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社長の経営日誌

孤高の天才 社長の経営日誌 田宮社長が好き勝手に織りなす独白です
  FILE No.585 2018.8.4  

「 ツーショット特集!(10) 」

(前回からの続き)

まだまだ続く6月のネタ、14日は日帰りで東京へ出撃、キム・ドクことタイガー戸口選手のトーク・イベントに行って来ました。
前回までお届けしたように、私はこの二日前にイタリア視察から帰国したばかりでまだ時差ボケも抜けない状態(読者の皆様よ呆れるなかれ)、視察のオプション企画であるフランス・リヨンまで付き合っていたらこちらには参加できなかったのでラッキーでした(リヨンよりキム・ドクをとる物好き 笑)。
今回は戸口さんがメキシコで変身したマスクマン、YAMATOも登場とあってとても楽しみでした。

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 メキシコ時代のYAMATOが
復活

MCを務めたドクトル・ルチャこと清水さんの解説によれば、1993年にメキシコ・UWAと契約してマスクマンとなった戸口さんはエル・トレオ(UWAの総本山であるメキシコシティの巨大闘牛場)を舞台にカネック&ドス・カラスのメキシコ・二大エースと壮絶な抗争を展開、先ずは三人が巴戦で戦いYAMATOが連勝、翌週はドス VS YAMATOのマスカラ・コントラ・マスカラ(覆面剥ぎマッチ)が実現してドスが勝利し戸口さんが素顔を晒し、さらに翌週今度はカネックとカベジェラ・コントラ・マスカラ(髪の毛&マスク剥ぎ)を行い、ここでも敗れ丸坊主にされると言った具合で、ヒールのトップとして大活躍でした。

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 こちらが男前の?素顔

素顔になった後もリングネームはYAMATOのままでしたが、翌94年にはカネックからUWA世界ヘビー級王座を奪取する快挙を達成し、一度はメキシコUWAの頂点に立った事が特筆されます。
因みに王者になったのが3月14日で場所はプエプラ、4日後の18日にネツァワルコヨトルでカネックに敗れて4日天下、曜日で言えば月曜日に奪ったベルトを金曜日に落としたとの事、あと二日頑張れば日曜日にエル・トレオで防衛戦が出来たのに…残念でした。
しかしそれから24年、な、何と、先頃戸口さんはインディ団体「A-TEAM」のリングで、WEWヘビー級王者となりました!(6月10日 北千住シアター1010にて下田大作から勝利)

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 70歳にして日本初戴冠!

イタリアに行ってなければこの試合観に行きたかったのですが、まさか70歳にして日本で初のシングル王座奪取を果たすとは(涙)…ほんと、プロレスはロマンがあります。トークはいつも通りの毒ガス連発で大盛り上がり、予定時間の60分が来ても戸口さんはまだ喋り足りないのか自ら5分の延長を要求、65分で終了となりましたが、実はこれ最初からの仕掛けで、戸口さん生涯のベストバウト、ジャンボ鶴田戦(78年9月13日名古屋 60分フルタイムの後5分延長でドロー)をパロッていたのです(笑)。

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 テーマ曲のタイトルにもなった「スリーパーホールド」に悶絶?

ツーショット撮影は素顔、マスク、ベルトの他に戸口さんの全日本時代のオリジナルテーマ曲「スリーパーホールド」に因んでスリーパーをかけて頂いての撮影となりました。
イベント主催者の利根川さんとも話したのですが40年目の疑問、別に決め技、得意技だったわけでも無いのに何故テーマ曲のタイトルが「スリーパーホールド」だったのでしょうか??「キウイロール」の方が良かったような(笑)。

6月の第2週と言えば18日には大阪で地震がありました。
毎週月曜日は朝8時から会議をやっている為、地震発生の7時58分にはもう会社にいましたが、震度6ってあんなに揺れるものなんですね、マジで怖かったです(汗)。
私んちはマンションの12階ですが、エレベーターが停止してしまい二日間に渡り階段を上り下りして良い運動となりましたよ(苦笑)。

この非常事態にも関わらず翌日には上京して後楽園ホールでスーパー・ストロング・マシン選手の引退記念試合を観戦しました(またまた読者の皆様よ呆れるなかれ 笑)。

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 昭和の名優がまた一人、
スーパー・ストロング・
マシンよさらば!

