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社長の経営日誌

孤高の天才 社長の経営日誌 田宮社長が好き勝手に織りなす独白です
 FILE No.487 2016.9.3

「 弘前の奇跡!?(1) 」

先月の初め、今年二度目となる青森県へ遠征して来ました。
5月の出張に続きこんな遠い土地に年に二回も行く事になるとは自分でもオドロキですが、今回はお盆前に一足早く夏休みを頂いての完全なプライベートのツアーでした。
遠路はるばる何で私が青森まで足を延ばしたかと言いますと…我らがスーパースター、「仮面貴族」ミル・マスカラスがご降臨したからです!
近年はほぼ年一回のペースで来日してくれる仮面貴族ですが、試合やイベントは東京に限定されていたので地方興行でマスカラスが観られるのはそれだけでも希少価値です。

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 曙の新団体「王道」に
マスカラスが参戦!

何でもマスカラスが青森で試合をするのは実に23年ぶり(前回は93年のWAR)との事、今回は弘前市での試合でしたが、これだけの来日回数を誇るにも関わらず意外にも弘前への登場は初だそうです。

70年代後半〜80年代前半、マスカラスが全日本プロレスのレギュラーだった時代は夏のシリーズの常連でした。
不朽の名曲「スカイハイ」をテーマ曲にマスカラス人気が爆発、夏休みシーズン、ちびっこファンの動員を狙っての全日本の戦略だったのでしょう。
わけても77年8月25日、雨の田園コロシアム(野外)でのジャンボ鶴田とのUN選手権(2−1で鶴田防衛)はその年の年間ベストバウトを獲得した名勝負として語り継がれています。
そして79年からは弟のドス・カラスとのタッグで夏に華麗な兄弟編隊飛行を見せてくれるようになりました。平成のファンには蝶野正洋(G1優勝通算5回)でしょうが、我ら昭和世代にとっての「夏男」とはマスカラス、金鳥のコマーシャルではないですが「日本の夏、マスカラスの夏」なのです(笑)。

そんなマスカラスの待望の真夏の来日、招聘したのは元横綱・曙が立ち上げた新団体「王道」でした。 しかし困った事にこの時期の青森はねぶた祭りの真っ最中、大会が発表された5月末の時点で弘前市内のホテルは何処も満室のオンパレードですよ!
やれやれ何でよりによってこんな時期にやるんだよ、と天を仰ぐ私、一時は諦めかけましたが思う一念岩をも通す?インターネットで20軒以上検索して、執念でやっと一つ空室のあったホテルを発見しました。
宿がこの状況ですから当然飛行機の方も既に満席、やむなくJALとANAそれぞれ複数の時間帯の便をキャンセル待ちにしておきました。
肝心の大会チケットはポスターに現地のプロモーター(大会実行委員会)の方の連絡先が記載されていたので電話してみたら津軽弁丸出しのおじさんが出て来ました。
私が大阪だと伝えると「飛行機や宿は大丈夫ですか?」と逆に心配されましたが「何でまたよりによってこんな時期にやるんですか?」と素朴な疑問をぶつけると
「どうしてもマスカラスのスケジュールがそこしか合わなかったんですよ。」との事、「日本人より日本の歴史に詳しい」とまで言われる勤勉家のマスカラスですから実際はねぶた祭りがどうしても見たいと駄々をこねたのではないでしょうか(笑)?
それはともかくチケット代を送りますのでと申し出ると「いや、田宮さんの電話番号もお聞きしましたし、最前列用意しときますから当日でいいですよ。」
関係者とかよほど親しい間柄ならともかく、一面識もないのに当日払いでOKとは…東北の方っておっとりしてるなあと感動しましたよ。
7月になると飛行機のキャンセルもいくつか出たのですが電車派の私、結局は東京で前泊して東北新幹線で行く事にしました。
初代タイガーマスクと同じく実は私もあまり飛行機は好きでなく、やむなく飛行機に乗る時は「あ〜、どうか落ちないでくれ!」といつもびびっており、時間に余裕がある時はなるべく電車を利用しています。非効率ではありますが、コスト的には宿代+新幹線代と飛行機代って殆んど差がありませんでした。勿論祭りの時期ですから新幹線も早々に満席になるのは確実、発売日の10時きっかりにみどりの窓口に行って発券してもらい(懐かしいトワイライトエクスプレスの10時打ちの再現!)無事に指定席が確保出来ました。
これでお膳立ては全て完了、後は青森へGO!です。

