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社長の経営日誌

孤高の天才 社長の経営日誌 田宮社長が好き勝手に織りなす独白です
  FILE No.527 2017.6.24  

「 レッスルマニア(9) 」

〜 レッスルマニア33編 〜

(前回からの続き)

「レッスルマニア」観戦の為、午後3時前にホテルからタクシーで出発しました。
玄関前に常時タクシーがいる一流ホテルとは違いますので、毎回フロントに頼んで予約していたのですが、時間通りに階下に降りて来ると既に車が来ていたので車に乗ろうとすると、あれ?既に外人さんが二人乗車していました。
見覚えのある同じホテルの宿泊客でしたが、彼らもレッスルマニアに行く為タクシーを依頼していたのでしょう。この日は車の台数も少ない為タクシー会社の判断で勝手に相乗りにされてしまったようで、こちらは大いに歓迎ですがそう言う場合普通は前もって言うだろ、何ともアメリカらしいです(笑)。
相乗りしたのは若い男の子の二人組で、行きの車内でも気さくに「ユーの席は何処だ?」と声をかけて来たので自分のチケットを見せてあげました。
前回も書いたようにUberも使えないし、帰りの足が心配だった私、折角同じホテルなら「帰りは何処かで待ち合わせて一緒に帰りませんか?」と頼みたかったのですが、私にはそんな英語力がなく躊躇してしまいました。これが地獄の始まりとなるのです…。

30分程走ると会場であるキャンピング・ワールド・スタジアムが姿を現しました。
かつてはシトラス・ボウルと言われた、7万人が収容出来る巨大な球技場です。
3時半に開場し自分の席を目指しましたが、昨年のダラスではリストバンド事件(と私は呼んでる)により開場から自分の席に着くまで2時間(!)を要する悪夢のような展開となりましたので、かなりナーバスになっていました。
今回はリストバンド云々も必要なく、何人かの係員に聞きながらどうにか自分の席にたどり着けました。それでも広すぎる故、開場から30分はかかりましたが。
私が座ったのはフィールドの前から20列目、まずまずリングに近い場所でしたが、ひな壇式の客席ではないので試合中はもっぱらビジョンを観ていました。
屋根のないスタジアム、まだ陽は高く焼けつくような暑さで、自分の席を見つけた後は試合開始まで日陰に避難していました。
どうせなら一番てっぺんまで行ってみようと、スタンドの一番高い位置まで上がって見下ろすと改めてそのでかさに驚かされ、いよいよこれから世界最大の祭典が始まるかと思うと、武者震いがしました。因みに試合中に発表されたこの日の観衆は7万5245人(!)、これだけ人が集まると壮観の一言に尽きます。

5時半にKICKOFF(プレショー)開始、バトルロイヤルなど3試合が行われた後はいよいよ本編に突入しました。
オープニングでは女性歌手がリングに上がって「アメリカ・ザ・ビューティフル」なる曲を熱唱、曲が終わると同時に凄まじい爆音とともに4機のジェット機が我々の頭上を通過し腰が抜けそうなぐらい驚きました!まじで私は戦争が起こったのかと思いましたよ(笑)。ビッグマッチの日に戦争勃発と言うと徳光康之先生の漫画の最終回(FILE No.521 参照)を想起させますが(笑)、とにかくやる事スケールでかすぎ、WWE恐るべしです。
毎度の事ながら演出はド派手、リング上は熱戦が続きましたが、予想通り今年も長時間となり途中私は半分寝てしまいました(苦笑)。
何しろ日中の暑さ、時差ボケ、寝不足とたった一人の緊張、疲労はピークに達しており、すっかり陽が落ちて涼しくなった会場はとても心地よかったのです。
前日に続きこの日も一眼レフはホテルに置いて来てコンパクトカメラで何枚か写真を撮り、後日facebookにアップしたら毎週購読している週刊ファイト(電子書籍)の編集長から表紙に使わせて欲しいとの依頼がありました。

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 週刊ファイト表紙に私の
写真が採用!

