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社長の経営日誌

孤高の天才 社長の経営日誌 田宮社長が好き勝手に織りなす独白です
  FILE No.748 2021.9.18  

「 超獣メモリアル(13) 」

(前回からの続き)

87年、念願叶って古巣の全日本マットに復帰したブルーザー・ブロディはこちらも同時期に帰って来たジミー・スヌーカと組んで年末の「世界最強タッグ決定リーグ戦」に参加しました。スヌーカとのコンビでは81年に優勝、85年新日本の「IWGPタッグリーグ戦」では優勝戦をボイコット、翌86年「ジャパンカップ争奪タッグリーグ戦」も出場予定をキャンセルと、とことん腐れ縁です。
「最強タッグ」にはかつての超獣コンビの相棒、スタン・ハンセンがテリー・ゴディと組んで出場していましたので、タッグながら日本のファンが長年待ち望んでいたスタン・ハンセンVSブルーザー・ブロディが実現しました!!(11月22日・後楽園) 結果は両軍リングアウトで決着つかずでしたが試合中何度かあった二人の攻防は迫力満点、シングル対決への機運が高まりました。

翌88年、ブロディは結果としてこれが最後となる3〜4月の「チャンピオンカーニバル」にフル出場、そして次に参加予定だった8月の「サマーアクションシリーズ2」を前に全日本は、8月29日・日本武道館で観たいカードをファン投票で決めると言う画期的な試みを行いました。
こうなるとハンセンとブロディのシングルマッチの1位獲得は必至、蓋を開けてみると案の定そうなりましたが投票が開始された直後、訃報が舞い込む事になり、ファン待望の超獣コンビ対決が実現するはずだった日本武道館は皮肉にも「ブルーザー・ブロディ メモリアルナイト」として開催されたのです…。

早いものであれから33年、今も忸怩たる思いが残りますが、歴史にIFが無いのを承知の上でここからはもしブロディがご存命だったら…を想像してみます。
8.29武道館で実現した夢のシングル、すっきりした決着がつくとは到底思えませんが(笑)当時の全日本はジャンボ鶴田と天龍源一郎の「鶴龍対決」が軸となっており、渕正信選手はインタビューで「馬場さんは最終的には鶴田・ブロディ VS 天龍・ハンセンを考えていた」と証言していました。
実際天龍とハンセンは翌89年にタッグを結成しますが、ではブロディが亡くならなければ88年末の「世界最強タッグ決定リーグ戦」で鶴田とのコンビが実現していたのでしょうか。しかし天龍・ハンセンの合体は最強タッグを目前に阿修羅・原が解雇され天龍のパートナーが不在となった為早まった感もあり、このアクシデントが無ければ鶴田・ブロディ VS 天龍・ハンセン構想はもう少し先送りされていたかもしれません。

皆様ご存知のように天龍が離脱(90年SWSに移籍)した事もあり、90年代に全日本の試合スタイルは180度変わりました。
三沢光晴、川田利明、小橋建太、田上明らが中心となった「四天王プロレス」は場外乱闘、流血戦、反則、不透明決着が排され試合は必ず3カウント(またはギブアップ)で完全決着がつくようになりました。
ジョー樋口が失神する事も無くなり(笑)、ブッチャーですら流血しない…70〜80年代と90年代の試合を見比べると全く違う団体かと錯覚しそうでしたが、ここで私の長年の疑問、この「構造改革」はブロディがいてもなし得たのでしょうか?
自分の試合に口出しされる事を忌み嫌うブロディ、新日本でのトラブルの一因もマッチメイクだったし身体が大きくない選手を見下すブロディが自分より15歳以上も年下の三沢、川田らとクリーンファイトで戦い、負ける姿がどうしても想像出来ません。
だから私はブロディの全日本再離脱はあったと予想します。
90年代になると一気に他団体時代となりましたので戦場には事欠かず、FMW、W☆ING、IWA・JAPAN、大日本プロレスなどデスマッチ系団体ならスタイル的にもブロディが好みそうだし、資金力豊富なSWS(後にWAR)に上がれば天龍との再会マッチが実現していたでしょう。
スタイル的には水と油ですがU系団体なら一番可能性が高かったのはプロレス回帰を打ち出していたUWFインターナショナルで、一度ぐらいはUWFルールで戦うブロディも観てみたかったものです。
そして因縁の新日本、「二度目の復帰」も十分あったと思います。
これまでの歴史を考えればまさかと思う人も多いでしょうが90年代の新日本は東京ドームでの興行を連発、知名度と集客力のあるタレントならいくらでも欲しい状態でしたから、これほどのビッグネームがフリーランス状態なら使わないわけがありません。
それこそアントニオ猪木ファイナル・カウントダウン(94年からスタート)の相手にリストアップされていたでしょう。
そう言えば昭和の最後に亡くなったブロディは東京ドームを経験する事はありませんでした。最もドーム映えした選手だっただけに長い花道や広いアリーナでチェーンを振り回す姿を観たかったです。

どこまでも思い出と夢は尽きませんが、ブロディのテーマ「移民の歌」を聴きながら駄文にピリオドを打たせて頂きます…。

(終わり)
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