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社長の経営日誌

 FILE No.276 2012.6.2
「 猪木舌出し失神KO事件(1) 」

本日は6月2日、この日と言えば嫌でも思い出すのが1983年6月2日木曜日 衝撃の蔵前国技館、そう、アントニオ猪木が「超人」ハルク・ホーガン(*)に敗れて病院送りにされた、あの有名な「猪木、舌出し失神事件」です。

この日は猪木がライフワークとした、全世界のチャンピオンベルト統一構想であるIWGP(インターナショナル・レスリング・グランプリ)の優勝決定戦でした。
世界各ゾーンを代表する多くの強豪たちの参加した総当りリーグ戦を勝ち抜いて決勝戦に進出したのはこのイベントの提唱者である猪木とハルク・ホーガンの二人、誰もが猪木の悲願の優勝を信じていた試合で大アクシデントが起こったのです。

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 これが猪木をKOした
ホーガンのアックス・
ボンバー(日本スポーツ
出版・ゴング誌より)

試合終盤、両雄はもつれて場外に落ちました。この時、猪木は頭部の打ち所が悪かったのかふらふらと立ち上がった時、不覚にも相手に背を向けてしまいました。
すかさずホーガンは突進して猪木の後頭部に必殺技であるアックス・ボンバー(斧爆弾)を放ち、猪木は反動で鉄柱にごつんと額から激突しました。
ホーガンはいち早くリング内に戻り、一方猪木も格闘家の本能からか意識朦朧としながらもかろうじてエプロンまで上がったその時です。
反対側のロープに走ったホーガンが思いっきり助走をつけた渾身のアックス・ボンバー!(写真参照)
猪木は再度リング下に転落、場内からは観客の悲鳴と悲痛なイノキ・コールが爆発しますが、床で後頭部を強打したのか猪木は場外で完全に動けなくなりました。
レフェリーの場外カウントが進む中、セコンド陣が慌てて猪木の身体を担ぎあげ無理矢理リング内に戻します。(*これは完全に反則行為)
しかしうつぶせの猪木は目を瞑ったまま全く動く気配なし、セコンドの坂口征二、木村健吾らは青ざめて猪木の頭を揺さぶり頬を叩いて大声で猪木の名を呼び続けますが、完全に失神状態の猪木の口からはだらりと舌が出ていました。
猪木が意識を取り戻さないと判断したレフェリーは遂にゴングを要請、21分27秒、KO(ノックアウト)でホーガンの勝利を宣言しました。

まさに世紀の大番狂わせ、しかしリング上はホーガンのIWGP優勝を祝うどころではなく多くのセコンドや関係者が猪木を取り囲み、猪木は死んだのか!?と館内もパニック状態、あおむけにされた猪木は相変わらず死んだかのように目を瞑り、リング・ドクターが応急処置で注射をするとようやくぴくりと身体が動きました。

新日本プロレスのリング・ドクターを長く務めたふけたかし先生は2007年に発売されたDVD「新日本事件簿」に出演した際、当時を振り返ってこうコメントしています。
「医学的に言うと頭部外傷、脳挫傷かもしれない、瞳孔は開いている、血圧はどんと下がっている、呼吸も殆どしていないし意識も無い非常に危険な状態でした…。」

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 猪木の緊急入院は大きな
話題となった(日本スポー
ツ出版・ゴング誌より)

やがて救急車が到着し担架に乗せられた猪木はそのまま新宿の東京医科大学病院へ。
病院到着の直前、救急車の中で意識はとりもどしたものの病院に着くと無言のままストレッチャーに乗せられただちに精密検査とレントゲン撮影、さらに念の為CTスキャンも行われそのまま入院(面会謝絶)となったのです。

病院に集まったマスコミの前で医師は診断の結果を「一過性脳震盪」と発表、新宿警察署から刑事もやって来て「事件性のあるものか。試合中の出来事か。容態は。」と医師に矢継ぎ早の質問責め、「異変があったら連絡するように。」と言い残して引き取りました。
CTスキャンの結果は特に異常はなく猪木は驚異の回復力で翌3日には退院、これが当時、新聞の社会面はおろかテレビのニュース番組やワイドショーにまで取り上げられた猪木失神入院事件の顛末です。

