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社長の経営日誌

孤高の天才 社長の経営日誌 田宮社長が好き勝手に織りなす独白です
  FILE No.557 2018.1.20  

「 1976年の太田裕美 」

2007年の1月20日に産声をあげた当ブログはおかげさまで本日、11回目の誕生日を迎える事が出来ました。
連載回数は今回で557、我ながらよく続いたものと自分で自分を誉めてあげたい心境(古いね 笑)…直近のアクセス数を報告させて頂きますと、2016年は月間平均が1725でしたが、2017年5月には2329と久々の2000大台突破、以降もコンスタントに2000台をキープし、9月には何と!2614と過去最高を記録しました!
9月は土曜日が5回あった影響でしょうが、ただの無名の包材屋のブログでこの数字は自分でも驚きです。
但し読者は近年すっかりプロレスファン比率が高まっているようで(苦笑)、試合やイベント会場で一面識も無い方から「ブログ読んでいます。」と声をかけて頂いた事もあります。
今やすっかり名ばかりになった「経営日誌」(笑)、今年も我が心の目標「打倒こち亀」を目指します。

そしてこの1月20日は我らが「歌姫」、太田裕美さんの誕生日です!
11年前にホームページをリニューアル、その目玉商品(?)としてブログをスタートさせる時期がたまたま1月中旬になったので、裕美さんの誕生日に1回目を被せました。
当時の文中ではそんな事には全く触れていませんが、記念すべき日にスタートを切れた事がこのブログの長寿の秘訣ではないかと思っています。
何度か書いていますが、1978年(昭和53年)、中学1年生の時に私は裕美さんのファンになりました。…と言う事は今年はファン歴40周年じゃないですか!
裕美さんの歌手デビューは1974年11月1日、テレビっ子だった私は当時から裕美さんの存在自体は知っていました。
翌75年末に裕美さんが細川たかしさんや岩崎宏美さんらとともにレコード大賞を始めとした新人賞レースで争っていたのも観ていましたし(今思えばこの年は大物続々デビューの凄い年だった)、76年に4枚目のシングル「木綿のハンカチーフ」(75年12月21日発売)が国民的大ヒットになったのもリアルタイムで知っていますので、普通ファンになるならこのタイミングのはずですが、当時は別段興味がありませんでした。
何分こちとらまだ小学生、プロレス、プロ野球、漫画、興味の対象は他にも沢山あり、アイドルにハマるまで行かなかったのです。
それから2年後、中学生になった頃ようやく人並みに色気づき(笑)、遅まきながら裕美さんにのめりこんで行った…以上がこれまで私が信じていた「ファンになった経緯」の定説ですが、冷静に考えるとこれもちょっとおかしいんですよね。
思春期になってアイドルのファンになるなら、ちょうどそのタイミングで出て来た人を好きになりそうなものなのに、何故何年も前から知っていた裕美さんに今更ながら惚れたのか? 愛読していた「こち亀」に裕美さんが登場していた事も影響しているかもしれませんが、子供心に自分でも気づかぬうちに潜在意識の奥底に刷り込まれていたのかもしれません。いずれにせよ中一の夏のある日、何故か突然私は家族の前で「俺は太田裕美のファンになる」と宣言、当時裕美さんが歌っていた「ドール」(78年7月1日発売)
(FILE No.438参照)のレコードを買いに行きました。
小学生の頃、母親にアグネス・チャンや山口百恵を買ってもらった事はありましたが、それは生まれて初めて自分のお小遣いで買った女性アーティストのレコードでした。

アイドル歌手の黄金時代だったあの頃、一方でフォークソングも若者の支持を集めていました。もっともフォークシンガーの活動はあくまでコンサートとレコーディングが主体で、テレビに出演する歌手とは一線を画していましたが、そんな時代に彗星のように登場した裕美さんは学園祭やライブハウスなどでフォークシンガーと共演する一方、テレビやラジオにも出演と幅広い活動を展開する異色の存在でした。
コンサート会場ではフォークシンガーから「昨日テレビにも出ていたよね?」と言われたり、テレビの現場では「裕美ちゃんってフォークの人とコンサートもやってるんだね。」と不思議がられたと言う当時の裕美さん、これは「デビューが21歳になる直前でアイドルとしては決して若くないので、アイドルとフォークの中間層を狙っていこう」という担当ディレクターの方針によるものでしたが、おかげで裕美さん自身「両方の架け橋になれた」と自負しているそうです。
それにしても年間100回以上のコンサート、レコーディング、テレビ、ラジオにも頻繁に出演と果たして寝る時間があったのか…しかもデビューから3年間の裕美さんは埼玉県春日部の実家から通いだったのですよ!
これは芸能界入りに難色を示したお父さんが「自宅からの通いなら」の条件で渋々認めた事によるものでしたが、巷では「木綿のハンカチーフ」が大ヒット中にその歌い手が朝の通勤ラッシュの電車に乗っていたのですから、皆びっくりしたでしょうね(笑)。

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 頻繁にグラビアに登場
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 まさに元祖ぶりっ子!?
但し水着写真はNG

