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社長の経営日誌

孤高の天才 社長の経営日誌 田宮社長が好き勝手に織りなす独白です
  FILE No.569 2018.4.14  

「 日本武道館 」

「後楽園ホール」(FILE No.273参照)
「巌流島」!?(FILE No.274参照)
「大阪府立体育会館」(FILE No.312参照)
「東京ドーム」(FILE No.358参照)
「大阪城ホール」(FILE No.433
参照)
と続いたプロレス会場シリーズ、3年ぶりとなる今回は東京・北の丸公園にある格闘技の殿堂、日本武道館の登場です。

我が国伝統の武道の普及を目的に日本武道館が創建されたのは、まだ私が生まれていない1964年(昭和39年)9月の事でした。 直後の10月、東京オリンピックの柔道競技場として使われたのがこけら落としで、その2年後には初来日のザ・ビートルズの公演が行われ、記念すべきプロレスの初興行は同じ年の日本プロレスでした(1966年12月3日)。
この年10月に国際プロレスが設立、翌年1月に旗揚げする事となり、危機感を感じた日プロは競合先の出鼻を挫くべく日本武道館への進出に踏み切りました。
蔵前国技館を凌ぐキャパシティを持つ大会場を埋める為の目玉商品としてまだ見ぬ未知の強豪、「鉄の爪」フリッツ・フォン・エリックの初招聘を成功させ、これを大エース・ジャイアント馬場が迎え撃つインターナショナル選手権試合によって超満員の観客を動員し老舗の底力を見せつけたのです。

それ以降もウィリエム・ルスカ戦から始まったアントニオ猪木の「格闘技世界一決定戦」ではモハメド・アリ戦を含め東京での殆どの試合が同会場で行われ、また「夢のオールスター戦」(79年8月26日)など、多くの歴史的試合の舞台となりました。
70年代は新日本プロレスのイメージが強かったのですが、80年代後半からは全日本プロレスの使用頻度が増え、逆に新日本は国技館(旧蔵前、後に両国)にシフトして行きました。これは86年に全日本が元横綱・輪島大士やジョン・テンタ(琴天山)などの元力士を相次いで入団させた事から大相撲協会との折り合いが悪くなり、両国国技館が借りにくくなった?のが原因とも言われていますが、こうしてファンの間では自然に新日本=両国、全日本=武道館のイメージが定着していきました。
そして90年代になると全日本は春・夏・秋・冬と年4回の武道館大会を定期恒例化、超世代軍の人気沸騰により毎回チケットが完売するようになり、「武道館超満員伝説」を築き上げたのです。

私の初めての武道館もやはり全日本で、東京で暮らすようになった1988年(昭和63年)8月29日がデビュー日?でした。

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 初の武道館はブロディ追悼興行に…

この時は「あなたがマッチマイカー」と題し、この日実現して欲しいカードをファンのアンケートで決めると言う画期的な大会でしたが、そうなると当然皆が望むのは当時絶対に観たかった大一番、「不沈艦」スタン・ハンセンと「超獣」ブルーザー・ブロディの一騎打ちでした。案の定ファン投票ではこのカードがダントツ1位、遂に夢の超獣コンビ対決に待ったなし!?と思われましたが、ああ何と言う事でしょう!
7月17日、ブロディがプエルトリコで非業の死
(FILE No.481483参照)を遂げた為、実現寸前まで行ったスーパードリーム対決は流産、しかも永遠に実現不可能となってしまったのです(涙)。
こうして、私の初の武道館は「ブルーザー・ブロディ・メモリアルナイト」と題された追悼興行となったのでした…。

東京時代に毎回欠かさず足を運んだ武道館(大半が全日本だが新日本やUWFもあり)でしたが、93年4月に実家に帰った為、同年2月の全日本が最後となりました。
2000年に全日本から独立したプロレスリング・ノアが旗揚げ、全日本時代と同じように武道館を定例化しましたがプロレス界全体が俗に言う「暗黒時代」に突入するとノアも失速、武道館での興行はめっきり少なくなり、現時点では小橋建太の引退試合(2013年5月11日)が最後となっていますので、もう5年もプロレスが行われていません。

そんな時思いもかけず私に、武道館に行くチャンスが巡って来ました。
3月4日、ラジオの長寿番組「オールナイトニッポン」の50周年を記念した「あの素晴らしい歌をもう一度コンサート」の開催が決定、泉谷しげる、イルカ、宇崎竜童、尾崎亜美、海援隊、きたやまおさむ、坂崎幸之助、藤井フミヤ、南こうせつ、森山良子、渡辺美里と超豪華な出演者の中に太田裕美さんが入っていたからです!
出演者多数につき一人ひとりのコーナーがせいぜい1〜2曲なのは明白で、裕美ファン仲間からも「その為にわざわざ大阪から行くの?」と呆れられましたが、武道館に実に25年ぶりに行ける事、そしてこの日本有数のアリーナで裕美さんの歌が聴ける感激を考えたら当然の如く遠征する事にしました。

