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社長の経営日誌

孤高の天才 社長の経営日誌 田宮社長が好き勝手に織りなす独白です
  FILE No.546 2017.11.4  

「 WWE日本公演(4) 」

9月16日、待望のWWE大阪公演に行って来ました。

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 ラジャ・シン時代のジンダー・マハル(2015年、右はメイソン・ウイリアムス)
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 今や世界の頂点に!

7月の東京(FILE No.544参照)に続き今年二度目となる日本公演は嬉しい事に大阪での開催(涙)、しかも満を持してWWE王者の来日とあって私のテンションは上がりっぱなしでした。
世界最大のプロレス団体はぶっちぎりでWWE、そのリングの頂点にいるWWE王者こそが文字通りの世界最高峰、現在(これを書いているのは10月初旬!)その頂点にいるのはインド系カナダ人のジンダー・マハルです。

今年の年頭からWWEのテレビに登場し始めたマハルは、あれよあれよと言う間に頭角を現し5月21日、ランディ・オートンから王座奪取に成功しましたが、テレビで一目見た瞬間から何処かでお会いした人だと感じていました。
その特徴的な顔立ちにすぐに蘇った記憶、昨年&一昨年とIGFに計三度来日したラジャ・シンじゃないですか!
私が観戦した試合(FILE No.426,431,493参照)ではワンピン、橋本大地、KENSO相手に三連敗したあのラジャが、わずか一年後に世界の頂点に立っているのですから感慨無量、まさしくアメリカンならぬカナディアン(インディアン?)ドリームです。

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 マグナス(右)も加えたスリーショット(2016年)
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 猪木酒場でリラックス
(2016年、右はヌックス)

注目の大阪公演のメインは、このマハルに凱旋帰国の中邑真輔選手が挑戦する選手権試合でした。
真輔は8月20日のPPV大会「サマースラム」(ニューヨーク州ブルックリン)でマハルに初挑戦し敗退、その後もノーテレビのハウスショーで二度挑戦するも王座奪取ならず、母国で通算4度目のチャンスを掴んだわけです。
このブログ更新時には既に終わっていますが、真輔は10月8日のPPV「ヘル・イン・ア・セル」(デトロイト)での挑戦権も得ており、冷静に考えれば日本の、それもテレビ中継もないハウスショーで王座が移動する可能性は限りなく低そうですが、それでもサプライズを期待してしまうのがファン心理、実際今年の7月にはハウスショーでUS王座が移動(AJ・スタイルズがケビン・オーエンズから奪取)しているのですからWWEは油断なりません。

ところで、私が気になったのは週刊プロレスなど一部のマス・メディアが「真輔が勝てば日本人初のWWE王者」と書いていた事です。
冗談じゃないぞ、勝手に歴史をねじ曲げんじゃねえ、日本人として初めてこのベルトを獲ったのは我らがアントニオ猪木です(怒)!

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 猪木さんのWWF初挑戦、NWFも賭けたダブルタイトル戦は勝ったものの王座移動はなし

まだWWEがWWWFと言う名称だった1978年(昭和53年)6月1日、日本武道館にて猪木さんは時のWWWFヘビー級王者、ボブ・バックランドに初挑戦、自身が保持するNWFヘビー級も賭けたダブルタイトル戦は1本目をリングアウト勝ち(40分8秒)しましたが2本目は時間切れ(*61分3本勝負)、スコアの上では1−0で勝ったもののルールにより王座は移動しませんでした。
翌月の7月31日に同じ武道館で再戦が実現、この時はバックランドの王座に猪木さんが挑戦する試合でしたが1−1から3本目は時間切れで王者が防衛、そして3度目の正直、12月14日に舞台を大阪に移し、今度は1本勝負で挑んだ試合も猪木さんはリングアウト勝ちを収めましたが、フォールorギブアップによる完全勝利で無いと王座が移動しない為、またしても涙を呑んだのです。

