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社長の経営日誌

孤高の天才 社長の経営日誌社長の経営日誌 田宮社長が好き勝手に織りなす独白です
 FILE No.324 2013.5.18
「 ゆずポンハート引退全力ファイトFINAL 」

4月29日は私の好きな「昭和の日」、そしてこの日はとうとうやって来てしまった、ゆずポンが二年半の短いプロレス人生にピリオドを打った日でした。

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 格闘技の殿堂、
東京・両国国技館
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 スターダム「両国シンデ
レラ」のポスター

その舞台となったのは東京の両国国技館です。
女子系の団体が両国を使うのは実に6年ぶりの事だそうですが、昭和の時代にあった蔵前国技館は今の両国とは違う場所で(因みに私は83年と84年に計3度観戦に行きました。)相撲会場という事もあり女人禁制、女子団体が使うどころか花束嬢すらリングに上がる事はNG、従ってリング下で花束贈呈をやっていたものです。
いくらゆずポンの引退試合という目玉があるとは言え、収容人員10,000人規模の大会場に旗揚げ2年のスターダムが進出すると昨年夏に発表された時(*この時点ではまだ引退は伏せられていた)は「無謀」「早すぎる」との声が多数で正直、私自身もそう感じていました。

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 普段はこんな小さな
新木場で試合をしている
スターダムが…
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 何と両国に進出!

何しろ普段のスターダムは300〜400人の新木場1stRINGがホームリング、年数回(*今年は6回予定)のビッグマッチですら後楽園ホール(1,500人)という興行規模なのですから…。
業界最大手で年2〜3回両国を使う新日本プロレスですら集客には苦労しており(*因みに4月7日の同所の新日本プロレスは発表で8,200人)スターダムにとってはまさしく一世一代の大博打の興行となったわけですが、プロレスの場合「会場の大きさに合わせてそれなりに客が来る」から不思議なものです。
日頃100〜200人のライブハウスに出ているアーティストが突然、両国や日本武道館に進出するなんて考えられないように、こういう事は他のジャンルでは有り得ないのではないでしょうか。
普段の新木場には行かなくても両国でやるなら行ってみようという客層も少なからずいるし、プロレスファンはいざという時の結束力が固く弱小(失礼!)団体が両国で勝負を賭ける、これがこけたら一団体でなくプロレス界全体の問題だと言う気持ちが作用し応援したくなるのです。

私も試合が始まってからもずっと客入りが気になって何度となく館内を見渡していましたが、最終的には何だかんだと6〜7割ぐらいは埋まっていました。
裏情報では当日券も500枚ぐらい売れたと言うしかなりの大善戦と言っていいでしょう。(*発表は5,500人)

試合開始は14時からでしたがその直前、突然「そっちは両国か?」と山北麻文くんからメールが届きました。
何と12時開始の後楽園ホール、全日本プロレスのチャンピオンカーニバル優勝戦に来ているとの事、お互い好きだね〜(笑)。

「両国シンデレラ」という大会名でビッグマッチに相応しく色とりどりの全10試合がマッチメイクされたこの日の興行ですが、トリは勿論「ゆずポン引退全力ファイトFINAL」と名付けられたゆずポンの引退試合です。

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 多くのファンを感動させた
旧・蔵前国技館でのテリー
・ファンク(左)の引退(右
は兄のドリー・ファンク
・ジュニア)
(週刊プロレスより)

プロレスラーの引退と言えば私が今でも真っ先に思い浮かぶのがテリー・ファンク(プロフィールはFILE No.102参照)で1983年8月31日、旧・蔵前国技館で行われた引退試合はTV観戦でしたが本当に感動的でした。
何しろ当時のテリー人気は凄まじく、お揃いのチアガール風の衣装を身に纏った女性ファンの親衛隊が会場に詰め掛けていたほどでした。
血だるまのテリーが試合後に「ジャパン イズ ナンバーワン! フォーエバー!フォーエバー!…」と叫び続ける名シーンは今観ても涙ものですが…わずか一年後、テリーはまさかのカムバック!!
プロレスラーの復帰にファンがまだ免疫が無かった時代(実質的な第一号は新日本プロレス旗揚げ戦で助っ人としてカムバックした豊登か?)、あれだけ大々的に涙の引退をしたテリーの復帰はファンの間でも賛否両論、一部では激しい拒絶反応がありました。
その後も何度も本国アメリカでも引退と復帰を繰り返したテリーですが、最初の引退から30年が過ぎた現在も「引退」せず今や「リビングレジェンド(生ける伝説)」とまで呼ばれるようになったのですから立派の一語に尽きます。
テリーの復帰以後、引退したレスラーの現役復帰は珍しい事ではなくなりました。
わけても日本版のテリー・ファンクと言って良いのが大仁田厚で、私の記憶が正しければ通算5回以上は引退している(笑)。

テリーや大仁田ほどではないにせよ、ひょっとしたら一度も復帰した事のないレスラーの方が少数派なのではないかというぐらい今では常態化したレスラーの復帰ですが、数年前には女子選手の米山香織(*この日の両国にも特別出場していた)が引退式の真っ最中に気持ちが揺れて泣きながら引退を撤回するという珍事がありました。
ヤフーのトップニュースにも出たこの事件、レスラーの復帰には慣れっこになっているファンも引退セレモニー中にそれを覆すという前代未聞の出来事には口あんぐりでこの時も賛否両論が湧き起こったものです。
果たしてプロレスラーにとって引退とは何なのか…。
ただ、私には「プロレスラーに引退はない」という気持ちがあります。
例えリングに上がらなくてもプロレスラーは死ぬまでプロレスラー、アントニオ猪木だって未だにプロレスラーですよ!

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 ゆずポン引退ムードが
高まる館内

…そしてこの日の主役、ゆずポンです。
館内には思い出の品々や歴戦のコスチュームが展示され最後のムードが高まる中、スターダム旗揚げ以来のライバルである世W虎をラストマッチの相手に指名しメインのリングに上がったゆずポンは、とても引退していく身とは思えぬ白熱の死闘を展開、最後は世IV虎のダイビングセントーンを喰らいフォール負けしましたが、ゆずポンらしい壮絶な散り際でした。
チャンピオンベルトを8度防衛、二年連続でMVP(女子プロレス大賞)を獲得とまさに頂点にいる時の引退、考えてみれば人気、実力ともピークの時にリングを降りたトップレスラーは男女合わせても史上初の快挙でそれだけでも彼女は革命的なレスラーだったのです。
プロレスラーは死ぬまでプロレスラー、プロレスラーに引退なしが信条の私もゆずポンのカムバックだけは絶対にないと断言します。
…まあ、スターダムが5周年とか10周年を迎えた時にメモリアルの5分とか10分のエキジビションマッチなんて事はあるかもしれませんが(笑)間違いなく彼女は「プロレス界の山口百恵」となる事でしょう。
花の命は短くて…二年半という短いプロレスラー人生を全力疾走したゆずポンは12時の鐘の音とともに夢から覚めたシンデレラの如く、この日伝説となりました…。
ゆずポン引退全力ファイトFINALはこちらをクリック

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