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社長の経営日誌

孤高の天才 社長の経営日誌 田宮社長が好き勝手に織りなす独白です
  FILE No.522 2017.5.20  

「 世の中に前田日明が足りない!(2) 」

(前回からの続き)

漫画家・徳光康之先生の個展を後にした私は総武線で水道橋の「闘道館」に到着、ケンドー・ナガサキ&ドリーム・マシーンのサイン撮影会に参加しました。
日本プロレスから全日本プロレス、そして海外マットに転じ、複数のギミック&リングネームを用いた桜田一男選手、何と言っても一番有名なのはケンドー・ナガサキですが、たった二度だけ(全日本プロレスの82年ジャイアントシリーズ&83年新春ジャイアントシリーズ)マスクマンのドリーム・マシーンとして逆上陸しました。
マスコミの付けたニックネームが確か「夢の殺人機」、こんな話相当のマニアしか覚えてないっての(笑)!
因みに私は83年1月の大阪大会で一度だけドリーム・マシーンの試合を生観戦しています(ジャンボ鶴田とのタッグ対決でしたが正確に思い出せない!)。

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 レアなドリーム・マシーンのマスク

桜田さんはイベントの第1部で34年ぶりにドリーム・マシーンに変身、ああマスクマニアでもないのに誘惑に負けて、またマスクを買ってしまった馬鹿な私(苦笑)。

続いての第2部は素顔の連獅子スタイル…Facebook友達の投稿で気がついたのですが、このスタイルは90年にFMWに参加した時のドラゴン・マスターのギミックじゃないですか(後楽園ホールで観た、大仁田厚&ターザン後藤vsドラゴン・マスター&栗栖正伸のストリートファイトタッグマッチは面白かった!)。
そして最後はお馴染みのケンドー・ナガサキで登場と三変化の大忙し、欲を言えば顔にペイントをして欲しかったところですが、昔みたいにざんばら髪じゃないから、いいか(笑)。
桜田さんとお会いするのは昨年11月、スネーク・ピット・ジャパンでのトークショー(FILE No.501参照)以来二度目ですが、私の顔を見るなり「前に会ったよね。」と覚えていて下さり嬉しかったです。
三変化の豪華ツーショットはこちらをクリック

前田ファンの皆様、大変長らくお待たせしました(引っ張り過ぎてすみません!)、ようやく本日のラストイベント、東京スカイツリーのすぐ近所にあるワロップ放送局にて行われた「前田日明のちょっと来い!!TV」の話です。
番組は今宵が2回目ですが、奇しくも昨年11月の1回目の時も昼は前述の桜田さんのトークとのハシゴでした。何故に桜田さんと前田さんは同じ日にイベントを行うのでしょう(笑)?

前田日明率いるUWFが新日本プロレスと業務提携した時代(86〜87年)、ファンが一番観たかったカードはアントニオ猪木VS前田日明の一戦でした。
(FILE No.462464 参照)
執拗に挑戦宣言する前田に対し猪木は謎の対戦拒否、言いたい放題で猪木を追い詰める前田と沈黙を守る猪木、皮肉な事にその姿はかつて猪木の挑戦を馬場が黙殺したのと全く同じ構図でした。
猪木信者の私は(猪木よ頼む!前田をリング上で叩きのめしてくれ!)と思っていましたが、本音は(例え負けてもいい、正々堂々と前田の挑戦を受けてくれ!)と祈るような気持ちで毎日を過ごしていたものです。
結局その願いも虚しく猪木−前田戦は流産…私にとっては前田日明こそ「猪木神話を崩壊させた男」でした。
長州顔面蹴り事件(87年11月19日)で新日本を解雇され第2次UWFを再旗揚げ(88年5月12日)した前田は、社会的ブームを引き起こし一躍時代の寵児となります。
しかしそのUWFもまさかの解散、たった一人となった前田は執念で総合格闘技団体リングスの旗揚げ(91年5月11日)にこぎ着けました。
前田&リングスファンには怒られそうですが私のこの時の本音は、前田に新日本に「二度目の出戻り」をして欲しかったです。
90年代の新日本は橋本真也、武藤敬司、蝶野正洋の闘魂三銃士の時代へと世代交代が完了しており、かつて猪木が後継者として最も期待していた前田が戻ったとしても、今更エースとなる事など有り得ないのですが、「伝説の男」としての三銃士との新旧対決、因縁の長州力戦、86年のベストバウトとなった藤波辰巳との再戦など、よだれの出そうなドリームマッチが実現していたはずですし、94年から正式にファイナルカウントダウンを開始した猪木さんも、きっとこのタイミングなら最後のシングル対決を了承していたと思うからです。

