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社長の経営日誌

孤高の天才 社長の経営日誌 田宮社長が好き勝手に織りなす独白です
  FILE No.636 2019.7.27  

「 浪速のロッキー2世(1) 」

じめじめした毎日(これ書いてるの7月初め)で不快指数は100%、こんな時こそ爽やかな話題を、というわけで前々からじっくり書きたかった赤井沙希ちゃんの大特集です。
皆様ご存じの通り沙希ちゃんのお父上はかつて“浪速のロッキー”と呼ばれた元プロボクサーで現在は俳優・タレントとして大活躍の赤井英和さんです。
ある人が「あのお父さんからよくあんな綺麗な娘が生まれましたよね。」と言うので「よっぽどお母さんが美人だったんでしょうね。」と返しましたが、考えてみたら英和さんに思いきり失礼な話(笑)…英和さんも若い頃は精悍でカッコよかったですよ!
英和さんと奥様は沙希ちゃんがまだ3歳の時に離婚、沙希ちゃんは母親の元に引き取られたのでその後父親と会う機会は無かったとの事、一方英和さんは再婚し子供を儲けました。

1996年、英和さん24時間テレビのチャリティランナーとして起用され100Kmマラソンに挑戦、どうにか無事完走し妻と子供の名前を呼び感謝するシーンに多くの視聴者が感動しましたが、当時9歳の沙希ちゃんはテレビの前で複雑な心境だったそうです。
「今思えば当たり前の話ですが私の名前は呼ばれなかった。自分にとっての父親はこの人しかいないけど、父は私を娘と思っていないんだろうなって…」
寂しくて悔しくて、その夜母親に気づかれないよう布団の中で声を押し殺して泣いたという沙希ちゃん、その記事を目にした時は私もほろっとしました。

時は流れ沙希ちゃんは父親と同じく芸能界入り、もっとも当初は二世タレントが必ずぶつかる「親の七光り」呼ばわりされる事が嫌で赤井英和の娘である事は隠していたそうです。
2004年に写真集を発売したタイミングでカミングアウト、14年ぶりの親子の対面が実現し、その後も頻繁ではないものの会っているとの事で、因みに沙希ちゃんの元には父親の暴露本を書いて欲しいのオファーも多数あったそうですが「勿論断りました」(苦笑)。

新日本プロレスのラジオ番組のパーソナリティをやることになり、それまで全く興味が無かったプロレスの勉強を始めてどっぷりとはまり、遂には自身がプロレスデビュー(2013年8月18日 両国)してしまったのですからこれはやはり格闘家の血筋による宿命だったのでしょう。
尚、プロレスラー赤井沙希に与えられたニックネームは「浪速のロッキー2世」「関西の格闘サラブレッド」…って、そのままじゃん(笑)! う〜ん、もうちょっと工夫したかっこいいネーミング無かったのかなあ…「人間発電所」「地獄の料理人」「不沈艦」「狂乱の貴公子」etc、昭和の時代の方がネーミングセンスは絶対良かったですねえ…。
でも考えてみれば父親がビッグネームである以上、そのネームバリューを最大限に利用するのはプロとして当然の事、「赤井英和の娘がプロレスをしている」というだけで世間は注目するのですからこの打ち出し方は正解なのでしょう。

プロレスではDDT、芸能はオスカープロモーション所属で活動していた沙希ちゃんでしたが、私が以前から書いているように試合は限定出場、イベントなどの機会も少なく、グッズも少ないのが不満でした。
以前に大阪のプロレスイベンターに「赤井沙希さんのイベントやってくださいよ。」とお願いしたらオスカープロは超大手なのでかなり高いギャランティを吹っかけてくる(それこそ他の選手と一桁違う金額)ので断念したと言っていました。
悲願のツーショット撮影の実現までにも数年を要した私、悶々とした日々を送る中、異変?が起こったのは今年の4月2日でした。
沙希ちゃんがツイッターで、通算14年所属したオスカーとの契約が3月末で満期となりフリーランスになった事を発表したのです!
これにはびっくりでしたが、「でもこれで芸能事務所の制約が無くなって?イベントとか撮影会などでお会い出来る機会が増える事を期待しています。」とコメントすると「はい、イベントとか是非やりたいです!」と返してくださいました。
そしてこの6月、電撃的にファンイベントが実現したのです!
この月には彼女の地元凱旋興行となる京都大会がありましたが、なんとイベントはそのわずか二日前、10連休中の「白川未奈ウィーク」に続いて、この週は「赤井沙希ウィーク」です(笑)。因みに沙希ちゃんの単独イベントはデビューした年以来らしいので実に約6年ぶりとの事、平日ですがこれは絶対行かねば!と予定を調整し馳せ参じました。

