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社長の経営日誌

孤高の天才 社長の経営日誌 田宮社長が好き勝手に織りなす独白です
 FILE No.452 2015.12.12

「 チャンピオンベルト(1) 」

プロレスファンと一口に言ってもコアなマニア(コレクター)の中にはマスクマニア、テーマ曲マニア…と色々な人種がいますが、このブログでも度々ご紹介のように私はチャンピオンベルトのレプリカの収集が好きです。

格闘技界の美術品と言っても過言ではないチャンピオンベルト、本当に格好いいなあと憧れますが、オリンピックでは上位入賞者にメダルが贈られるのに、プロレスやプロボクシング等の格闘技は何故チャンピオンベルトなのでしょうか?
19世紀末、ヨーロッパにおける格闘競技の大会では主催者でスポンサーの王侯貴族から 勝利者に対してメダルや勲章が贈られていました。
選手たちは自分の強さをアピールする為、当初はそれらを正装した服に付けていたのですが、リング上から観客に見せる為にベルトにぶら下げるようになり、これこそがチャンピオンベルトの原点と言われています。やがて王者の象徴としてベルトが作られ贈呈されるようになったと言うわけです。

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 「検証 チャンピオンベルトの謎」(98年発売)

本物と同等のクォリティを持ったチャンピオンベルトのレプリカがプロレスグッズとして市場に出回り始めたのは21世紀に入ってからの事で、昭和の時代には一般ファンがベルトを入手するなど高嶺の花でした。手先の不器用な私には縁がありませんでしたが、昔のファンはよくダンボールを利用したお手製のベルトで遊んでいたそうです(笑)。
1998年、「ゴング」の増刊号としてチャンピオンベルトの特集号が発行され、この号にアメリカのベルト職人であるレジー・パークスの工房のレポート記事が掲載されました。
レジー・パークスは元プロレスラーですがベルト作りが得意でいつしかそちらが本業となり、当時アメリカは言うに及ばず日本のプロレス団体からもベルトの製作を依頼される第一人者でした。
このインタビューのラストでパークスは「日本の読者にも綺麗なベルトを作ってあげたいよ。」と結んでおり、同じページに何と「チャンピオンベルトを作りたい方は下記番号までFAXを下さい。インフォメーションをお送りします。」と言う告知が掲載されていました! パークスとの窓口となるのはこの取材を行った日本人記者のJ・Sで、彼はダラスに在住し日本のプロレス雑誌や新聞の依頼を受けて海外での試合をレポートする、業界ではお馴染みの人物でした。

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 ベルト作りの名人、レジ−・パークス、下の告知に
つられたのが運の尽き…

前述のようにその頃は一般ファンがチャンピオンベルトを入手する事などまず有り得ない事でしたので、レプリカとは言えプロのベルト職人が本物と同じクォリティで作ってくれると言うのですから、喜び勇んですぐにFAXを送信した事は言うまでもありません。
これが地獄への入口となるとは露知らず…。

J・Sから折り返し製作出来るチャンピオンベルト(アメリカの主要団体の物が多かった)のリストと価格表が届き、リスト掲載品以外の物も見積もり可能とあったので、猪木信者の私は猪木さんの代名詞とも言えるNWFヘビー級と、そのNWFを返上して世界を統一する事を目的として立ち上げたIWGPヘビー級をリクエストしました。
すると驚いた事にJ・Sから突然国際電話が入り、どちらも3ヶ月程の納期で製作可能と言う事だったので、先ず私が最も好きなベルトであるNWFを注文する事にしました。
代金の半分をJ・Sの口座に送金し、残りはベルトが完成した段階でと言う事でしたので、指示通りに前金を振り込み、それから首を長くして完成の報を待っていたのですが(もう記憶がおぼろげですが途中何度か催促したと思います)なかなか連絡がなく、ようやく再度国際電話が来たのは注文から半年近く経っての事でした。
「レジー・パークスは高齢でだいぶんボケが来ているが、ようやく完成したのでこれから取りに行く(パークスはアリゾナ州ツーソン在住)ので残りの代金を振り込んで欲しい。」との事、私としてはやれやれ、やっと出来たか、とほっとして送金の手続きをしました。
ところが!この時を最後にJ・Sが連絡を絶ってしまったのです!
肝心のチャンピオンベルトは待てど暮らせど届かず、再三再四に渡るこちらからのFAX、国際電話に対しても音信不通、どんどんと時間だけが過ぎて行き流石に呑気な私も焦り出しましたが、相手が海外では気軽に会いに行くわけにもいきません。
困り果てた私は東京へ出張した時に「ゴング」の出版元である日本スポーツ出版社を訪ねました。
正式な社員ではないフリーの海外レポーターが個人的にやったビジネスのトラブルとは言え、告知を載せた出版社にも道義的責任の一端はあるので間に入ってもらおうと言うわけです。
たまたま小佐野景浩記者(現在はフリーで活躍中)がいらっしゃったので、事情をお話しししたら責任を持って対処すると約束して下さり、それからほどなくして同社経由で私が支払った全額が無事戻って来ました。
私が外出していたので出られなかったのですが、小佐野さんは何度か会社にも電話を下さったようで、お詫びのFAXが届いていました。真摯に対応してくださった小佐野さんには本当に感謝しています。
それにしてもあの時、本当にレジ−・パークスの元でNWFが出来上がっていたのかどうかは謎のままですが、もしそうなら何の問題もないはずですから、やはり何か手違いがあったのでしょう。 何の説明もなく連絡を絶ったJ・S、まさか代金をネコババするつもりだったわけではないでしょうが(結果としては同じ事だ)今思い出しても本当にいい加減な奴で社会人以前に人間性を疑ってしまいます。

