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社長の経営日誌

孤高の天才 社長の経営日誌 田宮社長が好き勝手に織りなす独白です
  FILE No.541 2017.9.30  

「 猪木イズム(2) 」

このブログの更新日である9月30日は1960年(昭和35年)、東京・台東区体育館でジャイアント馬場(当時は馬場正平)とアントニオ猪木(当時は猪木寛至)がプロレス・デビューを果たした記念日です♪
日本のプロレス界を支えた二人の偉大なヒーローの宿命的ライバルストーリーのスタートした日、ほんとこの国だけは何でこの日を「国民の祝日」にしないんでしょうね(怒)。
残念ながら馬場さんは早くにお亡くなりになってしまいましたが(涙)猪木さんは健在、今も変わらず日本中に元気を与えてくれています。
その猪木さん、一部で報道があったように今年の誕生日(2月20日)に入籍、通算4度目の結婚をされました(改めましておめでとうございます!)。

この夏には猪木さんの師匠であるカール・ゴッチの没後10年、同じく猪木さんの歴史で絶対に欠かせない戦友モハメド・アリの没後1年の記念大会「ISM」が開催されました。

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 神・アントニオ猪木は
「ISM」の大会プロデューサー就任

大会の収益によって日本にカール・ゴッチの墓を建てる事を主旨としたもので、大会発起人の西村修の要請で猪木さんはプロデューサーに就任、5月25日の発表記者会見には他にも藤原喜明、木戸修、鈴木みのるらゴッチの愛弟子たちが顔を揃えました。
しかしここで誰もが抱いた素朴な疑問、猪木さんは自ら興した団体IGFがあるのに何故別の大会の広告塔に?

2007年6月に旗揚げしたIGF(イノキ・ゲノム・フェデレーション)はこれまでの大会場でのビッグマッチ形式から興行規模を縮小、4月から新ブランドである「NEW」(ネクスト・エキサイティング・レスリング)を旗揚げし、小さな会場でのミニシリーズを組むように方向転換しました。
「脱・猪木で創業者の猪木さんに頼る事なく、いずれ力をつけて大きな会場でやれるようになったら猪木さんをお呼びしたい。」(IGF首脳陣のコメント)…しかし会見で現在のIGFとの関係性を質問された猪木さんは「IGFについては今会社の整理という方向でやっている。」と衝撃の発言!
さらに6月2日(奇しくもホーガン舌出し失神事件の日だ)、自身のfacebookにて(勿論猪木さん自身でなく側近が投稿しているのでしょうけど)「今のIGFには理念が無い。カネが絡むとどうして人間はこうなってしまうのか。IGFからはとっくに手を引いている。俺の名前を勝手に語るな。NEWは勝手にやればいい。」と完全決別を宣言したのです。
亀裂が表面化しIGF側が「猪木さん目を覚ましてください!」と反論の会見を行えば猪木陣営は現経営陣の解任を求め臨時株主総会を招集するなど完全に泥沼化の様相、遂にIGF側は奥の手を出し、猪木さんのマネジメントを担当した夫人に対し接待交際費やマッサージ代、旅費など約4250万円をIGFの業務に関係ないものとして返還を求める「不当利得返還請求」の提訴をしました。
「身内の部分もあるので正直戦いにくい。しかし猪木さんは昔とは別人になってしまっている。」(IGF サイモン・ケリー取締役)

この会見の模様はテレビのワイドショーなどでも取り上げられましたが、渦中の猪木さんは週刊プロレス(7月12日号)の取材を受け騒動を一刀両断しました。
「今回こうやって話をさせてもらったのは誤解を招くような状況になっているから。
彼ら(IGF)は色々と仕掛けて来るけど猪木ファンはわかってくれている。ただ、中には状況を知らない人もいるだろうからキチッとしておきたいと思って。
政治に出て4年、やる以上はそれに専念しようと思いIGFを任せていたら結果的に私の理想とは違う形になってしまった。IGFは名前の通りイノキ・ゲノムですから。

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 自らが創ったIGFとは
まさかの決別!

イノキ・ゲノム、イノキ・イズムをどう見せていくかという意味で全く違う方向に行ってしまった。イノキの看板をうまく使ってくれればいいけど、現経営陣と経営に関わっている方の利益や思惑の為だけにIGFを使っているふうに見えるんですね。それじゃあイノキ・イズムじゃないからやめだよと。」
インタビューには弁護士も同席、具体的にIGF側の資金の不正流用、アントニオ猪木の肖像権の無断使用などの疑問を指摘、それらが今回の現経営陣の退陣要求に繋がったとの説明がありました。猪木さんは夫人に対する批判についても、
「彼らが突いて来るところはそこしかないんでね。世間的なイメージを落とすしか。
今日こうやって国会に来られるのも(夫人のおかげ)。俺の身体を見たらわかりますよ、首、腰、肩全部(ぼろぼろ)。年の数より身体の傷の方が多いんだよ。(夫人には)身体のケアをしてくれて本当に今日までよく世話してもらったなと言う感謝ですから。
それを見ないで…お前ら俺に何かしてくれたか。カネをせびる事ばかりしてないで何かしたかよって?ただ猪木と言うキャラクターから入って来るお金だけが一番の目的ですよ。(中略)アントニオ猪木の名前はもういいよ、俺ももうすぐ80歳(*現在74歳)なんだから(苦笑)。ただ使うならうまく使ってくれよと。今のIGFはそこがそうじゃない、全くチンケな話で。俺が一番嫌いなのはセコイって言葉で。あまりのセコさに私もびっくりしました。彼らが明確に理想と言うかどういうプロレスを作ってどういうメッセージをファンに訴えたいのか。そこが俺は何十年も言い続けている事でぶれないし、偽りもない。そこが現IGFには見えない。自分で稼いでみろよって。
正直言えばファンもいつかは離れていくし身勝手な人もいる。でもそうでない猪木ファンがいる限りね、弱音を吐くつもりはないけど自分の身体にムチ打ってでも。」