「WWEから公式に配布される写真よりいい。」とのお言葉はお恥ずかしい限りですが、昭和の時代からのファイトマニアとしましては、私の写真が表紙を飾る事は大変光栄な限りです。

5時半から始まったショーは10時、11時になってもまだ続き、ただでさえ帰りが心配な私は次第に焦って来ました。
結局、メインイベントのジ・アンダーテイカーとローマン・レインズのシングル対決が終わり両者が退場したのは日付けの変わった0時10分!
恐ろしや6時間半興行、流石にここまで長引くと開き直って笑うしかありません(苦笑)。
試合が決したらすぐに会場を出たかったのですが、敗れたアンダーテイカーを見守る観客は誰一人帰ろうとしないので、列のちょうど真ん中に座っていた私は身動きがとれません。映像を観た方はご存知でしょうが、またアンダーテイカーがゆっくりゆっくり、それこそ退場に10分ぐらいかけるのです。私は心の中で(お願いだから早く帰って!)と叫んでましたよ(笑)。
アンダーテイカーの姿が消えようやく動き始める観客、人の波をかき分けながら会場を脱出しました。路上は人で溢れ、近くの駐車場から出て来る車の列で大渋滞、とにかく何としても車を探さなければなりません。
前日(厳密に言えば前々日)のNXTの会場は比較的町の真ん中だったので容易でしたが、この日の会場は郊外にあり、ましてやこの時間ですから大変です。
あちこちに警官やら警備員がいるので「アイ・コール・ライク・ザ・タクシー!」と聞くと「この道を真っ直ぐ行け。」教えられた通りに歩いて、そこでまた別の警官に聞くと「この道をまっすぐ行け。」指差す方向はおい、今来た道じゃないか!
一体どうなってんだよ、と思いつつもやむなく同じ道をまた戻りましたが、そこで別の警官に聞くと、また今来た道を戻れと言うのです!
おまえら人をからかってんのか!?コントやってんじゃないぞ!怒鳴りたい心境でしたが何しろ言葉が通じません。
私は前回書いたように朝4時半にはチェックアウトして飛行機に乗らなければならないのに、車は見つからないし時間はどんどん過ぎていくし、このままじゃ帰国できなくなる!?
内藤哲也には「トランキーロ」(あっせんなよ)と言われそうですが、このやばい状況誰でも焦るよ!
切羽詰まって一人の警官だか警備員に自分のスマホを渡して、英語が不得手なのでこれでタクシーを呼んで欲しいと頼んだのですが、笑って首を横に振るばかりで相手にしてくれません。何て薄情な奴らだ、もし日本で外国人が困っていたら日本人は親身になって助けてくれるぞ! …後日この話をある人にしたら「田宮さん、そういう時は50〜100ドル札をちらつかせながら頼まないと。」と笑われました(笑)。
気が動転していてそこまで知恵が回りませんでしたが何でもチップの国、全て金次第か、嫌だね〜。
時刻は既に1時を回り私の焦りもピーク、汗だくで駆けずり回っていたら奇跡が起こりました。相変わらず渋滞気味の道路に空車のタクシーを発見したのです!
まさしく「地獄で仏」、駆け寄ろうとしたら同じく車を探していた外国人の若い男の子二人組が乗車してしまいました。
(しまった!)…しかしこの車を逃すといよいよ帰れないのは確定的、私も必死でした。助手席に座った一人に「ウィズ・ミー・プリーズ!ヘルプ・ミー!」と頼むと、行先を聞かれたのでホテルのバウンチャーを出して見てもらい、運転手の口から「OK」の言葉が出た瞬間、(やった〜!助かった〜!!)と心の中で万歳しました。
かくして帰りも見知らぬ外人さんたちとの相乗りで無事帰還成功、彼らの方が先に降りましたが、彼らのホテルが私のホテルと比較的近かった事が幸いでした。もし逆方向なら運転手に乗車拒否されていたかもしれませんし、そうなればどうなっていたかと思うと今思い出してもゾッとします。
命からがら、ボロボロでホテルに着いたのが2時、幸いにも荷物の整理は昼のうちにやっておいたので2時半に倒れこむように眠り3時45分に起床、つまり殆ど寝ていない状態で4時半にホテルを出て空港に向かいました。
厄介な事にこの空港、搭乗手続きが全て機械、海外では最近増えて来ましたがせめて日本語バージョン用意してくれっての!画面の英語の質問に適当に何でも「YES」で答えていたら、あわやチケットをエコノミーからビジネスにチェンジされるところでした(苦笑)。
6時59分の飛行機に搭乗、機内で死んだように眠り続けサンフランシスコに10時過ぎに到着しました。日本への乗り継ぎ便が11時5分発と1時間も無く、ゲートを見つけてダッシュ、英語のアナウンスで「タミヤ〜○×…」と私の名前が呼ばれており焦りました(汗)。
何とか間に合い離陸、精根尽きた状態で15時過ぎどうにか関空に帰って来ました…。
それでも今回の旅は最後の最後までハプニング、待てど暮らせどスーツケースが出て来ない! 渡航歴数あれどこんな事は初めてで戸惑いました。タグを渡して係員に調べてもらうとサンフランシスコを通過した形跡がないとの事(涙)…紛失する事はまず無いとは言うものの不安でとりあえず手続きをしました。
スーツケースの税関通過時のチェックの為、鍵を預けさせられ中身の聞き取り調査、
「衣類以外ではどのような物が入っていますか?」
「はい、チャンピオンベルトが2本…」
係のお姉さんが一瞬固まっていたのを見逃しませんでしたが(笑)、エロ本とかやばい物が入って無くてほんと良かったです(笑)。
それにしても係員は日本人で親切に対応してくれるし、まだ帰りだったのが救いでしたよ。
結局翌日には無事見つかったとの連絡があり、さらに翌日自宅に届いて事なきを得ました。