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 4度目にして日本人として初、遂にWWF王者の快挙

1979年(昭和54年)3月にWWWFはNWAに加盟し団体名からワールドが削除されWWFに改称、そして同年11月30日、猪木さんは徳島において4度目の挑戦で遂に悲願を果たしました。
王者のバックランドが乱入して来たタイガー・ジェット・シンに気をとられた隙を突いてバックドロップを決めてのフォール勝ちと言う、ややすっきりしないフィニッシュだったものの正式に3カウントを奪ったわけですから文句なし、こうして猪木さんは日本人として初のWWFヘビー級王者(第9代)となったのです。
6日後の12月6日、蔵前で猪木さんの初防衛戦、バックランドとのリターンマッチが行われました。
試合はまたしてもシンが乱入、今度は猪木さんが気を取られ、そこをベルト奪回に形振り構わぬバックランドが反則の急所打ちからそのままフォールを奪いましたが、当時WWFの会長職だった新間さんがクレームをつけ、無効試合の裁定が下されました。
後味の悪い結末に納得の行かぬ猪木さんはあっさりベルトを返上した為、結局一度も防衛出来ない6日天下に終わってしまったのです。
空位となった王座は11日後の12月17日、ニューヨークのマジソン・スクエア・ガーデン(以下、MSG)において新王者の決定戦が行われました。
出場するのは当然前王者の猪木さんと前々王者のバックランド…が筋ですが、何故か行われたのはバックランドとボビー・ダンカンの試合で、首尾よくバックランドが勝利、第10代王者に返り咲きました。
アメリカの開催なので、スケジュールの都合で猪木さんが出られないと言うのならまだわかりますが、出られないどころかこの日のMSGで猪木さんは別の試合に出場しているのです!猪木さんに組まれたのは何故か前座でのNWFの防衛戦(グレート・ハッサン・アラブ相手に勝利)…ベルトを防衛した猪木さんは果たして、どんな心境でメインの王座決定戦を観たのでしょう…。
この日のMSG決戦はテレビ朝日「ワールドプロレスリング」の枠で日本でもオンエアされましたが、お茶の間のファンも納得出来なかった事でしょう。

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 これが証拠だ!当日の
プログラムは王座空位の
はずなのにバックランド
が王者と記載!なんで
やねん!?(G・スピ
リッツVOL.44より)

しかも、GスピリッツVOL.42(辰巳出版)によれば、この日会場に集まった観客に対し日本での王座移動→返上の経緯は一切説明されず、観客は皆、新王者の決定戦ではなく王者バックランドがダンカンの挑戦を受ける防衛戦と思い込んで観ており、この日のパンフレットには王者バックランドVS挑戦者ダンカンと堂々と記載されていたのです!
さらに同誌の調査によって近年、もっととんでもないインチキが行われていた事が発覚しました。8日前の9日、カナダのトロントでバックランドが空位のはずの王座の防衛戦(挑戦者はパット・パターソン)を行っていたのです!
現地では何か月も前からバックランドvsパターソンのタイトル戦を宣伝しており、今更「王座は日本で空位になりましたのでノンタイトル戦に変更」とは言えなかったらしいですが、インターネットの発達した今の時代にはまず考えられない話、38年前とは言え時効では済まされんぞ(怒)!
いつに間にか猪木さんの王座奪取は「なかった事」にされ公式記録から抹消、文字通り闇に葬られました(週プロの指摘通り、未だWWEのHPの歴代王者に猪木さんの名前はない!)。
しかし、現在ではウイキペディア他の記録には堂々と「第9代王者 アントニオ猪木」と記載されていますし、2010年には猪木さんの殿堂入りも実現しました。
仮にも東証一部上場企業のWWE、見解をはっきりさせてHPを訂正して欲しいですね!(本国のWWE本社に抗議しましょうか 笑)
実際に王座移動をこの目で目撃している日本のマスコミが事実誤認をしているのは悲しい限りですが、歴史あるWWE(WWF)王者、日本人第1号はアントニオ猪木です!

