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孤高の天才 社長の経営日誌 田宮社長が好き勝手に織りなす独白です
 FILE No.478 2016.6.25

「 ゆずポンの白いベルト(1) 」

恒例のチャンピオンベルト紹介、今回はゆずポンが現役時代に獲得した唯一のシングルタイトル、「ワンダー・オブ・スターダム選手権」の登場です。

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 白いベルト、ワンダー・
オブ・スターダム王座

ゆずポンが所属した女子プロレス団体「スターダム」(←最近墨田区のHさんがハマってます 笑)は2011年1月23日に新木場1stRINGで旗揚げ、6月26日に団体のオリジナル・タイトルである二本のシングル王座、「ワールド・オブ・スターダム選手権」と「ワンダー・オブ・スターダム選手権」の新設を発表しました。
「ワールド・オブ・スターダム王座」は団体内外、国内外を問わず争う女子マットの最高峰を目指すコンセプトを持ち、そのデザインは真紅の革にゴールドの星型バックルをあしらっていました。

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 赤いベルト(初代王者は高橋奈苗)と白いベルト、スターダムのシングル王者そろい踏み

一方今回のテーマである「ワンダー・オブ・スターダム王座」は団体所属選手及び参戦選手間で争うと位置づけられ、真っ白の革にシルバーのバックルでデザインされていました。対照的な紅白のベルト、団体のエースである最強の王者が赤いベルトを、No.2が白いベルトを巻くと言うのはかつての全日本女子プロレス(解散)にあった「WWWA世界シングル王座」(通称・赤いベルト)と「オールパシフィック王座」(通称・白いベルト)へのオマージュでしょう。

前年(2010年)10月31日、新木場での自主興行「ゆずポン祭」でプロレス・デビューを飾っていたゆずポンはスターダムの旗揚げから所属選手となり、デビューから9ヶ月目で大きなチャンスを掴みました。
7月24日、後楽園ホールで行われるワンダー・オブ・スターダムの初代王座決定戦への出場が発表されたのです。
相手の世IV虎選手は10歳も年下ですが旗揚げ以来激しい火花を散らして来た好敵手で、シングルで戦うのはこの日が初めてだったものの、2年後に引退試合で相まみえた事でもわかるように最大のライバル的存在でした。
試合は当然白熱化しましたが最後はゆずポンがゆずポンキック・レッド(踵落とし)を脳天に決めて勝利、ゆずポンは見事にワンダー・オブ・スターダム初代王者となったのです。
ベルトを獲得したゆずポンは取り囲むカメラマンの「シャッター音とフラッシュの放列が気持ち良くて」リングに横たわってグラビアポーズのサービス、以来タイトル戦ではこれが恒例行事となりました。

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 試合後のグラビアポーズはお約束に

しかし王者になったものの当初は短命王者か?の声があったのも事実です。
そんな下馬評を覆すべくゆずポンは次々と現れる挑戦者と精力的に防衛戦をこなし2011年は2度、翌2012年は3度、とV5を果たし王者として2回目の年を越すと言う長期政権を樹立しました。

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 ゆずポンは絶対王者として連続防衛

2012年の12月、ゆずポンは翌2013年、4月29日両国国技館での引退を電撃発表、自分が守り抜いて来た白いベルトは絶対に誰にも渡さない、永久王者のまま引退して、愛媛県新居浜にある実家のホワイトハウス(本当に豪邸です)の神棚にベルトを飾ると公約したのです。

引退イヤーとなる2013年、V6、V7と順調に防衛を重ねるゆずポン、3月31日、新木場で組まれた8度目の防衛戦が最後の正念場となりました。
試合前に勝っても負けてもこれが最後の防衛戦になる事が発表されたからです。
この時点では未だカードは未発表だったものの両国での引退試合はノンタイトル戦になる事が決定していたので、この日ベルトを守ればゆずポンの悲願であった王者のままでの引退が実現するし、負けて王座転落すればもうリターンマッチのチャンスは無いと言うわけです。
最後の挑戦者はこの頃打倒ゆずポンに異常なまでの闘志を燃やしていた安川惡斗選手でした。
この半年前のV5戦で挑戦を退けた相手ですが、惡斗は執念で二度目の挑戦権をゲット、再びゆずポンの前に立ちはだかったのです。
このようなシチュエーションですからゆずポン以上に客席の私も緊張し、祈るような気持ちで観戦していました。
惡斗の猛攻に追い込まれるシーンもありましたが流石はゆずポン、見事に必殺のタイガースープレックスで逆転勝利! やったあ、これで永久王者のまま引退決定だ〜!!