当初は行く予定はなかったのですが、幸いにも応募していたマシン選手との記念撮影会に当選、こりゃあもう行くっきゃないとそれから慌ててチケットを購入、前日は完全にアウトだった新幹線がこの日はほぼ平常通り動いた点もラッキーでしたよ。
実質的にはもう何年も前からセミリタイア状態だったものの、デビュー40周年の年にとうとうプロレス人生にピリオドを打つ事となったマシン選手、ゴールデンタイムの時代を彩った名優たちが一人、また一人とリングを降りていくのは寂しいものです。
会場に入った時、ロビーでファンに囲まれている方がいたので、誰だろう?とよく見ると今月、新日本プロレスの社長に就任したばかりのハロルド・ジョージ・メイさんでした。私も記念撮影の列に加わりましたが、問題は言葉です。

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 社長同士コンビの
ツーショット(笑)

メイ社長はオランダの方ですが、こちとら自慢じゃないがオランダ語はおろか英語すら殆ど自信なし、わ〜何を喋ろうと頭がパニックになっているうちに私の番となり、緊張して「ハロー…」と挨拶するとメイ社長、日本人かと錯覚するぐらい日本語がお上手、これにはずっこけそうになりました(笑)。
タカラトミーを再生させた実績を買われ招かれた、新日本プロレス通算9代目の外国人社長、その手腕に期待がかかります。
S・S・マシン引退試合&セレモニーの模様はこちらをクリック

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 皇帝戦士ビッグ・バン・
ベイダーとアメリカで
ご対面(2017年4月フロリダにて)
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 大阪大会試合前、体調不良かバッドムードでしたが試合後ベルトにサインを下さいました
(2017年4月 大阪)
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 戦友・藤波選手との
スリーショット
(2017年4月 東京)

21日は中川製袋さんの代理店会(サンN会)で広島入り(私も忙しいね)しましたが、この日の朝届いた訃報に声を失いました。
“皇帝戦士”ビッグ・バン・ベイダー、死去!!
先頃お亡くなりになった西城秀樹さんと同じで、まだ63歳ですよ(涙)!
一昨年、うっ血性心不全で余命2年と宣告されたベイダー、死因は肺炎との事でしたが結果として余命宣告が当たってしまった事が恨めしいです。
先程かつての名優がリングを去っていくのは寂しいと書きましたが、それでも元気でご存命ならまた会えるチャンスもあるかもしれません。でも亡くなってしまってはその夢も敵わないのです。
最後の来日となった昨年4月の藤波さんの45周年記念大会(FILE No.529,530「超飛龍45周年」参照)
大阪の試合終了後、恐る恐る差し出したIWGPのベルトにサインを頂いた事が今も忘れられません。
50周年に再び元気で来日してくれると信じていただけに無念ですが、今まで楽しませてくれてありがとう、どうかゆっくり休んでくださいと言いたいです。
広島でのサンN会の総会では元広島東洋カープの北別府投手の講演があり、懇親会ではフルコースのディナーに舌鼓を打ちましたが、私はずっとベイダー・ショックを引きずり続けていました…。

翌22日は大阪・難波にてザ・コブラ選手のトーク・イベントがありました。
2月の東京に続くコブラの毒蛇トーク、その模様を大阪での安納サオリ選手のイベントとのカップリングで以前にレポート(FILE No.565 参照)しましたが、奇しくもこの日同じ大阪市内でそのサオリンもイベントをやっておりました。
あちらにも行きたかったのですが、やはりコブラがやって来るとあらば見逃せません。しかし今やイベント乱立気味の東京と違い、よりによってたまにしか無い大阪で、それも平日に何でバッティングするんだよ!
さて、そのコブラ選手ですが、今回も“絶口調”喋り出したら止まらない?
早口でまくしたてるのでメモが追い付かないほどでしたが、気になる発言の数々をコブラ&素顔のジョージ高野の歴史の時系列でピックアップしてみました。
「18歳の時に石原プロに誘われた(プロレス入門後、一時期芸能界入りを目指した時期あり)。悩んだがやはり猪木さんを裏切れなかった。」
「プロレスは表ではプロレスをやるけど、裏のトレーニングでは徹底してシュートをやる。
人からショー呼ばわりはされたくない、でも客はチケットを買ってくれる、若い頃は激しい葛藤があった。嘘をつきたくないからこそ厳しいトレーニングをした。」
「メキシコでフィッシュマンにクロスアーム・スープレックスを決めたら受け身が取れずデンジェラスと言う事で手の位置を変えたらそれがタイガー・スープレックスになった。」
「初代タイガーマスクのスペース・フライング・タイガー・ドロップも元々自分が開発した。」

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 ザ・コブラ、大阪でも
エンジン全開!

