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社長の経営日誌

孤高の天才 社長の経営日誌 田宮社長が好き勝手に織りなす独白です
  FILE No.627 2019.5.25  

「 レッスルマニア(15) 」

(前回からの続き)

 4月5日(金) 

時差ボケであまり眠れなかったニューヨーク二日目、この日も朝からハードスケジュールでしたが今回は「レッスルコン」の開催場所であるヒルトンに宿泊したのが大正解、何しろエレベーターで降りるだけですから移動がラクチンでした。
チャンピオンベルト3本に友人から預かった賞状入り額縁を持ち込む為、歩ける距離にも関わらずタクシーを使った去年とは雲泥の差(苦笑)、今更ながら去年ヒルトンに泊まらなかった事を後悔しました(遅いっての!)
しかも同ホテルには「レッスルコン」参加のレジェンド勢も多数宿泊しており、この日も朝食時にボブ・バックランドやエリック・ビショフと遭遇し朝からテンションが上がりました。
例年「レッスルマニア」の季節は汗ばむ陽気の事が多く、ダラス、オーランド、ニューオリンズと過去の写真を見返すとTシャツ姿で写っている事が殆どですが、今回はニューヨークとあって用意する衣類には悩みました。
例え4月でも特に朝晩は冷え込むだろうと、ダウンジャケットやらパーカーを多めに持って来たのでそれだけでスーツケースは一杯、やはり今年はベルトを持参しなくて正解でした(笑)。

毎年多数のレジェンドが参加する「レッスルコン」ですが、公式サイトで事前に参加メンバーをチェックしていて“巨鯨”キングコング・バンディの名前を発見した時は狂喜乱舞しました。
85年の新春黄金シリーズに初来日、名古屋&大阪で猪木とボディスラムマッチ(先に相手をボディスラムで投げた方が賞金獲得)で対戦した強豪、長い間消息不明だったのでまずご健在だった事に喜び、今回お会い出来るのを楽しみにしていましたが…ああ何と言う事、私の渡米わずか一か月前(3月4日)に急死されるとは(涙)!!

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 会いたかった!キング
コング・バンディ(涙)

当時の古館伊知郎アナの名調子「戦う白長洲鯨」「マシュマロマン」が記憶に蘇る…ご冥福を心よりお祈りいたします。

さて、朝の9時からスタートした「レッスルコン」、今回初めてお会い出来た方を何人かご紹介しましょう。
先ずはUWF旗揚げ戦での前田日明の対戦相手として日本マット史に名を残す?ダッチ・マンテルです。一昨年話題を呼んだ「1984年のUWF」(柳澤健 著)の中で引用されたマンテルの自伝でこの試合での前田のシュートぶりが暴露されて(前田は否定)話題になったのは記憶に新しいところですが、私がカタコトの英語で「昔、マエダとの試合を観た。」と話を振ると途端に顔をしかめ「キックがモロに顔面に入って気を失った。」(身振り手振りからそう判断)…やはり「1984年のUWF」の記述は正しかった!?
因みに同書で紹介のマンテルの自伝も売っていましたが洋書なので購入は見送りました。どうか日本語翻訳版の出版を!(100%無理だろうなあ。)
次期NWA世界王者の最有力候補と言われながら86年10月に交通事故を起こして重傷を負い選手生命を絶たれた悲運のヒーロー、マグナムTAも来場されていました。
未来日に終わったのが返す返す残念ですが、足が不自由な以外はすこぶる元気そうで良かったです。

参加メンバーは事前に公式サイトで発表されるものの、掲載されるのは昔の写真なのでマンテルやマグナムもそうでしたが、いざお会いしても風貌変わり過ぎで誰だかわからないのが常、なかでも(この人は果たして誰!?)とこの日最も悩んだ人がいました。
名前を聞くのも失礼なので、机の上の販売用の若かりし頃のポートレートをそっとチェックすると…あっ!ビリー・ジャック・ヘインズ!?
85年に新日本プロレスに初来日(奇しくもキングコング・バンディと同じ年)、単独で週刊プロレスの表紙にも登場した(当時の表記はビリー・ジャック)「未知の強豪」、まるで別人でさっぱりわかりませんでしたが「ユーは日本人か?」、そして「アントニオ・イノキ、ピーター・タカハシ」と盛んに日本を懐かしがっていました。

