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社長の経営日誌

孤高の天才 社長の経営日誌 田宮社長が好き勝手に織りなす独白です
  FILE No.680 2020.5.30  

「 双子の怪物兄弟 」

ようやく緊急事態宣言が一旦解除され、徐々にではありますが戻って来た日常の風景、しかし人間の悪いところは喉元を過ぎればすぐに熱さを忘れてしまう事です。
第二波を警戒し外出先から帰ったら手洗い&ウガイを欠かさない、そして何より免疫力を高める事、予防効果のないマスクをするよりは(あくまで個人の主観)100倍有効ですよ!

5月と言えば私、なんと今月で社長就任20周年を迎えてしまいました。
20年もこんな因果な事をやっているのかとため息ですが(苦笑)大絶賛&大顰蹙となった伝説の雑文「社長10年史」(FILE No.159174参照)をしたためてからもう10年になるのですから時の流れは早いものです。二匹目のどじょうを狙い「社長20年史」でも書きたいところですが(笑)、改めて振り返ると思い出すのは辛い事や苦しい事ばかり、気持ちいいぐらい儲かった時期など短いもので、20年の成績を自己採点すればせいぜい6勝14敗と言ったところでしょうか。プロ野球の監督ならとっくにお払い箱ですが非上場&同族経営の中小企業ゆえ、首をすげ替えられる事もなく(大体オーナーは私だっての!)今日に至っております。
あと一年で当社も創業60周年を迎えますので、初心に帰ったつもりで頑張ります。

さて、5月を振り返ろうにも例によって読書とテレビの毎日だったのでネタも無く、苦肉の策でまたもやDVDネタをお届けします(興味ない方はとっとと読み飛ばしてください 笑)。
今月からは我らが神・アントニオ猪木様のDVDボックスの視聴を開始しました!
この作品は今から10年前、猪木さんのデビュー50周年を記念して発売された全20枚組で、日本プロレス時代の現存する映像から引退までの主要試合を網羅、リング外のお宝映像も満載の超豪華完全永久保存版です。
購入当時に一度観たきりだったので、この機会に改めて最初から観直そうと、一日2〜3試合ずつのペースで観始めましたがなにぶんテレビっ子なもので、映画やドラマも並行して視聴していますのでなかなか大変(苦笑)、猪木さんの60周年(9月30日)までの完走を目標としています。それにしても1969〜70年のドリー・ファンク・ジュニア戦、ジャック・ブリスコ戦など日本プロレス時代の試合映像を観ると、私がリアルタイムで知っている80年代の猪木さんの試合とは随分違って見えます。
黒のタイツでタイガー・ジェット・シンやスタン・ハンセンらラフ&パワー・ファイターと戦い、延髄斬りを多用していた時代と違い、オレンジタイツで若獅子と呼ばれた20代の猪木さんは正統派のテクニシャン、ドリー戦など50年経った今観ても究極の名勝負です。この時代を知っているオールド・ファンは「アントニオ猪木の真の全盛期は日本プロレス時代」と口を揃えるのがよくわかります。

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 キミは知っているか!?
これが伝説のマクガイヤー兄弟だ!

しかし今更ドリー戦だ、ストロング小林戦だ、アリ戦だと誰もが知っている超・有名な試合を紹介しても仕方ないので、へそ曲がりな私としてはどうせなら思いきりキワモノの邪道マッチ?マクガイヤー兄弟戦の話でもしましょう(笑)。
これまた私より年上のオールドファンには懐かしい、二人併せて体重630Kg(!!)の二卵性双生児のデブ兄弟、プロレスよりも世界びっくり人間コンテストに出て来そうな(実際同番組で紹介されたらしい)二人の初来日は1974年(昭和49年)の新日本プロレス「新春黄金シリーズ」でした。