「マスカラス兄弟から技が美しいと誉められた事がある。でも世間はデンジェラスな前田(日明)や橋本(真也)を評価する。プロレスは相手を潰すものなのか?と矛盾に感じた。」
「スーパー・ストロング・マシンのマスクのデザインの原案は自分が考えた。」
東京ドームで美空ひばりコンサートがあった時、後楽園ホールからそれを見ていた猪木さんに(ドーム進出を)“やるなら今ですよ”と自分が進言した。」
「プロレスを野球や相撲に負けないメジャースポーツにする為どうすれば良いか悩んでいた時、若松(市政)さんに誘われて田中八郎オーナーに会いSWS行きを決めた。プロレス界でFA宣言したのは自分が最初だ。但しUWFもM&Aすると聞いていたのに天龍一派は来るし、話が違うなとは思った。自分としてはSWSを大きくしてゆくゆくは新日本とパイプを繋げるつもりだった。」
「ウルティモ・ドラゴン(浅井嘉浩)にドラゴンゲート構想を与えたのは自分だった。当初は新日本プロレスの衛星団体の位置付けにするつもりが違う方向に行ってしまった。」
決してほらを吹いているとは思わないのですが、2月の東京と照らし合わせると何処までほんとなのか?という話が多いのは相変わらず(笑)、新日本時代から田中ケロちゃんが唱える「ジョージ=宇宙人説」は今も健在の模様です(笑)。
質問コーナーとなり、先日の保永昇男さんのトーク
(FILE No.581「6月の行事」参照)で、「自分が海外から帰国したら道場の雰囲気ががらっと変わり、団結心が無くなっていた。」とおっしゃっていたのが印象的だったので、コブラ選手が帰国時はどう感じたか聞いてみました。
「皆変わらず仲が良かったし、良いムードで自分はそんな事全く感じなかった。保永氏は一体何を言ってるんだろうね?自分たちは10代で入門したけど、彼は年長で入って来たから焦りもあったんだろうね。」
う〜ん、これどう考えてもジョージさんと保永さんの性格の違いのような気が(笑)。
当初の90分が予想通りのタイムオーバーで120分にも及んだ毒蛇トーク大阪編、翌23日がジョージさんのお誕生日(遂に還暦に!)という事でバースデー・ケーキが贈られて締めとなりました。

週が明けた25日の夜は新日本プロレスのリングで活躍中のデイビーボーイ・スミスJr.が大阪でイベントを行いました。
ん?この一週間でお会いした人、マシンとジョージは烈風隊として組んでいたし、そのコブラのデビュー戦の相手はデイビーボーイ・スミス(お父さん)、見事に繋がっていますよ。世界に広げよう、友達の輪(笑)!
但し今宵は普通のイベントではなく、「スミスの柔術セミナー」ですよ!
格闘技の経験も無いくせに参加するのはあまりにも無謀、「田宮さん一体何処を目指してるんですか!?」と人から大笑いされました(笑)。
「初心者、女性もOK」とあったので、何とかなるだろうと思っていましたが…

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 無謀にもスミスの
柔術セミナーに参戦

大正区の整骨院&柔道場に集まった物好き(?)は10名ほど、プロレスTシャツを着たどう見ても素人は私含め二人だけ、後はきちんと胴着を着た柔道or柔術の経験者ばかり、ヤバい、場違いな場所に来たと内心後悔するも、時既に遅しです。
時間になって講師のスミスが現れいよいよ開始、先ず準備運動でいきなりスクワット50回、両脚広げてやる新日本流プッシュアップ50回、ジャンピングを50回、しかも休みなし連続でやらされこれだけでもうヘロヘロになりました。
本番では差し合い、マウントポジションの取り方、アームロックなどをスミスが手本を見せて2人1組になって練習しましたが、素人には難しくてとてもついていけません。

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 次回はもう少し手加減を
(笑)

90分の時間の長く感じた事、結論、やはり私にとってプロレス(格闘技)は見るものであってやるものではありませんわ(笑)。
出来の悪い生徒で申し訳なかったですが、最後はスミス先生と記念撮影して重い足を引きずるようにして帰宅、案の定翌日は筋肉痛に苦しみました。

来週(8月11日予定)はお盆休みですが更新あり、切れ目なく続く6月のネタのラストをお届けします。

(次回へつづく)
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