その後、日本のプロレス界は大不況の暗黒期に突入、「ゴング」「ファイト」は休刊に追い込まれ、海外レポートの仕事が激減したJ・Sは事実上失職、傷心のまま空港の職員に転職したと言う記事を読んだのは、あの一件から5年以上が経過した頃でした。
その時は(あ〜あ、気の毒になあ)と同情しながらも(私もお人好しです 笑)悪いけどどう考えても自業自得だと思ったものです。 人との約束を守る、誠意を持って対応する、どんなビジネスにおいてもこの当たり前の事が出来ない人には最終的にしっぺ返しがあるものなのでしょう。
小佐野記者はそれからもプロレス会場で何度もお見かけしたもののなかなかご挨拶する機会がなく、今年9月に元テレビ朝日のアナウンサーで「ワールドプロレスリング」の実況をしていた舟橋慶一さん(古館伊知郎さんを見出した人)のトークイベントで司会役で来られていた時、イベント終了後、「実は私、もう15年ぐらい前に小佐野さんにお世話になったんです。」と話しかけました。
「えっ?何だったっけ?」と言う小佐野さんに当時の経緯を話すと「ああ、あった、あった!」とすぐに思い出して下さり、私も15年ぶりにきちんとお礼が言えて何か心のしこりが取れたような気がしました。

無事お金が戻って来たのが幸いでしたが、私の夢だったNWFのレプリカはとうとう手に入らず…無念の思いだけが残りました。
21世紀に入って新日本プロレスが突然IWGPヘビー級のレプリカを商品化してくれる事になりました。団体が公式グッズとして発売してくれればトラブルの心配はないし、非常に画期的な事で大喜びですぐに購入したのは言うまでもありません。そして次は待望のNWF!と期待をかけました。
しかし待てど暮らせどNWFが発売される気配はなく、それからさらに長い年月が流れました。
毎年手帳に自分の願い事を書くのを習慣にしている私はずっと「NWFベルトレプリカ入手」書き続けていたものですが、2010年のある日、週刊プロレスをぱらぱらめくっていた私は思わず目を疑いました。猪木さんのデビュー50周年を記念したNWFのレプリカの限定販売の告知が出ていたからです!

NWF(ナショナル・レスリング・フェデレーション=全米レスリング連盟)は1970年頃、米国東部のプロモーター、ペドロ・マルチネスを中心としてニューヨーク州バッファローに本部を置いて設立された独立系団体で、最盛期にはNWA、AWA、WWWF(現在のWWE)に次ぐ勢力とまで言われていました。

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 NWFヘビー級王者として戦い続けたアントニオ猪木

1973年(昭和48年)、旗揚げ二年目で興行の目玉となるタイトルが喉から手が出るほど欲しかった新日本プロレスは、NWFが認定する世界ヘビー級王者のジョニー・パワーズを招聘、12月10日蔵前国技館で猪木さんがタイトルに挑戦して見事に勝利、悲願である世界王座奪取の夢を叶えたのです。
もっともこの頃にはNWFは既に興行能力を失いつつあり、「NWF世界ヘビー級王座」は以後、事実上新日本プロレスの管理するベルトとなり、その後新日本がNWAに加盟した関係で76年8月からは名称から「世界」の二文字が外され「NWFヘビー級王座」となりました。 NWAは自身の認定する王座のみを唯一「NWA世界王者王座」として認定し、加盟団体は独自にタイトルを新設する事は出来ても世界と名乗る事は許されない決まりがあったからです。

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 猪木信者の憧れ、
NWFベルト

世界の冠は外したものの、猪木さんはNWF王者として6年半に渡り王座を保持し続け、途中、タイガー・ジェット・シンとスタン・ハンセンに一度ずつ王座を明け渡したもののそれぞれ数ヶ月以内に奪還に成功、通算での防衛回数は44回にも及びました。
1981年(昭和56年)、猪木さんは世界中の王座を統一する為のIWGP構想をぶち上げ、その信念の元、既成のタイトルであるNWFを返上・封印する事になりましたが、その時猪木さんが「NWFの歴史は新日本プロレスの歴史そのものである。」とコメントたように、このベルトは全盛期のアントニオ猪木を象徴する代名詞なのです。

もう5年も前になりますが、ずっしりと重い(6kgもあるとか)レプリカが届いた時の感動は今も忘れられません。 入手するまでに紆余曲折あり、一度は諦めかけていただけに嬉しさもひとしおでした。願い続けていれば夢はいつか必ず叶うものなのです。
個人的に鷲のデザインのベルトは大好きですが、何と言ってもこのNWFは中央に象られた鷲が秀逸です。しかし子供の頃不思議だったのはこのNWF、「仮面ライダー」のショッカー怪人のベルトとそっくりなんですよね(笑)。
単なる偶然ですが、ショッカー怪人のベルトのレプリカも欲しくなって来ました(笑)。

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長年夢見たNWFを遂に入手!
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(次回へつづく)
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