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社長の経営日誌

孤高の天才 社長の経営日誌 田宮社長が好き勝手に織りなす独白です
 FILE No.443 2015.10.10

「 暴動 」

昭和プロレスをこよなく愛する私ですが、昭和時代を象徴する事の一つに数々起こった暴動事件が挙げられます。
ブラジルのサッカーで試合結果に怒った客が暴動を起こしたニュースを見た事はありますが、あらゆるスポーツ&イベントの中で暴動発生率のナンバーワンはダントツでプロレスでしょう。不名誉な話ですが、それだけファンの思い入れ度が強いジャンルとも言えます。

古くは力道山時代から今は亡き日本プロレス、国際プロレスでも暴動があったそうですが、暴動と言えば何と言っても新日本プロレス、何しろ私の記念すべき初観戦(82年9月21日・大阪府立体育館)がいきなりそれでしたからね。
この日のメインはアントニオ猪木vsラッシャー木村の遺恨決着戦、しかも負けた方がリング上で丸坊主になると言う刺激的なルールで、超満員に膨れ上がった会場はゴング前からとてつもなくヒートアップしていました。
試合が佳境に入った時場外で木村のセコンドの新国際軍団が加勢、ハサミを持ち出すと何と猪木の髪を切る暴挙!これで猪木は完全にブチ切れ木村の脳天に椅子攻撃、さらにリング内に戻ると延髄斬りを連発し完全フォール勝ちを収めました。
さあ、木村の丸坊主決定!しかし負けた木村は国際軍団とともにスタコラさっさと控え室に引き上げそのまま会場から逃亡を謀り、納得しない観客の一部があちこちで暴れだしたのです。この事件は暴動を特集したプロレス関連のムック本(暴動の特集本が出る事自体がプロレスならでは)等でも何故か取り上げられる事がなく、歴史から抹消されたようになっていますが、現場にいた者としてはそのインパクトは凄まじいものでした。
棒切れで非常灯を叩き割る奴がいたり、椅子を投げたり…こりゃえらい所に来たものだと思ったものです。なんせあの温厚な坂口征二(当時、副社長)が客の胸ぐらを掴んでましたからね。

そして「新日本プロレス三大暴動事件」として後々まで語られる84年と87年の事件を忘れてはいけません。
私が実際に目撃した大阪城ホールでの大暴動(87年3月26日)は以前に特集しましたので(FILE No.401「海賊亡霊の事件簿」参照)、ここでは残りの二件を紹介しましょう。

先ずは有名なのが84年6月14日の蔵前国技館、アントニオ猪木vsハルク・ホーガンの第2回IWGPの優勝戦での暴動です。
そう、この試合はちょうど一年前にホーガンが猪木をアックスボンバーでKOして病院送りにした、あの衝撃の一戦(FILE No.276,277「猪木舌出し失神KO事件」参照)の因縁の再戦でした。
チケットは前売りの段階で即日完売、猪木が前年の借りを返してくれる事を期待したファンの異常な熱気はテレビで観ていても伝わって来ました。
これで猪木がすっきりと勝てばハッピーエンド、あるいは再び返り討ちにあったとしても正面からぶつかっての完敗であれば観客は納得したでしょう。
しかし予定調和とはならないのが新日本の真骨頂、何と試合は長州力が不法介入、場外で猪木とホーガンにラリアットを放ち、混乱の中一歩早くリングに戻った猪木がリングアウト勝ちと言う不透明決着に終わってしまいました。
こんな勝ち方で猪木が優勝しても嬉しいわけがない観客は怒り狂い暴徒と化しました。
モノを投げ、桟敷席や大時計を破壊し、二階通路では火をつける奴までいる等手が付けられない状態で、居残ったファンの一部は夜11時半まで会場の裏で決起集会を開きその場で抗議の署名(177人分あった)をするなど蔵前では史上初、最大規模の不祥事となってしまったのです。

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乱入による不透明決着でファンの怒りが暴発、会場は滅茶苦茶に…