スーツケースどころかもう少しで私自身が帰れなくなるところだった(笑)実質三泊の超弾丸ツアーを振り返りましたが、今回の顛末を人に話すと皆さん半分呆れながら「そこまでのリスクを負ってまで行動させる魅力がプロレスにはあるんですか?」と言います。
確かに本場アメリカで一度でも「レッスルマニア」を体感してしまうとその魔力から逃れられなくなり、また行きたくなってしまうものですが、やはりたった一人の海外は無謀と懲りましたので、次回もし行けるなら仕事であれプライベートであれ何方かに是非付き合って頂きたいものです。例え英語が喋れなくても(喋れたら尚嬉しいが)、とにかく誰か相棒がいてくれるだけで心強いもの、「孤高の天才」を自称する私もやはり人間とは一人では生きていけないものだと今更ながら実感しました(苦笑)。
レッスルマニア33の模様はこちらをクリック

時差ボケもまだ抜けきらないうちにその週の金曜日の夜はプロレス観戦(皆様呆れる事なかれ)、私んちから歩いて5分の城東区民ホールで行われた、上井さん主催の「STRONG STYLE HISTORY」の第二弾興行で、WWEとは対極のストロングスタイルを堪能しました。(こちらをクリック

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 昭和の面影がそのまま、
味園ユニバース

さらに日曜日は今年初の「大衆プロレス松山座」へ…会場となった味園ユニバースは昭和の時代はキャバレーだった場所で、今も内装は当時のままで座席もボックス席がそのまま使われており、何とも昭和チックでレトロな雰囲気でした。
まだ疲れも残っていたので肩の凝らない松山座の公演を気軽に楽しむつもりでしたが、この日はロックの演奏とプロレスのコラボでまさかの4時間半!
二週連続で日曜日に長時間興行を経験するとは夢にも思いませんでしたよ(笑)。
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