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社長の経営日誌

孤高の天才 社長の経営日誌 田宮社長が好き勝手に織りなす独白です
  FILE No.560 2018.2.10  

「 ベルリンの壁が崩れた日(1) 」

このブログの更新日である2月10日は1990年にベルリンの壁が崩壊した歴史的な一日です。

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 ファンから集めた顔写真でデザインされた新日本プロレス1990年2月10日東京ドーム大会のポスター

ん?…歴史に詳しい方なら、東西に分断されていたドイツのベルリンの壁が崩れたのは1989年11月9日だろ!と突っ込むでしょうが、私が言うのはプロレス界の話(またかよ!笑)、1990年2月10日、この日新日本プロレスの東京ドーム大会に全日本プロレスの主力選手が出場、史上初の対抗戦が実現しました。
長きに渡って冷戦状態が続いた両団体の間の障壁が完全消滅した記念日、「ベルリンの壁」と聞くと、私の場合どうしてもこちらを先に思い出してしまうのです(ドイツの方にあやまれ 笑)。

選手の引き抜きや露骨な興行合戦をリアルタイムで目撃して来た昭和のファンからすれば、この両団体が同じリングに上がる事自体が奇跡、それぞれのオーナーであるジャイアント馬場とアントニオ猪木の目の黒いうちは絶対実現するはずないと半ば諦めていました。
それぐらい両者の長きに渡る確執は根深いものがあったのですが、その水と油の両団体が唯一同じリングに上がったのが、1979年8月26日の日本武道館、国際プロレスを加えた当時の三団体による「夢のオールスター戦」でした。
(FILE No.237241参照)
しかしこの時もファンが一番観たい新日本と全日本の主力による対抗戦(馬場VS猪木、藤波VS鶴田など)は実現せず、メインが馬場と猪木のBI砲復活、藤波と鶴田とマスカラスがトリオ結成などのお祭り的なカードが主体となり、それでも舞台裏のマッチメイクは散々揉めたと聞きます。
東京スポーツの20周年記念事業と言う事で渋々協力したものの、ごたごたに嫌気が差した馬場は「新日本と交わるのは二度とごめん」とばかりに鎖国政策を打ち出した為、奇跡は二度と起こらないと思っていただけに11年ぶり、しかも今回は主力同士の対抗戦が組まれた事はこれ以上ないインパクトでした。

このミラクルが実現した理由として時代が平成に入り、プロレス界の状況が大きく変わりつつあった事が挙げられます。
この時点(1990年初頭)でのプロレス界の勢力分布を簡単に説明すると、新日本プロレスは猪木が前年に参院選に出馬し初当選した事からリング上から消え、藤波辰巳(但し腰の負傷で長期欠場中)、長州力の二大巨頭に前年凱旋帰国した橋本真也や蝶野正洋が主役を務め、さらに武藤敬司が帰国を目前にしていました。
一方全日本プロレスも御大・馬場はリング上では既に一歩引きジャンボ鶴田と天龍源一郎のライバル対決が主軸となっており、後に一時代を築く三沢光晴はまだタイガーマスク(二代目)として試合をしていました。
新日本&全日本の二大メジャーにとって脅威となっていたのが、88年に旗揚げしたUWF(第2次)で、前田日明が中心となり従来にない格闘技スタイルで社会現象とも言えるブームを起こしていました。一方でそれとは逆行するかの如く89年に大仁田厚がFMWを旗揚げ、この半年後(90年8月)には前代未聞の電流爆破マッチで世間をあっと驚かせる事になります。その他に元祖・インディペンデントのパイオニア戦志(メンバーは剛竜馬、高杉正彦ら)、女子プロレスはこの時点で日本最古参の団体・全日本女子プロレスと86年に誕生したジャパン女子プロレスがあり、狭い日本に合計7団体がひしめきあっていました。これから始まる空前の他団体時代の発火点とも言うべき時期で、当時でも団体数が多いと感じたものですが、数えきれぬほど分裂してしまった現在を思えば7と正確に数えられるだけでも可愛いものです(笑)。

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 坂口は社長就任後、馬場に急接近、ベルリンの壁は崩れるか?

続々と現れる新興勢力に老舗の新日本と全日本も危機感を感じていたのでしょう、そんな状況下で前述のようにアントニオ猪木が政界に進出し、社長の椅子を坂口征二にバトンタッチ(89年6月株主総会にて)した事がベルリンの壁崩壊の引き金となりました。
猪木を信用しなかった馬場も坂口に対しては「人を騙さない誠実な男」と日本プロレス時代から好感を持っており、社長就任後の坂口が馬場に急接近している事は周知の事実となっていました。
折しも新日本は翌90年2月10日に東京ドーム大会の開催を決めていました。
4月24日に史上初のドーム進出(FILE No.358 参照)を成功させた新日本にとっては絶対に成功させなければならない第2回、ここに何としても全日本の選手を担ぎ出せないのか? わけても天龍同盟結成時から「最終目標は新日本」と公言していた天龍の出場をファンは期待しましたが、そんなムードに冷や水をぶっかけたのは誰あろう馬場でした。
11月に複数の大学から学園祭のゲストに呼ばれた馬場は、ファンの質問に対し「そういう話は一切ありません。合同興行なら話がわからなくもないが、自分のところの興行でもないのに主力選手は出せません。」と噂を完全否定したのです。
「よその団体から選手を借りるってのは矛盾してないかね?自分が逆の立場だったら格好がつかないよ。自分たちだけでは客が呼べないって言ってるようなものだからね。」

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 天龍のドーム出場・消滅を報道した週刊プロレス
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 全日本の協力が得られなくなった新日本は独自で勝負!