この三年後、再び新日本に悪夢が蘇ります。しかもこの年は年に二度も暴動が発生した最悪の年でした。3月に海賊男が乱入して試合をぶち壊した大阪城ホール、そして暮れも押し迫った12月27日に両国国技館で悲劇が繰り返されたのです。
この日のメインは猪木と長州のシングル対決でしたが、タレントのビートたけしがTPG(たけしプロレス軍団)なる組織を結成、初来日のビッグ・バン・ベイダーを刺客として猪木への挑戦を表明していた事が事件の発端となりました。
予告通り両国へ乗り込んで来たものの、猪木との試合が組まれていない事に不満のTPGの面々はガダルカナル・タカとダンカン、そしてTPGの参謀に就いたマサ斉藤がマイクで「猪木よ逃げるのか!?我々が連れて来たこの男(ベイダー)と戦え!」と散々挑発、これに乗った猪木は「受けてやるか、コノヤロー!」と挑戦を受諾、その場でこの日の対戦相手を長州からベイダーに変更してしまったのです。

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 暴動を鎮めようと
田中リングアナが泣き
ながら土下座…

観客の目の前で行われた一方的なカード変更、猪木とのシングル戦を反故にされた長州は急遽タッグ戦に出場するも館内は凄まじいブーイングと「止めろ」コールの大合唱、リングにゴミが投げ込まれる異様な雰囲気の中で屈辱的な試合を終えました。
このままでは暴動となる事を察知した長州はその場で猪木戦を猛アピール、またも話がひっくり返り当初の予定通り猪木−長州戦が行われる事になり、これで館内は一旦は落ち着きましたが、この日二試合目の長州が短期決戦を狙うも猪木のラフ殺法にわずか6分で敗退(セコンドの馳浩が乱入し反則負け)すると再びやばいムードに…さらに猪木もベイダーをリングに呼び込んで二試合目を戦ったもののたったの2分49秒でフォール負けするとついに観客は暴発しました。
お笑いタレントがリングを引っ掻き回したうえに、その場でのカード変更により注目の試合(猪木−長州戦)がぶち壊しになったのですから無理もない事で、猪木と長州がそれぞれ二試合ずつ戦ってもファンは喜ぶどころか逆効果となったのです。
21世紀には「ハッスル」のリングでタレントが試合をするようになるわけですから時代は変わったものですが、いつも猪木さんの発想は人より20年早すぎるようです。

それにしても新日本プロレスでは幾度となく起こっている暴動が、もう一方の雄である全日本プロレスでは旗揚げ以来皆無なのが不思議と言えば不思議です。
勿論全日本でも観客が納得せずにモノを投げたり、なかなか帰らず「金返せ」コールをしたりと言った事は何度かありました。しかしそれらは新日本での事件とはとても比較にならない、言わば「プチ暴動」のレベルでした。
昭和の全日本は肝心な時にレフェリーが失神したり、反則、第三者の乱入、両者リングアウトと新日本以上に不透明決着のオンパレードだった事を思えば一度も暴動に至っていないのはある意味奇跡的ですが、これは新日本ファンと比べ全日本ファンが大人しく平和主義者が多いと言う事ではないでしょうか。ジャイアント馬場とアントニオ猪木、両御大の性格は配下のレスラー、関係者だけではなくファン気質にも影響を与えているようです。

昭和のプロレス史には欠かせない暴動騒ぎは、不思議な事に時代が平成に変わるとぴたりと止みました(勿論平成にもプチ暴動レベルの事は何度かありましたが)。
7月5日に行われた新日本21年ぶりの大阪城ホール大会(FILE No.433参照)、メインのオカダ・カズチカvsAJ・スタイルズの試合中にふと、今ここで海賊男が現れて試合をぶち壊したらどうなるのかな?と想像してみましたが、もしそうなっても暴動までは起きないだろうなと思ったものです。
誤解を恐れずに言えば今の観客って劇や映画を観るような感覚でリング上を眺めていますからね。ゆとり世代が会場の大半を占めるようになった現在、もう暴動が起こるような事は二度とないだろうと思っていましたが、この大阪城ホールからわずか13日後、珍しく後楽園ホールでプチ暴動が発生したのです!
今の時代に、それも大会場ではない後楽園で、しかも全日本プロレスの流れを汲むプロレスリング・ノアでと聞いて余計に驚きましたが、その原因は今年になってノアに参戦して来た「世界一性格の悪い男」鈴木みのるにありました。
配下の鈴木軍を率いてノアマットを蹂躙する鈴木は3月に丸藤直道からノアの至宝、GHCヘビー級王座を奪取に成功、しかもこの日はヘビー級だけでなくジュニアヘビー級、タッグ、ジュニアタッグとノアの管理する王座が全て鈴木軍に独占され、鈴木曰く「方舟沈没」の日となりました。
ノアを完全制圧した鈴木は5月に丸藤のリターンマッチを返り討ち、6月の大阪ではマイバッハ谷口にも完勝(FILE No.430「青い目の日本人」参照)、7月18日、高山善廣を迎えて3度目の防衛戦に挑みました。
これまでの試合もそうでしたが、この日も鈴木軍のセコンドが何度も試合に介入、挑戦者の高山を椅子で殴打するなどの反則三昧を繰り返し、最後は大流血の高山を鈴木がパイルドライバーで料理した瞬間に観客の怒りが爆発、ゴミやペットボトルが散乱する騒動となったのです。