そんな遠い昔の夢を思い出しているうちに会場に到着、夜8時から生放送がスタートしました。

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 格闘王・前田日明、その
カリスマ性は健在

MCを務めたチャッピーさん(美川憲一そっくり芸人)との軽妙なトークで例によってアブナイ話を連発していた前田さんですが、ヨーロッパ・ヘビーのベルトを持って最前列にいた私は早速ネタにされてしまいました(笑)。
前田さんが明かす秘話…「昔、そのベルトと猪木さんのNWFと、もう一本藤波さんのジュニアのベルトと俺のガウンが二着、野毛の新日本の合宿所から盗まれたんだよ。で、後日テレビの鑑定団にそのガウンが出て来て80万円の値がついてた。」 数年前の新日本のイベントでヨーロッパ・ヘビーのベルトが展示されている写真を目撃していた私は前田さんの話に??でしたが、前田さんが嘘を言うわけはないので、盗まれたベルトが何らかの形で戻って来たのでしょうか!?
その謎は横に置いといて、流れの中でベルトに関する質問をしてみました。
83年1月25日、遠征中のイギリスでウエイン・ブリッジを破って新王者となった前田さんでしたが、私がずっと不思議だったのは4月に凱旋帰国してから一度も防衛戦が行われなかった事です。

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 今回も司会のチャッピーさんととんでもトーク展開

マッチメイクのセオリーから言えば注目の帰国第一戦であるポール・オーンドーフ戦(4月21日蔵前)を皮切りに若き王者として防衛戦を重ね売り出すのが筋のはずですが、オーンドーフとの試合は何故かノンタイトル、その後も防衛戦は一度も行われる事はなく、タイトルは自然消滅のようになってしまいました。
しかし、その理由は前田さん自身も未だよくわからないとの事、
「新日本が俺の凱旋に箔をつける為だけに(ベルトを)獲らせて、そのまま放置したっていう感じだよね。」
今回新しい話として「そのベルトは海外で防衛戦は出来ないはずだよ。マーチン・デル・プロモーションの認定でしょ。」との言葉があった事も付け加えておきますが、前田さんのシングル王座防衛戦を一度は観たかったものです。

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 お笑い芸人も登場、
猪木VS前田が実現!?

そして前田さんとお会いした時のお約束?今回も「それにしても勇利アルバチャコフによく似てるね。」が出ました(笑)。
「初めて会った時も俺言ったよね。顔見る度に思い出すよ。」
しかしこの日は「昔は今より細面でもっと似てたよね。」と強烈なカウンターパンチ!
しまった、体重増を見抜かれたか(汗)!?でも、前田さんもあまり人の事を言えないような(勿論そんな事は口には出せません!)…次回お会い出来る時までにダイエットに励もうと心に決めた私でした(苦笑)。

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 ヨーロッパ・ヘビー級の
レプリカとともに前田さんとのツーショット

後半には8組のお笑い芸人によるネタ披露もあり爆笑の連続のうちに番組は終了、参加者特典としてのツーショット撮影は勿論ベルトを持ってお願いし、帰りにはスタジオ近くの駐車場で出待ち、改めてベルトにサインを入れて頂きました。
昨年「前田日明」のサインは既に入れて頂いていたのですが、よく考えたら王座を奪取したイギリス時代の前田さんのリングネームは「クイック・キック・リー」でしたので、今回は無理を言ってそのサインをお願いしました。

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 貴重なクイック・キック・リーのサイン

何しろ34年も前の話、念の為「QUICK KICK LEE」の綴りのメモを用意していましたが前田さんは当時、クイックの頭文字をQでなくKで書いていたそうです(初めて知った!)。

自らの運転で夜の街へと消えていく前田さんを見送りながら、かつて前田さんがスーパーバイザーを務めた総合格闘技イベント、HERO'Sのキャッチコピー「世の中には今、前田日明が足りない」を心の中で噛み締める私でした…。
たるみきった世の中、ほんと日明兄さんのようなカリスマに喝を入れて欲しいものですよ、「竹刀ごっっあんです!」

長い一日がようやく終了、不死身の私も重いベルトとカメラを持って一日に3つのイベントは流石に疲れて腰に来ましたよ。
都度合間に写真をFacebookにアップしていたら友人から「これ、全て一日の出来事ですよね?ようやりますね。」と絶賛?のコメントを頂きました(笑)。
「最高のアホで最高のバカですよ。プロレスファンは。」
(徳光康之著「最狂超プロレスファン列伝」第4巻 第18戦、鬼藪宙道の台詞より)

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