出演の時も滑舌の悪さが有名ですが、この日は至近距離だったので比較的よくわかりました(笑)。

興味深かったのは「アメリカ修行時に影響を受けたレスラー」として、ゴードン・ネルソンの名前を挙げた事です。
ゴードン・ネルソン?? かなりのオールドファンでもなかなかピンと来ない名前で後日、プロフイールを調べてみました。
アマレス出身で日本プロレス、国際プロレス、初期の全日本プロレスにも来日経験のあるゴードン・ネルソンは「神様」カール・ゴッチも一目置いていたという隠れた実力者でマスクマンに変身してテキサス州アマリロのリングにも上がっていたそうです。
天龍もアマリロで修行していたのでこの時に接点があったのでしょうが、このネルソンが覆面を被った時のリングネームが何と、「ミスター・レスリング」。
「ミスター・レスリング」を名乗った選手に多大な影響を受けた天龍が後に「ミスター・プロレス」と呼ばれるようになるとは…う〜ん、やはりプロレスは素晴らしい大河ドラマです。

先頃国民栄誉賞を授賞した長嶋茂雄も現役時代、「ミスタージャイアンツ」「ミスタープロ野球」と呼ばれていましたが、ミスタープロボクシング、ミスタープロゴルフがいないように一つのジャンルを背負ってミスターとまで呼ばれるようになるのは凄い事ですね。

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 ミスター・プロレスとの
貴重なツーショット

単なる実績や人気だけでなくプロレスに対する真摯で一途な姿勢が天龍がミスターとなった所以、今や数少ないリビング・レジェンドである天龍選手にはこれからもプロレス界の貴重なご意見番、頑固親父としてにらみを効かせて欲しいものです。
天龍選手を見習って私も「ミスター包装資材」と呼ばれるように頑張ります(笑)。

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