今でも伝説的に語られるこの事件ですが、事件から29年が過ぎた現在、何とこの時の猪木の舌出し失神は実は偽装、すなわちプロレス界の隠語であるアングル(仕掛けや演出を意味するがここでは芝居のニュアンス)だったという説が一人歩きしています。
ええ〜っ! これだけ世間を騒がせた病院送り事件が猪木の一人芝居??
俄かには信じがたい話ですが21世紀に入り多くの関係者が著書やインタビューの中で様々な証言をするようになりました。
主な証言者は当時試合を裁いたレフェリー、取材記者、猪木のマネージャーらですが、但しいずれもはっきりとした確証があるわけではなく、あくまでも憶測でのコメントである事を付記しておきます。

彼らが失神事件をアングルと疑う根拠を要約してみましょう。

 
1. 試合に至るまでの間、猪木は親しい新聞記者であった東京スポーツの永島勝司氏との雑談で何度か「プロレスが朝日、毎日、読売の三大新聞に取り上げられるにはどうしたら良いか?」ともらしていた。
永島氏は半分冗談で「おまえさんが病院に担ぎ込まれるぐらいの事がないと無理だよ。」と答えたという。
 
2. レフェリーのミスター高橋は試合の前に猪木に「高橋、(何があっても)慌てるなよ。」と謎めいた言葉をかけられていた。猪木はタイガーマスク(佐山サトル)にも同じような意味の事を言ったらしい。
 
3. 猪木は入院した日の深夜、病院を脱出していた。
この事を翌日知った坂口征二(当時、新日本プロレス副社長)は激怒、会社のデスク上に「人間不信」と書置きを残してそのまましばらくの間、出社せず失踪してしまった。
 
4. そもそも医学的に頭部を強打して失神した時に人間は舌を出したりはしない。
 

確かにいずれも状況証拠としては十分ですが、わけてもこの失神事件をアングルと断言する人の多くが鬼の首でも獲ったかのごとく指摘するのが、「舌出し失神」についてです。
頭部を強く打って失神した時、人間の舌は丸まって喉の奥に入ってしまい、窒息の危険性があるそうで、指摘の通りダラリと舌を口から出しての失神は医学的には有り得ない?という事になります。

当時東京スポーツ編集局長だった櫻井康雄氏の取材に坂口征二はこう証言しました。
「リング下で俺たちが猪木さんのところに駆けつけた時、猪木さんの舌は口の中に入っていた。間違いなくこのままでは窒息してしまう、危険だと咄嗟に傍にいた木村健吾に『早く舌を出せ!』と怒鳴って木村がタオルを人差し指に巻いて猪木さんの口に突っ込み、舌を引っ張り出したんだ。あのままなら猪木さん、逝っちゃったかもしれない。
お客さんには見えないよう皆(セコンド陣)で取り囲んでの瞬間作業だった。

お客さんには見せたくないからね。(中略)失神している猪木さんをリングに抱え上げたんだが、その時はもう猪木さんの舌は出ていた。猪木さんはそれでも失神から覚めなかった、よほど強く頭を打っていたんだよ・・・(以下、略)。」

一方、坂口の指示で舌を引っ張り出した当事者のはずの木村健吾は前述のDVD「新日本事件簿」の中で「舌出し」についてコメントを求められるとこう答えています。
「舌を(口の)中に巻くのが普通なんですが、外にダランと出している、あんな事があるのかなって、今思えば不思議です。猪木さんが舌を噛んだら大変だと思って僕は自分の手を猪木さんの口の中に入れて舌を守ったんです・・・(以下、略)。」

何故か食い違う坂口と木村の証言、果たして猪木の舌を引っ張り出したのは誰か?
それとも本当に失神は猪木の一人芝居だったのでしょうか??

* ハルク・ホーガン

1953年アメリカ出身、本名はテリー・ジーン・ボレア、77年にプロレス入り。
79年にWWFで売り出し80年に新日本プロレスに初来日。
82年に映画「ロッキー3」に出演し知名度をアップする。83年猪木をKOして第一回IWGPにまさかの優勝、同年暮れにはWWF世界王者となりWWFの全米制圧の立役者として、全米マット界の象徴的存在となるだけでなくプロレスの枠を超えたミスター・アメリカとなる。必殺技はアックス・ボンバー、ギロチン・ドロップ、ニックネームは「超人」。

 
(次回へつづく)
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