試合前日の8月3日夜遅く御徒町の定宿にチェックイン、翌4日は10時20分東京発のはやぶさに乗車しました。
予想通り満席の中3時間かけて新青森着、在来線に乗り換えて弘前を目指します。
途中でいつもゆずポンのイベント等で顔を合わせる関東のマニア3人とお会いしました。皆さん遠いところよく来るね〜、と感心しましたがよく考えりゃ私が一番遠方です(笑)。
お一人の方など東京から夜行バスで9時間かけて来て、試合が終わったらまたバスで帰ると言うのですから何というタフネス、あっぱれです!
私は特に関心はないのですが、弘前の町もお祭りの準備で大賑わいでした。
(因みにここ弘前の祭りは「ねぶた」ではなく「ねぷた」と言うそうです。)
駅から歩いて10分ほどのホテルにチェックイン、まだ時間があったので暑い中を15分ほど歩いて弘前城を見学して来ました。
汗だくでホテルに戻りシャワーを浴び、準備万端でいよいよマスカラス様の待つ会場へ出発です。
駅に向かう途中、前述の三人と再び合流、夕方5時発の弘南線なる無人列車に乗りました。電車内は冷房もなく扇風機が回っているだけのレトロな趣き、到着した運動公園駅も改札のない無人駅でした。
しかも会場である青森県武道館は駅の左側ですが、駅の出入り口は右側にしかありません。
もし右に降りたらどう見ても線路を横切って左に行く道が見つかりそうにないので、強引に左側の柵を乗り越えました。いやはや殆どサバイバル状態です(笑)。
ようやくたどり着いた青森県武道館はその名の通りの立派な建物で、中に入ると後楽園ホールより遥かに大きいキャパシティでした。流石に二階席は空席がありましたが(発表は1670人=満員)、場所を考えれば上々でしょう。
試合前に青森が地元の船木誠勝選手、そして藤原組長と記念撮影、最近はすっかり組長に顔を覚えられた私、「大阪から来たの!? 暇だね〜。」との有り難いお言葉(笑)、「東京から新幹線で来ました。」と告げると、組長も同じだったようで「いっぱいだったろ?」とねぎらって頂きました。

さて、マスカラスと言えば気になるのがオーバーマスクの投げ入れです。
子供の頃からテレビ中継を観ていて「ミル〜・マスカラス〜!」のコールと同時にさっと オーバーマスクを脱ぎ客席に投げ入れるシーンに憧れたものですが、実はこの独特のパフォーマンスは日本限定、本国のメキシコやアメリカではやっていないのです。
私はマスカラスの海外での試合の映像を何度か視聴しましたが、オーバーマスクを被っていた時も試合前に脱ぐだけで客席には投げませんでした。
そう言えばブルーザー・ブロディの入場時のチェーンも日本限定で、マスカラスやブロディがいかに日本と言うマーケットを重要視していたかがわかります。
プロモーターやブッカーに一切妥協せず、メジャー団体よりインディペンデントの活性化に喜びを感じるところも共通点ですし、やはりこの二人は似た者同士です。
それにしてもマスカラスが全日本の常連だった時代は日本で年間数十試合をこなしていましたので、トータルすると果たしてどれぐらいの数のマスクを投げたのか(かかったコストも馬鹿にならない)…このブログでもご紹介したように一昨年12月の後楽園ホールでは私もとうとう恩恵に預かる事が出来ました!
(FILE No.406「夢の競演」 参照)あの時はリングインと同時にまさに私めがけて投げてくれたんじゃないかと思うほど一直線に私の頭上に飛んで来て、今思い出しても信じられないぐらいです(涙)。
昨年12月の後楽園(FILE No.454「奇跡よ再び!?」参照)では私の反対側の客席にスローイング、複数の人でじゃんけんをしているのが見えましたが、今回夜行バスでやって来た方が実はその一人で、折角マスクを掴んだのにじゃんけんで負けて無念の涙を飲んだ話をお会いする度に聞かされています(笑)。
果たして今宵はどうなるか? 冷静に考えると一度取れただけでも宝くじ並みの確率なのに、そんなに何度も都合良くミラクルが起こるはずもないのですが、それでもつい期待してしまうのが人情と言うもの…マニア4人で今日はどのタイミングでどっちの方角に投げるか試合前に侃々諤々、皆席が分散していたので誰かの所に来たらいいね、などと話していました。
もしも二年ぶりに私の所に飛んで来たら…モハメド・アリの「キンシャサの奇跡」ならぬ「弘前の奇跡」ですよ! こりゃあブログのタイトルは決まったな(笑)などと考えながらドキドキしていました。

いつ聴いても涙腺の緩む「スカイハイ」のメロディの中、待ってました、夏男・マスカラスの入場!事前に予告していた通りメキシコのウイチョール族の民族衣装を身に纏ったその姿はオーラが立ち込めているかのようです。
リングインしたマスカラス、すぐにはオーバーマスクを脱ぎません。
これはやはりコールされたタイミングで投げるつもりか?
緊張感はMAX、さあ オーバーマスクの行方は?果たして「弘前の奇跡」は起こるのか!? 一番いいところで時間となりました、顛末は後編のお楽しみと言う事で(笑)。

(次回へつづく)
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