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ノアマットを席巻する鈴木みのるの暴走に珍しくプチ暴動発生!

プチとは言え画期的な?21世紀の暴動、観客の怒りの原因を分析するとここ数ヶ月間ノア勢がことごとく敗れてタイトルを取り返せずフラストレーションが溜まっていたところに、観客を嘲笑うかのような鈴木軍のダーティな戦術で高山までが完敗を喫した事でとうとう堪忍袋の緒が切れたと言ったところでしょうか。
かつて暴動を起こさせる程観客を本気で怒らせるレスラーは猪木ぐらいでしたが、今の時代にここまでファンをヒートさせるとは流石は猪木の弟子、反則プレーはあるものの鈴木があまりにも強すぎる王者である事が余計火に油を注ぎ憎さ倍増、試合後の鈴木は騒ぎなど何処吹く風でふてぶてしいコメントを残しています。
「なんでモノを投げるんだ?おひねりか?プロレスブームとか言って、最近のプロレスは怖くない?血なんか出ないんです?イケメンしかいません?おいおいどの口が言ってるんだ?俺が血ヘド吐いてやって来たプロレスはそんなもんじゃねえ!2人の男が戦えば全てプロレスだ、ダンスやお遊戯してんじゃねえ、殺し合いしてんだ!命かけてリングに上がってんだよ、こっちは。俺が強くてアイツ(高山)が弱かった、ただそれだけだ。反則?凶器を使った?人が多い?俺は正々堂々ルールの中でやった。俺はレフェリーに反則負けと言われてない。」

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 大阪決戦前日、イベントに登場した王者・鈴木みのる
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 試合当日、会場の目と鼻の先で行われた小橋建太さんのイベント

騒動から二ヶ月後の9月19日、挑戦者に杉浦貴を迎えて我が大阪で鈴木の4度目の防衛戦が行われました。
今度は大阪でプチ暴動が発生か!?と期待に胸を膨らませ観戦に行った私、…しかし暴動を期待するとは何とも不謹慎な話です(笑)。
試合前日にはタワーレコード難波に渦中の鈴木が登場して怪気炎、さらに試合当日の午後にはビッグカメラに小橋建太さんが登場しました。
既に現役を引退した小橋さんですが、タイトル戦の立会人を務めた5月の横浜では鈴木のあまりの傍若無人ぶりに激高して一触即発となるシーンがありましたので、この日も何かが起こる!?と期待していたら何と「今日は会場に行かない。」との事で残念でした。

さて、注目のタイトル戦は完全決着の為に反則、リングアウト裁定がなく両陣営のセコンドも認めない特別ルールが採用されました。
この為第三者の乱入もなく、鈴木と杉浦はリング内で火の出るような凄まじい攻防を繰り広げました。両者合わせて何十発繰り出したのかと言う意地の張り合いのエルボー合戦、私が生観戦した今年のベストバウトと言っても過言でない死闘で、あまりのど迫力にいつしか暴動を期待していた不埒な考えなど何処かに消え去っていました。
最後は鈴木が鉄壁の強さを見せて完勝しV4を達成、こんな試合を見せられたら何も文句はございません、これで暴動など起こしたらバチが当たりますよ(笑)。
大激闘!プロレスリング・ノア 鈴木vs杉浦はこちらをクリック

今回は暴動について特集しましたが入場料を払った観客を怒らせストレスを溜めさせる事はプロの興行としては失格、ましてやいかなる理由があっても暴動など絶対にあってはならない事です。
しかしプロレスは劇やドラマではない男と男の戦いですから、一度リングに上がれば何が起こっても不思議はなく、バッドエンドも有り得るわけです。
決して私は暴動を正当化しているわけではありませんので皆様くれぐれも誤解の無いように(笑)!

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