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社長の経営日誌

孤高の天才 社長の経営日誌 田宮社長が好き勝手に織りなす独白です
  FILE No.640 2019.8.24  

「 革命戦士の最後(2) 」

(前回からの続き)

“革命戦士”として一躍時の人となった長州力、牙を剥いた相手、藤波辰巳(当時)との抗争はエスカレートし時の勢いで遂に宿敵から悲願のフォールを奪いWWFインターナショナルヘビー級王者となりました。(1983年4月3日、蔵前国技館)
試合後の歴史的名言(噛ませ犬宣言と違いこちらはほんと!)
「俺の人生にも一度くらい幸せな事があってもいいだろう。」
人生の中で一度も幸せを実感した事がない私も、死ぬまでにこんな言葉を言いたいものです(苦笑)。
それにしても長州語録は何故にこんなにも名言が多いのか?
「キレてないですよ。」(長州小力により有名に、実際には「キレちゃいないよ」)
「お前に俺の何がわかるんだ!」(これもテレビのバラエティでお馴染み)
「それがお前のやり方か!?」(橋本VS小川、99.1.4事変)
「またぐなよ!」(大仁田厚に対して)
「何がやりたいんだコラ!」(橋本真也とのコラコラ問答)…etc
歴史に残るフレーズはそのまま長州が時代を築いて来た事の証しです。

藤波、そして師匠・アントニオ猪木との戦いに一区切りを付けた長州は84年、維新軍団の仲間たちとともに新組織ジャパンプロレスに電撃移籍、85年からジャパンが業務提携する全日本プロレスへと戦場を変えました。
(FILE No.507509「1984年の新日本プロレス」 参照)
新日本プロレスと全日本プロレスの事実上2団体、しかも両者の間にとてつもなく高い壁がそびえ立った時代に起こったナンバーワンの人気選手の移籍は、プロレス界の勢力分布図を塗り替えるほどの大事件でした。
ジャンボ鶴田や天龍源一郎らとの夢の対決を実現させ、全日本マットも席巻した長州でしたが二年後の87年、今度は新日本復帰というまさかの騒動を引き起こします。
観客動員・テレビ視聴率とも不振に喘いでいた新日本が水面下で復帰要請をした結果でしたが、勿論全日本も企業防衛の為、長州を契約でがんじがらめにしていました。
さらにそれだけでは無く、この頃は既に新日本と全日本の間でお互いの所属・契約選手(日本人・外国人を問わず)のリストを交換し、記載されている選手には手を出さない、もし引き抜いた場合はその選手の年俸の5倍を違約金として相手側に支払わなければならないという「引き抜き防止協定」も締結されていたのです。
相次ぐ引き抜き合戦によるギャラの高騰にお互い疲弊した事により生まれた不可侵条約でしたが、前述のような興行不振で喉から手が出るほどスターが欲しかった新日本は、なりふり構わず協定を無視、後ろ足で砂をかけて出て行ったはずの長州の一本釣りに走りました。
かくしてジャパンプロレスは長州と共に新日本に戻る者と全日本に残留する者の真っ二つに分かれ事実上の解体、もっとも契約に縛られた長州は簡単にはリングに上がれませんでした。

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 長州、2年半ぶりの新日本殴り込み!

事態収拾の為に馬場と猪木の頂上会談が実現、具体的な中身はシークレットだったものの馬場は猪木に引き抜き防止協定の順守を迫り、猪木は長州を新日本に上げたいの一点張りだったと伝えられます。やがて二人は「契約は守らなければならない、但し犠牲者は出さない」と声明文を発表、6月には半ば見切り発車的に長州の約3年ぶりの新日本カムバックが実現しました。
流石に新日本にも年俸の5倍の違約金を払うだけの余裕は無く、この年の後半、引き抜き防止協定のリスト上では新日本側だったものの既に契約切れのブルーザー・ブロディとアブドーラ・ザ・ブッチャーの全日本復帰を認める事で長州とのバーターとしました。
二度に渡る契約破りで新日本と全日本を往復した長州、とても他のスポーツでは考えられず、社会通念上も許されない事ですが、団体及びバックのテレビ局が大金をはたいて(時には違約金を払ってまでも)人気選手を獲得し周期的に起こる移籍騒動がプロレス界を活性化させたのも事実でした。
紆余曲折ありながらも新日本のリングでのカムバック第一戦(87年6月1日 名古屋 長州、マシンVS坂口、高野)を終えた長州はこんなコメントを残しています。
「この数か月間俺がやって来た事を正当化するつもりは一切無い。だが今日まで俺を信じて待ってくれていたファンには心から感謝する…。」