ベイダーのご子息(ジェシー・ホワイト)が本物のベイダーの甲冑を被らせてくれるコーナーもあり(もち有料 笑)私もトライしましたが…ある程度予想はしていたものの先ず重さにびっくり!とても素人が一人では着脱不可能なシロモノで、さらに被ると視界が殆ど無いに等しく、本家ベイダーはよくこれで歩けたものだと関心しました。
88年に新日本プロレスが「本物のベイダーの甲冑を抽選で1名様にプレゼント」という企画をやった事があり、確か試合チケットの半券を2枚だか3枚集めて応募する形式でしたが、私は当選者の発表を見た記憶がありません。
帰国後、筋金入りの藤波マニアの根本さんに確認すると流石、この企画の存在はご記憶でしたが、やはり当選発表は無かったはずとの事…当選者は存在するのか?それとも企画自体が中止になったのか?いずれにせよ、初期オリジナルの甲冑が日本国内に一つは存在する!?
情報をお持ちの方、是非教えてください。

前回書いたように日本人選手が大挙襲来のニューヨーク、この日の会場にも何人かが参加しており、前夜のDDTでもお会いした日本のプロレス大好き、クリス・エリクソン氏も大喜びであちこちに並んでいました(笑)。
開場して一時間ぐらい経った頃、入り口から“大将”大仁田厚選手が入って来ました!

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 両膝を人工関節にした大仁田選手は衝撃の写真を公開(大仁田厚公式ツイッターより)

ご挨拶するとよもやアメリカにまで出没した私に面食らっていましたが(笑)大喜びでガッチリ握手、やはり異国で日本人選手に会えるのは嬉しいです。
2月に両膝の人工関節置き換えの手術を行った為に本来出場予定だったこの日の夜の試合はキャンセル、イベントの為だけの渡米でしたが7月にはデビュー45周年記念大会も決定、あまり無理せずリハビリに専念して欲しいものです。

翌日にはMSGの大会を控えた新日本プロレスが、この日は同会場で前夜祭イベントを開催、栃谷夫妻はそちらへと流れましたが、午後からこちらの「レッスルコン」にも何人かの新日本勢が顔を出してくれました。
しかもサインが10ドル、写真が10ドルと良心的価格! それもMSGイベントの方に人の手がとられている為か、こちらにはスタッフがおらず、棚橋選手を筆頭に選手が直接その場で料金の受け渡しやっていましたよ(日本ではあり得ない光景 笑)。
柴田勝頼、SHO&YHOとの撮影には成功しましたが棚橋選手は凄い長蛇の列で、お昼も食べていない(この時点で確か15時近く)私は空腹と疲れでギブアップ、ホテルの売店で買ったサンドイッチと果物を部屋で食べて小休止しました。
それにしても昨夜のDDTでも思ったのですが、日本の団体に所属する日本の選手が日本よりアメリカの方が写真やサインがもらいやすい(ハードルが低い)というのは何だか複雑な気分です…。
この日の超豪華ツーショット集はこちらをクリック

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 あいにくの小雨の中、
バークレイズ・センターに到着
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 一万人級の会場が
フルハウス

夜はバークレイズ・センターで行われたNXTのビッグマッチ「テイクオーバー」の観戦に出かけました。
この日の夜は他にも大仁田選手が出場予定だったインディーの試合やスターダムの大会も行われており、何処に行こうか直前まで迷いましたが、大仁田選手欠場も相まって昨年同様NXTを選択、会場には車で2〜30分で到着しました。
試合の途中、コーラでも買おうと売店でお金を払おうとしたら「ノー」の返事、なんとこの会場、現金は一切取り扱ってなくカードのみの対応だったのです。
幸いカード持ってたから良かったのですが、現金が駄目とは驚きました。
普段NXTの試合映像をチェックしていないので、正直選手の名前と顔も一致しない状態での観戦でしたが、やはり注目したのはスターダム出身、宝城カイリ(現在はカイリ・セイン)と紫雷イオ選手の試合、前述のように奇しくもこの日、同じニューヨークで古巣のスターダムも大会を行っていましたが、日本の選手がアメリカで大舞台に上がっている事が何とも感慨深かったです。

19時スタートの大会は22時半頃終了、帰りは席が別だった栃谷夫妻と再合流しウーバーで車を呼び家路に着きました。
今年から大阪でも使用可能となったこのウーバー、特に海外では大変重宝で今回も何度となく利用しましたが、こちらのドライバーさん迎えに来る時にわりと気軽に?場所確認の電話をしてくるので、いささか戸惑いました。聞き取りにくいうえに言葉はわからない、連絡はせめてメールにしてください(苦笑)。

長い一日の終わり、まだ時差ボケが残っていましたが、睡眠導入剤を服用してベッドに潜り込みました…。

(次回へ続く)
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