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 試合はもっぱら5〜6人相手のハンディ戦

この時私はまだプロレスを観ていませんでしたが、調べるとシリーズ中に猪木さんはタッグマッチで二度、この兄弟と対戦しています(*一度目は柴田勝久、二度目は坂口征二とのコンビ)。
二人はちょうど一年後となる75年(昭和50年)の「新春黄金シリーズ」に再来日、私が金曜夜8時の「ワールドプロレスリング」を観始めたタイミングとどんぴしゃり重なりました。
私がプロレスを知ったのは幼少の頃に観たアニメの「タイガーマスク」でしたが、本物のプロレスの原体験はマクガイヤー兄弟だったのです(笑)。
ストロングスタイルをスローガンとする新日本プロレスだけにこの年のシリーズでも猪木さん自身が前面に出る事は無く、もっぱら若手や中堅選手5〜6人を一度に相手にするハンディキャップマッチで観客を沸かせていましたが、ある日のテレビで番組の最後に流れた次週予告のテロップに仰天しました。
「アントニオ猪木 VS マクガイヤー兄弟」!!
他の選手が5〜6人がかりでも勝てない相手に猪木は一人で立ち向かうのか!?
猪木さんは後に新国際軍団(ラッシャー木村、アニマル浜口、寺西勇)と3対1で戦いますが(82年&83年)、その7年も前に変則タッグ戦を経験していたのです。

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 アントニオ猪木は果敢にも一人で立ち向かう。

とにかくまだ小学3年生(4年に上がる目前)の私にとってのアントニオ猪木はウルトラマンや仮面ライダーと同じ不死身のヒーローだったので、猪木なら一人でも勝てる!と信じ翌週のテレビを楽しみに待ちました。
最近私より年上の友人から聞いた話ですが、実は当初は2対1ではなく、猪木さんと双子の兄のベニー・マクガイヤーとのシングルマッチが発表されていたとの事、それがシリーズの流れの中で猪木さんが「二人まとめて退治してやる!」と大見得を切りカード変更になったのだそうです。45年目にして初めて知る新事実ですが、これも後の国際軍団の時の「三人まとめてやってやる!」と同じ展開ですね。
決戦の舞台は大田区体育館(75年2月6日)、試合は苦戦の末に猪木さんの快勝(6分14秒で兄ベニーを体固め)で、私はテレビの前で拍手喝采でしたが、この試合の映像はテレビ局にも無く、当然DVDにも未収録なのです(涙)。
もう一度観たいとずっと願い続け、随分前から親しいファン仲間に声をかけたりした事もありましたが、今回ひょんな事から動画を発見・入手する事に成功しました!
前述のようにTV版は現存しませんが、なんと、観客が会場で8ミリで撮影した映像があったのです! 数分間に編集した無音声の映像ですが、まさかもう一度観られると思っていなかったので感動しました(涙)。

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 巨体に苦しむも逆転勝利!(当時の雑誌より)

やはり思い続ければ夢はいつか必ず叶う、決して諦めてはいけないと感じました。
この試合のフィニッシュですが、私の中のイメージでは猪木が兄弟を同士討ちさせて、一人が倒れた上にもう一人を載っけて自滅させた、とずっと思い込んでいましたが、45年ぶりに観た映像では実際には、ベニーが猪木を羽交い締め → そこへ弟のビリーが突進を狙うも猪木が大きくジャンプして両足でキック → よろけたビリーがロープに絡まって動けなくなる → 猪木が孤立したベニーを巴投げ(残念ながらこの部分は未収録) → すかさずトップロープに上がりダイビングニードロップを投下して3カウント!
私の記憶とぜんぜん違うじゃないか(苦笑)!やはり45年の歳月はとてつもなく長いです…。

残念ながら映像にはありませんが、マクガイヤー兄弟と言えば名物はその入場シーンでした。何しろ10m歩いただけで息切れする二人なので、いつもホンダのミニバイクに乗って入場しており、これがまたユーモラスでファンにバカ受けしていました(笑)。
時は流れ90年代、全日本プロレスの常連外人だったジョニー・エースの入場テーマ(キックスタート・マイ・ハート)のイントロに凄まじいバイクの爆音が効果音として使われていましたが、日本武道館だったか後楽園ホールでエースの入場時にこれを聴いた私の近くの客が「おっ、マクガイヤー兄弟か!?」これには思わず腹抱えて大笑い、そんな古い話、誰もわからないよ!とつっこむところでした(笑)。

その後のマクガイヤー兄弟は79年、不幸にも弟ビリーがバイクで事故死(享年33歳)、兄のベニーも2001年に54歳でお亡くなりになったとの事ですが、まだ創成期でスター不足だった新日本プロレスの観客動員やテレビ視聴率にも貢献してくれた二人に改めて感謝です。

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 一昨年、花ちゃんとの最初で最後のツーショット

緊急事態宣言解除後もまだまだ続くネタ不足、果たして来週はどうなる!?

追伸 5月23日に逝去された木村花選手のご冥福を心よりお祈り致します…。

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