読んでいて「身体がぼろぼろ」と言うくだりには切なくて涙ぐみそうでしたが、最後には猪木ファンへ熱いメッセージを送ってくれました。言われるまでもなく一生ついていきます!! 翌週の号ではIGFサイモン取締役のコメントが掲載され「今のIGFには猪木イズムが無いって言いますけど、今の猪木さんにこそ猪木イズムが一番無い。弁護士を代理人に立てたり警告書を送ってきたり、僕らの知っている猪木さんはそんな事しません。
スキャンダルでも何でも起きた事はリングの上に反映させろって言うのが猪木さんの教えですから。裸の王様じゃないけど猪木さん自身が一番自分を見ていないんじゃないですか。鏡をプレゼントしますから今の姿を見て欲しいです。」と痛烈に批判していました。
決してエコひいきでなく客観的にまず私が思った事は、猪木イズム&猪木ゲノムと言う言葉を皆が軽々しく口にしている事です。

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 本当に「猪木イズム」を
語る資格があるのは本人
だけ!

イズムとは直訳すれば主義・主張、ゲノムとは遺伝子、言わば心、魂に関する事なんですよ。だから当事者である猪木さんには言う資格があるのです。だって自分の心の問題なのですから。それを第三者が「猪木さんは猪木イズムを失った」とか「あそこには猪木イズムがない」等と言うのはナンセンスじゃないですかね?
あと、IGF側やマスコミには色々と言われますが、猪木夫人には私たち熱心なファンもイベントで何度もお世話になっており、その時の印象は我々のような下々のもの(笑)にもよく気を使って下さるとても気配りの出来る方ですよ。

それにしても昔から猪木さんの周囲で絶えない金銭トラブルや側近たちの反乱、まさに「歴史は繰り返す」ですが、敵対した元身内の特徴は必ず一度は暴露本を書く事です(笑)。
しかしひとたび和解が成立したかと思うとあれだけ猪木さんをボロクソに批判していた人が掌を返して猪木さんにすり寄り子供のように大はしゃぎする姿も何度も見て来ました。
猪木さんは以前「皆、アントニオ猪木を独占したがるんだよな。」と言っていましたが、まさしく猪木さんは「究極の人たらし」、考えてみれば我ら猪木信者も悪女に魅入られた哀れな男のようなものです(笑)。
以前、前田日明さんがテレビ番組の中で猪木さんの集金能力の凄さを認めたうえで
「でも猪木さんも可哀そうですよね。兄弟やら身内に寄ってたかって食い物にされて…。それでイメージが悪くなるのは猪木さん自身だから。」と言っていたものですが未だ絶大な猪木さんのブランド力、「レインメーカー」とはオカダ・カズチカ選手の代名詞ですが申し訳ないけど猪木さんと比較すると「レェェェェェェベルが違う」、猪木さんこそ真の「レインメーカー」なのです。
現役のレスラーや若いファンの中にはアントニオ猪木と聞いただけで拒絶反応を示し毛嫌いする人もいますが「お前らは馬鹿か!」と言いたいですね。
だいたい今この日本で曲がりなりにもプロレスが認知され一定の地位を保っているのは誰のおかげかわかってんのかよ!?もしアントニオ猪木がいなければ下手したらこの国からプロレスは消滅していましたよ。それぐらい猪木さんはプロレスの地位を引き上げたし、我々だってもし猪木さんがいなければここまでプロレスにのめり込む事も、そしてプロレスにプライドを持つ事も出来なかったでしょう。全てのレスラー、関係者、ファンは猪木さんに足を向けて寝られないはずです。

ああ、だんだん興奮して来た(笑)…スキャンダラスな話はこのぐらいにして本題に戻ります。

猪木さんの自伝によれば、師匠のカール・ゴッチとの出会いは1961年(昭和36年)5月、日本プロレスの「第三回ワールドリーグ戦」にゴッチがカール・クラウザーの名前で初来日した時でした。
まだ力道山の付き人だった猪木さんは吉村道明(故人)とゴッチの試合を観戦、ゴッチの必殺技ジャーマン・スープレックス・ホールドを目の当たりにして凄まじい衝撃を受けました。
「これだ!自分の目指すものはこれだ!」
心の中で叫んだ18歳の青年はゴッチに心酔、「自分もゴッチのようなレスラーになる」と心に誓ったのです…。

(次回へつづく)
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