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社長の経営日誌

孤高の天才 社長の経営日誌 田宮社長が好き勝手に織りなす独白です
  FILE No.647 2019.10.12  

「 噛ませ犬の咆哮(1) 」

先月の初めの事、出社すると札幌のMさんと言う方から手紙が届いていました。
「突然お手紙を差し上げて申し訳ありません。“社長の経営日誌”及び“週プロのフォト自慢”楽しく拝読させて頂いております。熱心な昭和プロレスファンとお見受けしました。
そこで大変恐縮ですが、機会がありましたら新間さんに聞いて頂けないでしょうか?
1977年6月9日、バージニア州ノーフォークで坂口&小林VSシン&上田の北米タッグ戦が行われましたが、同地はミッドアトランティック地区でありNWA主流派のクロケットプロのお膝元で、その三か月前(3月20日)にはグリーンズボロで馬場VSラシクのPWF戦が行われています。何故突然、同地で反主流派の北米タッグ戦が実現したのでしょうか?」
以下、M氏の推理がいくつか書かれてあったのですが、マニアの飽くなき探求心には驚くばかり…まあもし聞ける機会があれば聞いては見ますが、たぶん新間さんも覚えてないでしょうねえ(笑)。
わざわざのお手紙、ありがとうございます。

さて、今回は以前の予告通りまたまた長州力の特集、37年前の今月起こったプロレス史における大事件、長州が藤波に喧嘩を売って革命戦士と化した記念すべき日、82年10月8日の通称「噛ませ犬事件」の検証です。

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 藤波VS長州の名勝負数え唄は80年代を代表する名勝負に

題して「噛ませ犬の咆哮(ほうこう)」…かっこいいタイトル付けてしまいましたが(笑)後で80年代の週刊ゴングに「噛ませ犬たちの咆哮」と言う連載があったのを思い出しました。決してパクリではありませんので(笑)。
もっとも有名なこの事件についてはもはや語り尽くされた感があり、今更私ごとき素人が取り上げるのも正直おこがましいのですが、長い月日の中で事実が曲解している部分もあり重い腰を上げた次第です。前々回の長州特集(FILE No.639参照)と被る部分がある事をご了承下さい。

今回のテーマは4つ、

(1) 長州はリング上で「噛ませ犬」と言ったのか?

(2) 「噛ませ犬」の言葉の言い出しっぺは誰か?

(3) この事件は仕組まれたものだったのか?

(4) 「名勝負数え唄」初戦は事件の前に発表されていた?

まず(1)についてですがこれは前回も書いた通り、リング上で長州が藤波に対し「俺はお前の噛ませ犬じゃない!」と叫んだという伝説は誰かの創作です。
東京スポーツの報道によれば試合中の仲間割れ→乱闘から先にマイクを持ったのは藤波で「長州、おまえはなんで俺に突っかかってくるんだ!何の為だ!戦いたいなら今ここでやろうじゃないか!」
それに対し長州はマイクを奪うと、「俺は今まで耐えて来た!俺もヘビー級の王者だ。なんでおまえの命令を聞かなきゃならんのだ。お前と俺と一体何処が違うんだ。俺はメキシコからの帰り、ずっと考えていた。おまえを叩き潰す!」
このマイクシーンがテレビ生中継の終了後で全国のファンが目撃出来なかった事が「噛ませ犬発言」一人歩きの原因となりました。
実際に「噛ませ犬」なる言葉が世に出たのは月刊ビッグレスラー(82年12月号)での長州のインタビューで、「藤波の噛ませ犬になるのはもうごめんだ」と言う刺激的なタイトルとともに「ここで自分を主張出来なかったら僕は一生“噛ませ犬”のままで終わってしまうんですよ。」と言うコメントが掲載されています。
この言葉は余程インパクトがあったのか、その後、他の雑誌のレポートや古舘伊知郎によるテレビの実況でも使われるようになり、いつの間にか長州がリングで「俺はおまえの噛ませ犬じゃない!」と叫んだ話になってしまったのです。
何十年もの間それを信じ込んでいたこちらとしては、真実を知った時の衝撃は相当のものでしたよ(苦笑)。