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 タイガースープレックスで遂にV8達成

ベルトを高く掲げ勝ち誇るゆずポンとダメージでうずくまったままの惡斗、勝者と敗者の明暗がくっきりと分かれた試合後のリング上でハプニングが起こりました。
敗れた惡斗がマイクを掴んで涙ながらに「そのベルトはスターダムにとって大切な物なんです。どうか置いていって下さい!」と懇願したのです。

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 惡斗の直訴にゆずポンの
決断は…

戸惑ったゆずポンは「後は会社の判断に任せます。」とその場での返事は保留しましたが、 結局4月2日に会見が行われ潔くタイトルを返上、両国で第2代王者の決定戦(安川惡斗VSダーク・エンジェル)が行われる事になりました…。

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 ゆずポンは愛するベルトを潔く返上

ベルトを封印し実家の神棚に飾る野望は幻となりましたが、約1年8ヶ月王座を保持し8回連続防衛を果たしたゆずポン、その血と汗と涙の防衛ロードを巻末にまとめて見ましたが、ゆずポンにとっては一戦一戦が思い入れのある大切な宝物だろうと思います。
今回、これまで買い集めたポートレートの中からベルト姿のポーズを探してみましたが、結構あるわあるわ…全て記念にサインを入れて頂きましたが(宛名入りもあり!)ここに一挙公開致しましょう。やっぱり王者のベルト姿はかっこいいですね!
こちらをクリック

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 引退式、返上した白い
ベルトが再びゆずポンに…

そしてゆずポンの偉業を称えて引退試合(FILE No.324参照)のセレモニーでは粋な演出がありました。何とリング上で白いベルトが贈呈されたのです。
えっ、この日、第2代王者(ダーク・エンジェルが新王者に)が決まったのに何故? 館内に流れた説明では後日、もう一本白いベルトを製造して進呈すると言う話でした。
とにかくこれで白いベルトは永遠にゆずポンの物、めでたし、めでたし…ベルトと共に花道へと消えていくゆずポンの姿を見送りながら胸を撫で下ろす私、感動的なフィナーレでしたが、実はとんでもない裏話があったのです…。

(次回へつづく)
特別付録

愛川ゆず季 ワンダー・オブ・スターダム選手権試合 全戦績

2011年
7月24日 東京・後楽園ホール
王座決定戦 VS 世IV虎 (11分47秒 ゆずポンキック・レッド → 片エビ固め)
* 初代王者となる。

9月25日 東京・新木場1stRING
  VS 紫雷イオ (15分5秒 ゆずポンキック・レッド → 片エビ固め)
* 初防衛

12月23日 大阪・ミナミMoveOnアリーナ
 VS 星輝ありさ (10分33秒 シャイニング・ゆザード → 片エビ固め)
* 2度目の防衛

2012年

2月26日 東京・新木場1stRING
  VS 脇澤美穂 (14分29秒 ゆずポンキック・レッド → 片エビ固め)
* 3度目の防衛

8月5日 東京・後楽園ホール
  VS 美闘陽子 (12分29秒 猛虎原爆固め)
* 4度目の防衛

10月14日 東京・新木場1stRING
 VS 安川惡斗 (11分56秒 ゆずポンキック・レッド → 片エビ固め)
* 5度目の防衛

2013年

1月14日 東京・後楽園ホール
  VS 宝城カイリ (13分54秒 ゆずポンキック・ブルー → 片エビ固め)
* 6度目の防衛

2月10日 大阪・ナスキーホール梅田
  VS 翔月なつみ (9分10秒 ゆずポンキック・ブルー → 片エビ固め)
* 7度目の防衛

3月31日 東京・新木場1stRING
  VS 安川惡斗 (12分21秒 猛虎原爆固め)

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* 8度目の防衛

4月2日 タイトル返上

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