写真はネット・オークションで入手した当時の雑誌類ですが、「自分はアイドルじゃない」と言いながら、こうして見ていると結構アイドルしているなあと(笑)…但しお気づきかもしれませんが、アイドルの定番と言える水着の写真を公開した事は一度もありませんでした。
私がファンになった後の79年頃だったか、裕美さんがラジオに出演してこんな話をしていたのを記憶しています。
司会「男性週刊誌から、水着の写真を撮らせて欲しいと依頼があるんじゃないですか?」
裕美「以前は多かったけど、ずっと断っていたので最近は諦めたみたい(笑)」
司会「それはやはり抵抗があるのですか?」
裕美「仕事で水着になるのは抵抗があります。プライベートで泳ぎに行ったら当然水着ですよ(笑)。」

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 「プレイボーイ」
(76年7月27日号)

ファンクラブ会報のインタビューでも「嫌いな仕事は?」の質問に「歌わない仕事」と答えていたり「バラエティやお笑い番組などのコントも苦手だった」、当時のマネージャーによる「裕美さんは「8時だよヨ!全員集合」の体操のコーナーが不得手だった。」との証言もありました。
まだコンサートにも行けない中学生の私にとって裕美さんは文字通り「テレビの中の有名人」、出演番組は欠かさず観ていましたが、裏では様々な苦労があったのです。
水着の非公開に当時はいささか複雑な心境でしたが(苦笑)、そこには「自分はあくまでシンガー・ソングライター」と言う裕美さんなりの矜持や信念があったのでしょう。

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 「プレイボーイ」
(76年3月30日号)
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 猪木VSアリ決定で日本中が騒然…

裕美さんが表紙の「プレイボーイ」(76年3月30日号)をパラパラ捲っていると、おおっ!「6月にアントニオ猪木とモハメド・アリ戦が決定」の記事を発見しました。
そしてこちらは猪木さんが表紙の「アサヒグラフ」(76年5月21日号)、この時期はいよいよ世紀の一戦まであと一ヶ月、日本中が騒然としていましたが、こちらのグラビアには「木綿のハンカチーフが大ヒット中」と裕美さんの特集記事がありました。
ここでこの年の年間ヒットアーティスト、つまり歌手別のレコード売上枚数ベスト3の発表…第3位は岩崎宏美、第2位は山口百恵、そして栄えある第1位は裕美さんだったのです!百恵ちゃんを抑えての1位ですからこれは快挙だ!!
…42年も前の話で一人興奮してすみません(笑)、しかしあの頃、猪木さんも裕美さんも「時代の寵児」であった事を実感しますし、42年が過ぎた今も猪木さんは政治家として活躍、裕美さんは歌い続けている事が本当に感慨深いです。

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 「アサヒグラフ」
(76年5月21号)は「時の人」猪木さんが表紙

「1976年のアントニオ猪木」(柳澤健著)があるので何方か「1976年の太田裕美」を書いてくれないでしょうか(笑)。

遅まきながら私がファンになった78年以降は人気もピークを過ぎ、詳しくは稿を改めますが「木綿のハンカチーフ」があまりにも売れすぎた為、裕美さん自身その呪縛で苦しむ事になります。
中学時代の同級生たちはピンクレディー、大場久美子、石野真子、榊原郁恵…etcのファンが多勢を占め、太田裕美ファンの私はいささか肩身の狭い思いをしていましたが、一方でお世辞にも歌が上手いとは言えないアイドルに夢中になっている連中を尻目に内心

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 「木綿のハンカチーフ」で一世を風靡中の裕美さんがグラビアに

「俺はおめ〜らと違うんだ」と優越感に浸っていました(笑)。
そして40年後の現在、未だテレビドラマなどで見かけるタレントさんもいますが、当時の可愛いらしさ、当時の歌声のままで歌っている(多少贔屓目あり? 笑)のは裕美さんだけ、我ながら先見の明があったとほくそ笑んでいます(笑)。
コンサートに行く度、今も変わらぬ歌声が聴ける幸せを噛み締めていますが、裕美さんだって人間、いつか必ずマイクを置く日が来ますので、その日まで常に「一期一会」の精神で追い続けたいものです。
私がライフワーク?としている「打倒こち亀」ですが、今思えば「こち亀」に裕美さんが登場していた事も何か暗示的です…。

この駄文をまとめた締め切り直後、またもネット・オークションでとんでもない珍品を発見! 「さくらんぼ通りのポピーちゃん・ひろみちゃんプチオリジナルポピー」って、な、なんじゃ、こりゃ〜!?

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 超珍品!ひろみちゃん
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昔、「ドレミアグネス」「ドレミ真理ちゃん」とかいうアグネス・チャンや天地真理のチャリンコ(近所に乗ってるガキがいた 笑)や、ピンクレディーのおしゃれセットなんてのがあったのは覚えていますが、まさか、裕美ちゃんのこんなおままごと用玩具があったとは!パッケージを開けるのが勿体無いので、外から見ただけですが、中はマイクとシールと指輪とネックレス、極めつけは木綿?のハンカチのセットでした。
う〜ん、やはり「1976年の太田裕美」はばりばりの正統派アイドルだ〜っ(笑)!?

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