ではここで疑問(2)、その「噛ませ犬」は本当に長州自身の言葉だったのでしょうか?
2015年発刊の「真説 長州力」(田崎建太 著)には「新間が創作したという説もあるが、新間は“噛ませ犬なんて言葉は俺からは出て来ない”と否定したと書かれています。
「俺はこの発言を後から読んで、長州は流石は大学出だけあって面白い言葉を知っているなと感心したんだもの。」(新間)
やはり長州自身が思いついたのか…と思っていた矢先、今年6月発売の「証言 長州力」(宝島社)の中で、「“噛ませ犬”の台詞を考えたのは俺だよ。」と永島勝司(当時、東スポ記者)が発言しているのを見つけました!
しかしはっきり言ってこの話は眉唾もの、「真説 長州力」で永島に話を聞いた田崎氏も書いていますが、過去に永島の書いた著書やインタビューなどに目を通すと記憶違いや誤解、一方的な思い込みが大変多く(田崎氏は“とても報道に関わっていたと思えない”とまで!)どうにもあてになりません。

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 事件を報道した東スポに
噛ませ犬の文字はなし

第一、永島が言い出しっぺなら最初に「噛ませ犬」の言葉が載るのはビッグレスラーではなく東スポで無ければ筋が通りません。わざわざ競合相手の記事の見出しになる言葉を考える馬鹿はいないでしょう。
やはり「噛ませ犬」は長州自身の言葉、と信じたいですが、私は大穴として「アントニオ猪木説」を挙げておきます。勿論猪木さん自身がそう言ったわけでは無く何の証拠もありません。それにも関連する話で謎の(3)、そもそもこの事件は仕組まれたものだったのでしょうか?

今でこそプロレスにはアングルと呼ばれる演出がある事を大半のファンが百も承知ですが、この事件もその一つだったとしたら、ショックを受けるファンは多いでしょう。
最初に「噛ませ犬事件」をアングルと書いたのは、2001年末に世に出たミスター高橋による驚愕の暴露本「流血の魔術 最強の演技」でした。
「(前略)長州はメキシコ遠征に出る事になったが、凱旋して一旗揚げようといった意気込みは感じられなかった。むしろ私は、こいつは帰国したら辞めるつもりではないかと思ったぐらいだ。しかしあれほどの実力者をこのまま腐らせるのはプロレス界の損失だと誰もが考えていた。そこで興行会議の席上、猪木さんが提案したのが、藤波との“名勝負数え唄”だった。アングルと呼ばれるプロレスのストーリーはこのように会議の場で誰かが発案し煮詰められていく事もある。(後略)。」
プロレスの仕組みをこれでもかとばかりに明かしたこの本の内容は当時相当衝撃でしたが、絶望した?長州ファンの友人が「あの噛ませ犬事件もやらせだったのかよ!?」と電話して来たのを覚えています(苦笑)。
ここで再び「証言 長州力」の中での永島の話
「長州はメキシコに行ってる頃も全然売れなくて“もうプロレスを辞める”という手紙を俺に送って来た。で、新日本としては藤波を売り出す為にライバルがいるから、その役を長州にやらせてみるかとなったわけ。“噛ませ犬”も“名勝負数え唄”も別に長州がやりたくて考えた事じゃなくて、会社の方針に従っただけの事だから。」
そして当時営業部長だった大塚直樹氏は「真説 長州力」や著書「クーデター」でこのように証言しています。
「猪木社長から“開幕戦の取り組み表はどうなっている?”と話しかけられ、対戦カード(メインは猪木、藤波、長州VS ブッチャー、アレン、ジョーンズ)を渡すと猪木さんは“面白くもおかしくもないなあ。”と呟きました。
私が“長州の凱旋帰国(試合)ですから。”ととりなすと、
“凱旋帰国って言ったってな…。シックスメン(6人タッグマッチ)か。”と黙ってしまいました。
“何かやるのかな?”と予感しながらその場を立ち去りましたが、本番で藤波と長州が仲間割れするのを見て(ああ、こう来たか!)と思ったものです。」
長州が昔、事件からそんなに時間が経っていない時期(多分84年頃)に、ラジオのインタビューで師匠・猪木について語っているのを聴いた事があり、「噛ませ犬事件」に触れて、「(猪木は)口に出して具体的な事は言わないよ。ワインに例えるなら俺は一番良い熟れ具合の時に栓を抜いてもらった。」と言うような話をしていました。
暗に猪木が陰で糸を引いていたと言わんばかりで、この時はまだプロレスにアングルがある事すら知らなかった事、ましてや活字ではなく長州の肉声でそれを聴いた為に物凄く不思議な気持ちになりました。

「真説 長州力」の中で田崎建太氏は何度もしつこくあの事件について長州に尋ね、ようやく長州は重い口を開きました…。

(次回へ続く)
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