いよいよイベント当日、会場は新宿にある、DDTが経営するバー「スワンダイブ」でした。今回は予約不可、沙希ちゃんが一日店長をするのでお好きな時間に自由に来店くださいのスタイルだったので、席を確保する為に開店時間の30分以上前に着いたら、遥か遠くから黒いドレスにカーディガンを羽織ったロングヘアの美女が歩いて来るのが目に入りました。場所柄てっきり何処かのクラブのママさんのご出勤かと思っていたら、あれれ?こちらに向かって手を振ってくれている?なんと沙希ちゃん御本人でした(笑)。
少しずつ人が集まりだし開店時間の17時となって私は顔見知りのファン仲間と計4人で1つのテーブルを占拠しましたが、それから30分もしないうちに全席が埋まりました。
時間が経つごとに仕事帰りの人たちが続々やって来て外は席待ちの人が一杯、中には諦めて帰った人もいたようで、早く来て良かったです。
最近女子プロレスにはまっていて、私の影響で「一度赤井沙希ちゃんに会いたい」と言っていた友人を誘ったのですが、沙希ちゃんに紹介する時「この人まだ沙希さんの試合観た事ないんですよ。」と話すと「是非一度観に来て下さい!」と猛アピール、それこそ帰るまでに10回以上は繰り返していましたよ(笑)。流石はプロと感心しましたが、営業活動が功を奏し、その方帰ると早速後楽園大会のチケットを予約したとの事、皆さん美女の頼みには弱いね(笑)!
翌々日の京都大会では沙希ちゃんとHARASHIMA選手のタッグがメインと発表されていましたが、私がFC撮影会の順番がなかなか回って来ない不満を訴えると「明後日は私です。あっ、言って良かったのかな(正式発表は前日なのでフライング 笑)」
おおっ、遂に!FC入会以来一年間待ったぞ! 俄然テンションが上がりましたがよく聞くと「(メインで組む)HARASHIMAさんとのスリーショットなんです。」
思わぬ肩透かし、「テンション下がった」(HARASHIMA選手に思いきり失礼!)と言うと苦笑いの沙希ちゃんでした(笑)。

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 この日限定の沙希ちゃん
オリジナルカクテル、その名も「ウツクシクナール」(笑)

それにしてもこの日はサインや写真も自由(勿論良識の範囲内で)、払ったのは自分が食べて飲んだ分のみ、本当に今時珍しい?良心的でお得感一杯のイベントで「満席時は2時間を目処にお声がけさせて頂きますのでご了承下さい」と告知にありましたが店の人が特に何も言わないので、結局3時間近くいて8時過ぎに追い出されました(笑)。最後はお店の外でツーショット撮影をして帰りましたが、その時も外にはお客が一杯、こんなに大盛況なら毎月沙希ちゃんを呼んで欲しいです。
赤井沙希ファンイベントの模様はこちらをクリック

夢のようなひとときが過ごせた翌日の夜は六本木のレオ会、今回はドリー・ファンク・ジュニアのスポンサーとして有名な大隅社長をお連れしました。

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 レオ会には大隅社長の好みに合わせドリーのTシャツで(笑)

大隅社長は実は幼少時から大のレオファンで、レオとアストラの兄弟に物凄く思い入れがあるとの事、それが後のザ・ファンクスへと繋がったとお聞きし、なるほど!と納得しました。大隅社長にはドリーに会わせて頂いたりと普段から大変お世話になっていますので、前々からリクエストされていたレオ会へお連れする約束がようやく果たせて良かったです。

一夜明けて東京から京都に移動、DDT京都大会へと駆けつけました。
沙希ちゃんの地元凱旋興行は今年で四年連続ですが昨年までは予定が合わず、ようやく初参戦とあって本当に楽しみでした。
しかも嬉しい事にこの日から久々の沙希ちゃんグッズとしてTシャツが販売開始、早速購入して着替えペアルックで(笑)撮影会に挑みました。
前述のようにスリーショット撮影会でしたが沙希ちゃんの方にかなり寄っていた私(笑)、ツーショットにトリミングして後程掲載させて頂きます(ほんとHARASHIMA選手ごめんなさい!!)。
主役・沙希ちゃんの前説、「去年はセミファイナルでしたが今年はメイン、頑張ります!」で大会はスタート、メインのトリの入場も勿論沙希ちゃんで、試合の方もメインに相応しい大激闘でした!ほぼ毎試合繰り出す各種蹴り技、ダイビングボディアタックは当然の事として、たぶん生で見るのは初めてのリーマン銀河(変形サーフボード)まで繰り出し、最後は最新の必殺技、ケツァル・コアトルからHARASHIMA選手が蒼魔刀でフィニッシュ! どうせなら沙希ちゃんに決めて欲しかったのですが敢えて最後はアシストに回るところが京女らしく?奥ゆかしい(笑)。
日頃は限定出場のうえにこちらも観戦に行ける機会が頻繁にあるわけではないのに、折角行っても前座の8人タッグとかバトルロイヤルで出番が少なくと、DDTのマッチメイクにいささかうんざりしていましたので、この日は一気にストレスが解消しました。
感動の赤井沙希地元凱旋大会はこちらをクリック
新宿&京都〜ツーショット集はこちらをクリック


プロレスを全く知らない知人に沙希ちゃんの写真を見せたら、「えっ!こんな細い子がプロレスやってんの!?」と驚かれた事がありました。
プロレス入りする時、DDTの高木三四郎大社長から「モデル体型の維持」を厳命されたと言う沙希ちゃん、その人には「この子強いの?」とも聞かれましたが、私は贔屓目抜きで赤井沙希というプロレスラーは相当強いと思っています。だって考えても見てください、この細い身体でDDTのリングでは一年中男子選手と戦っているのですよ!しかも沙希ちゃんはデビュー以来まだ一度も欠場した事が無いのが密かな自慢だそうで、相当にタフで打たれ強い何よりの証拠です。
イベントの時に「まさかこんなに長くやるとは思わなかった。」と語っていた沙希ちゃん、まだまだリングで輝いて欲しいものですが、いつかリングを降りる日が来たら、その時には赤井英和さんが花束を持って来場して下さる事を願ってやみません。

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 3年ぶり、蝶野さんとの
ツーショット

感動の京都大会の翌・日曜日は大阪・天満駅前の天神橋筋商店街での防災イベントに蝶野正洋選手が参加と聞いて行って来ました。
武藤選手とは結構多いのですが、意外にも蝶野選手と(二人だけ)のツーショットはまだ二回目(三年ぶり)、普段滅多に使用しないサングラス着用で挑みました(笑)。

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