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 長きに渡りプロレス界の
第一人者であり続けた

長州は平成に入ると「出戻り」の身分ながら現場の責任者であるブッカー&マッチメイカー(マスコミは現場監督と呼称)に就任、Uインターとの対抗戦などの大ヒット企画を連発しプロデュース面でも非凡な才能を発揮し、90年代のプロレスバブルの立役者となります。
98年1月4日の東京ドームで現役を引退、当時46歳でしたが長州は昔からそんなに長くやるつもりはないと公言していたのでさほど驚きませんでした。
86年の秋、長州は(当時35歳)学園祭の講演でこんな事を語っています。
(学生がテレビで年老いたファンクスの試合を観て、長州さんもいずれこうなるのでは?と質問)
「ああ、それは大丈夫。自分はアマチュアレスリングから始めてスポーツ選手の引き際ってのがわかっているから…。今のBI(馬場&猪木)みたいにズルズル続ける感覚は全く無い。その点は心配しなくていいよ。」
この講演を聴きに行っていた知り合いの大の長州信者の女性が「長州さんは40歳までに辞める!」と常日頃から言っていたので、46歳での引退はむしろ予想より遅かったとすら感じたものです。
一度リングを降りた長州でしたが、二年後大仁田厚の挑発に引っ張り出されまさかのカムバック!(2000年7月31日 横浜)
それから19年、67歳になるまで頑張るとは果たして誰が想像出来たでしょうか?

後楽園ホールで行われた今度こそ本当のファイナルマッチ、4年前に天龍の引退試合(FILE No.450参照)が両国国技館だった事を思えば、長州ほどのビッグネームなら同じく両国クラスのハコでやっても良かったはずですが、当の長州自身が頑なに拒否したそうです。
そこにはやはり「二度目の引退」という事である種の遠慮があったようですが、予想通り後楽園では器が小さ過ぎてチケットは前売りで全て完売、急遽全国27の映画館でもライブビューイングが行われる大ヒット興行となりました。

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 金山の日本特殊陶業市民
会館
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 名勝負数え唄の象徴、WWFインターヘビーの
レプリカを持って
藤波&LEONA親子と!

私は前日の名古屋・金山の日本特殊陶業市民会館にて行われた、太田裕美さん出演の「ファンタスティックライブ2019」(二回公演)に参加、名古屋駅のホームにて裕美さんご一行をお見送りしそのまま裕美さんと同じ「東へと向かう列車」に飛び乗って上京しました。
試合当日の後楽園はまさに人・人・人…最近の後楽園の興行ではロビーの隣りの展示場をグッズ売り場に使うのが普通なのに、こんなに客が多い日に限って予算をケチったのでしょうか?この日はロビーのみの使用でマジで将棋倒し寸前でしたよ。
オープニングマッチに出場した杉浦透(FREEDOMS)がラリアットを放つ寸前、肘にしていたエルボーガードを投げたら私の足元に転がって来ましたのですかさずゲット、これってマスカラスのオーバーマスク以来5年ぶりの快挙!? いつか杉浦選手にサインを入れて頂きます(笑)。
注目のメイン、革命戦士の最後はかつての付き人・真壁刀義のキングコングニードロップ4連発による介錯でした。
試合後はこれも長州の意向で10カウントゴングは無し、いつものようにそそくさと引き上げるのも長州らしくていいなと思っていましたが、流石にこの日はマイクを握りました。最愛の奥様を自らリング上に呼びこんだのにも驚きましたが、「もう私はここまでです。今からUターンして家族の元へ帰ります。」と語った時の柔和な表情から、長い戦いを終えて一人の男に戻った事の安堵感が伝わって来ました…。
長州力ファイナルマッチはこちらをクリック

同じ月の末には毎年恒例、WWEの両国連戦にも行って来ました。
土曜日の二日目は朝からイベントラッシュ、八丁堀でバロン・コービン、渋谷でリコシェの撮影会、さらには日本橋三越に藤波さん(今週二度目!)、上野のマルイでの消防イベントには蝶野さんと夜の試合を含めると史上初の5イベントはしご成功(笑)!
肝心の試合の方ですが、WWEと言えば近年うるさくなったカメラ問題、初日は何も言われなかったのに二日目の途中から突然場内係員たちが「プロフェッショナルカメラ使用禁止」の紙を持ち出し、一眼レフを使っていたら注意されました。周りを見渡すと一眼レフ組は皆、流石に観念してスマホで写真を撮っていましたが、おいおい本国はともかく日本に来たら郷に入っては郷に従ってくれよ!写真撮れないなら次回からは無理してお高いリングサイドを買わず、二階で観させて頂きます。
なんかすっかりテンションが落ちてしまいましたが、帰りの人ごみの中で何と!お坊ちゃまを連れたゆずポンに会えました!! 挨拶程度の立ち話をしただけでしたが現金なもので一旦落ちたテンションが再び上がりましたよ(笑)。
6月最後の日である翌日曜日は後楽園でDDT,全日本が昼夜興行、間に秋葉原でケンドー・カシンの自伝即売会にも参加しました。
DDTでは売店のサイン会に沙希ちゃん登場、嬉しい事にDDTも少し改善されて?この日の売店はワンショットが解禁、グッズ買い貯めして4枚も撮らせて頂けました(笑)。
6月29〜30日ツーショット集こちらをクリック
赤井沙希ちゃんワンショット集 こちらをクリック
DDT 後楽園大会 こちらをクリック
全日本 後楽園大会 こちらをクリック


長州さんとのツーショットの機会は過去三度ありましたので、最後に掲載させて頂きます。
革命戦士の栄光は永遠なり…。

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2017年12月大阪にて  2018年5月福岡にて
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