この時期全日本に擦り寄ってヨイショしていた(笑)週刊プロレスのターザン山本編集長は、「消えた天龍の2.10ドーム出場 他人の力、借りるな 自力で夢、絞り出せ それが新日魂だ」と表紙で謳い、「真剣に新日本を応援しているファンは全日本の力を借りる事を望んでいない。新日本は自力で勝負するべきだ。」との論調を展開していましたが、決して馬場は新日本に意地悪をしているわけではなく、「他団体の力を借りず自力で勝負すべき。」と言う確固たる信念を持っており、その言い分は100%正論…しかしそれはわかっていても夢の対決に飢えていた私は肩透かしにがっかり、まだまだ両団体間の壁は高くて厚いと実感したものです。

全日本の協力が得られず、独力での勝負を余儀なくされた新日本が年明け早々に発表したカードは

IWGPヘビー級選手権
(王者)ビッグバン・ベイダー VS (挑戦者)長州力

NWA世界ヘビー級選手権
(王者)リック・フレアー VS (挑戦者)グレート・ムタ

AWA世界ヘビー級選手権
(王者)ラリー・ズビスコ VS (挑戦者)藤波辰巳

北尾光司 VS クラッシャー・バンバン・ビガロ(北尾デビュー戦)

橋本真也 VS 蝶野正洋

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 相撲からプロレスに転向した元横綱・北尾がドームでデビュー
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 マサ斎藤とスパーリングをこなす北尾

世間的には何と言っても元横綱・北尾のデビューがインパクト大でしたが、怪我で長期欠場中だった藤波の復帰戦、アメリカWCWマットでの黄金カードの再現となるフレアーとムタの試合など、ファンにとっても楽しみなカードがラインナップされていました。
また、ドームへの協力こそ得られなかったものの馬場と坂口の友好ムードはその後も継続しており、かつて全日本に何度も上がったNWA世界王者リック・フレアーの招聘に関しても坂口は筋を通し、馬場に仁義を切って了承を得ていました。
そしてこの時、馬場は見返りとして新日本の常連選手であるスティーブ・ウィリアムスが欲しいと要求して来たのです。
86年に初来日し新日本の常連外国人となっていたウィリアムスに馬場が何故白羽の矢を立てたのかは不明ですが、全日本移籍後のウィリアムスがテリー・ゴディとタッグを組んだ事を思うと、ゴディが強力に推薦したのかもしれません。

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 スティーブ・ウィリアムスの全日本移籍が決定!

いずれにせよフレアーとウィリアムスの事実上のトレードが決定、ウィリアムスは2月のシリーズから全日本に参戦する事になり、選手の引き抜きではない円満移籍が実現したのは日本マット界初の画期的な事となりました。
1月4日、坂口がキャピトル東急ホテルに馬場を訪ね、新年初の首脳会談が行われましたが、ここにマスコミが集まった為二人は囲み取材に応じフレアーとウィリアムスのトレードを正式に認め、馬場の口からは「皆さんが話しあって欲しい事を坂口と話すか。何を話して欲しいか聞こうじゃないか。」「マット界にもベルリンの壁は無くなった。」とかつての慎重ぶりからは信じられないようなコメントまで飛び出し、坂口も馬場の顔を立てながらも「困難は伴うがゆくゆくは日本人同士の交流まで持っていけたら。」と、今後に希望を持たせました。

注目の東京ドームは、1月9日に行われた会見でAWA世界戦で復帰すると発表されていた藤波が、まだ怪我の状態が思わしくない為、無念の欠場を発表(代打でマサ斎藤が挑戦)、会見には猪木も出席し「藤波が出られない以上俺が出るしかない。」と政治家転身以来国内で初となる試合出場を表明、「早く対戦相手を決めてくれ。」と訴えました。
この発言に即座に反応し名乗りを挙げたのが蝶野で、自身は橋本戦が決まっていたものの
「橋本とはいつでもやれる。猪木さんも長くないからドームでは俺にやらせて欲しい」と坂口に直訴しました。

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 若い!新日本創成期を支えた猪木・坂口の黄金タッグ
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 国会議員&社長の黄金
タッグ、一夜復活が決定

一方これを聞きつけた橋本は激怒し「俺とやる気がなきゃ一騎打ちはご破算だ。」と自分からカードの白紙を要求、「俺が猪木さんにとどめを刺す。」とこれまた名乗りを挙げた為、猪木戦の切符を巡って二人が抗争と言うアングルが展開、見かねた坂口が「いっその事俺がやる。」と急遽、猪木vs坂口が急浮上するなど、カード問題は泥沼化しました。
結局、19日に議員会館で行われた会見で猪木と坂口が黄金タッグを一夜復活させ、橋本&蝶野と世代交代を賭けた一戦が決まりました。

主力カードも出揃い後はドームまで突っ走るだけ、しかし水面下では予期せぬ緊急事態が起こっていました。
凱旋帰国するグレート・ムタの挑戦を受ける事になっていたNWA世界ヘビー級王者リック・フレアーの来日がWCW側の都合により一方的に中止になっていたのです!
大会の目玉であるフレアーvsムタの中止はあまりにもショッキング、もしドーム大会がこけたら新日本だけでなくプロレス界全体の問題ですが、逆風の中でまさかの奇跡が起こりました…。

(次回へつづく)
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