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 九段下にある靖国神社

さて当日、新幹線で午後に東京着、武道館最寄りの九段下の駅で降りた時、案内板を見て近くに靖国神社があるのを思い出し、時間に余裕があったのでお参りに行って来ました。
因みにここ靖国神社では毎年春に「奉納プロレス」が行われています(今年は4月8日に開催済み)。
なかなか日程が合わず一度も生で観た事が無い為、せめて試合が行われる相撲場を見学しようと思ったのですが、残念ながら柵で仕切られて入れませんでした。

靖国神社を後にしていよいよ武道館へ…尚、この日の東京は最高気温20℃と汗ばむほどのぽかぽか陽気、それは良いのですが花粉も酷くクシャミが止まりませんでした(涙)。

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 門の向こうに見える
日本武道館の屋根
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 豪華メンバーによる
コンサート開催
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 25年ぶりにやって来た
武道館
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 天井には日の丸国旗
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 広い館内風景

北の丸公園に着くと見えてきた懐かしい八角形の屋根、門を潜ると会場前は既に多くの人で溢れていました。
25年ぶりに館内に突入する際は、心なしか武者震いがしましたが、席に座って高い天井を見上げると吊り下げられた日の丸が懐かしい…神社でお参りした直後とあって厳粛な気分になりましたが、コンサートでも是非始まる前に国歌吹奏をやって欲しいものです(笑)。
定刻通りの16持からスタート、裕美さんが登場したのは16持35分頃でした。
ツイッターで「実に久々の日本武道館」とのコメントがありましたので、過去にも武道館には上がった事があるようですが、ファン仲間の何人かに聞いてもわからなかったので相当昔の話のようです。
ソロで歌ったのは「木綿のハンカチーフ」のみで、後はイルカさん&尾崎亜美さんとのトリオ、そしてラストに全員での合唱&アンコールの計5曲のみでしたが、やはり25年ぶりに来た武道館で裕美さんの歌が聴けた事に感動しました。
毎年恒例の大阪城ホールに続き武道館を制した裕美さん、残すはいよいよ東京ドーム!?
ドームは音響が悪くコンサートには不向きとの声もありますが、いつか5万人の前で歌って欲しいものです。

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 泉谷しげるさんと宇崎竜童さん、殆ど判別できず…

ハプニング?が起こったのは泉谷しげるさんと宇崎竜童さんの大御所二人が歌うコーナーでの事、この日は館内にテレビカメラが入っていましたが(5月オンエア予定)「どうせ俺達のコーナーなんてカットされるんだから」とやけっぱち?の泉谷さん、客席に向かって「おまえら写真撮れ!」「それをどんどんSNSにアップしろ!」と言い出したのです。
プロレスと違いコンサートでは通常写真撮影は禁止、実際この日も開演前の諸注意でその事がアナウンスされていましたので観客も困惑気味、しかし舞台のアーティストがOKと言うのですから(笑)皆がスマホやタブレットを出して撮影を始めました。
私もスマホで撮りましたが場内が暗く距離がある為、一眼レフのようにはいかず殆ど誰かわかりませんでしたよ(苦笑)。

3時間半の長丁場となったコンサートは最後まで大盛り上がりで終了、外に出て帰り際に改めて日本武道館を見上げ、別れを告げました。
果たして次に来られるのはいつの日か?出来れば25年以内には来たいものですが(笑)、今年の8月、新日本プロレスの「G1CLIMAX」が例年の両国三連戦に代わり武道館三連戦を発表! 両国が改装工事に入る事情があるにせよ一回り大きい武道館を三日とはかなり無謀?しかし業界の盟主としてその意気やよし、お盆中とあって私の参加は微妙ですが、これを機に武道館での興行を定期化してもらえれば、再び私が訪れるチャンスが増えそうで期待しています。

さて、少しは仕事のネタも書かないと親父殿やデザイナーさんがプレッシャーをかけてきますので(笑)…武道館の三日後には中川製袋化工さんの代理店会(サンN会)の役員会で再び上京しました。

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 マンダリンオリエンタル37階から望む景色

この会の役員会と言えば昔はホテル椿山荘でやっていたバブリーな時代もあったのに、今や東京営業所に集まって弁当一つ(笑)、寂しいなあ〜昔は良かったと毎回嫌味を言っていたら今回は一念発起、東京駅にほど近いマンダリンオリエンタル東京の37階での広東料理を用意してくれましたよ。毎回この調子でお願いします! それにしてもこの日の東京は9℃!三日前と打って変わって風の冷たかった事よ…。それでは皆様方におかれましては、ランチフルコースの写真を眺めながらお茶漬けでもお召し上がりください。これの何処が仕事のネタだ(笑)!?
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最後はまたもプロレスネタ、その週日曜日に行って来た新日本プロレス年に一度の尼崎大会の模様です。
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