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 WWFヘビー級(バックランド・モデル)、当初は青い革
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 藤色革の猪木バージョンにカスタマイズ成功
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 革の張り替え時にサイド
プレートも並び替え
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 サイドプレートの順番を
上記の青革バージョンと
比べて下さい。

ああ、いつも猪木様の話になると興奮を抑えられない私(苦笑)、話題を変えましょう。
WWWF→WWF→WWEと長い歴史を重ねる中でこのベルトは、何度もモデルチェンジしていますが、やはり私はバックランドが巻いていた鷲のデザインの物(マニアにはバックランド・モデルと呼ばれる)が一番好き、数年前にレプリカ(米国製)をあるルートから入手しました。
バックランドは王者時代、青い革のベルトと藤色と呼ばれる水色の革のベルトを使い分けており、私が入手したレプリカは青色でしたが、猪木さんが奪取したのは藤色の方でした。
そこで革屋さんに依頼(ほんと上客です私は 笑)して藤色の革に張り替えて頂く事にしたのですが、色々な文献を紐解くと青色と藤色ではサイドの各国のプレートの順番が違う事も発覚(アバウトな話だ 笑)、ついでに並び替えてもらい、見事猪木バージョンにカスタマイズが完了しました。

果たして真輔の王座奪取なるか?注目の大阪決戦の日が来ました。
旧NWA、AWA、WWF(WWE)の世界三大王座が大阪で移動した事は不思議と一度も無く、ひょっとしたら大阪府民にとっても歴史的な一日になるかもしれない(?)、波乱を予感させるようにこの日は台風18号が接近、朝から雨が降り続けていました。
試合開始は午後1時、WWE勢は前々日にハワイ公演を終えて前夜に大阪入り、この日の試合終了後すぐ中国に移動する強行軍で、毎度ながらそのタフネスぶりには驚かされます。
地元・大阪のASUKAも出場するので楽しみにしていましたが、ああ何と言う事、既報通り8.19で鎖骨骨折のアクシデントが発生し今回は残念ながら挨拶とセコンドとしての登場となりました。
しかし今回の欠場を機に彼女はNXTを卒業、1軍に昇格しRAWに移籍、このブログ更新時には既に正式デビューを果たしているはずです。真輔とともにいよいよ来年の「レッスルマニア」出場が見えて来たので、今から楽しみです。

会場である大阪府立体育会館は二階の角の最初から売り出していないエリアを除き満員の盛況、嬉しい事に大阪でのWWE人気も安定して来ました。
試合はテンポ良く進みあっと言う間にメイン、いよいよWWE王座戦となりました。
世界最高峰のベルトを持って入場して来たジンダー・マハル、IGFのリングではタイガー・ジェット・シンを彷彿させるヒール・ファイトを展開したものの何処かぎこちない、と言うか人の良さが見え隠れしたものですが、この日は堂々とした試合運びで風格が感じられました。「地位が人を変える」とはまさにこの事です。
地元関西(京都出身)のファンの絶大な声援を受け王座に挑む真輔、勝てば最高のエンディングになるはずでしたが、私としてはマハルにも思い入れがあるし、複雑な心境で試合を見守りました。
試合はセコンドのシン・ブラザーズの介入に気をとられた真輔が隙を突かれ敗退、「日本人として二人目」のWWE王者誕生の夢は消え去り、必殺技キンシャサも不発で不満げな館内に対し、最後にシン・ブラザーズにキンシャサをお見舞いして溜飲を下げるシーンがあり、見事なエンディングとなりました。
尚、10月8日のPPVもまたもやシン・ブラザーズが介入、マハルが勝利し、遂に両雄は11月26日のPPV大会で第三者が手を出せないスチールケージマッチで決着をつける事となりました。果たして結果は…?
ところでこの日は公演終了が3時半、つまりちょうど2時間半と言う理想的な展開で、ビッグマッチとなると4時間興行がざらの新日本、全日本、ノアなど日本の団体に見習って欲しいです(もっとも近年はWWEもPPV大会は異常に長いですが 笑)。
熱狂の9.16WWE大阪公演の模様はこちらをクリック

この後大阪城ホールでのコンサートが控えている私は人の波に飲み込まれないように早めに会場を脱出しました。脱兎のごとく外に飛び出すと雨はますます強くなるばかり、果たしてコンサート開始時間の4時に間に合うか!?

(次回へつづく)
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