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社長の経営日誌

孤高の天才 社長の経営日誌 田宮社長が好き勝手に織りなす独白です
 FILE No.492 2016.10.8

「 カムバック(3) 」

 500回までM8 

(前回から続き)

思い入れのあるテリーの思い出話を始めるとキリがありませんが、ようやく冒頭に戻り今回の来日の話、NOSAWA論外との(恐らく)日本最後のシングル戦を楽しみにしていました。
ところが、協同組合ジェプラでお世話になっている山梨のオオキさんが御子息に社長交代されるので、その祝賀会に来て欲しいとの要請があったのです。日程を聞くとちょうどテリーの試合と同じ日! (あ〜今回は諦めるしかないな、テリーよスマン!)と気落ちしましたが、山梨〜東京は電車で2時間ほどの距離なので早く終わればメインには間に合うかもしれません。この時点でまだ正式な招待状を頂いていなかったので、開始&終了時間が非常に気になっていました。
6月2日、リスパックさんのトップ・ステージ会でそのオオキさんの新社長になられる 大木賢太郎さん(大木金太郎と一字違い!笑)とばったり顔を合わせたので、予定を聞いてみたら「11時開始で3時までです。」との御返事、な〜んだ、それなら試合開始(7時)に余裕で間に合うじゃないですか! いや〜、私はほんと運が強いぜ!

無事に試合も観に行ける事になりほっと一安心、しかし本番のわずか三日前になって 悪夢のようなニュースが届きました。
今回のチケットも主催者のNOSAWA論外選手から購入していたのですが、突如その論外さんからメールが届いたのです。 (ん?今頃何だろう?次回大会の告知かな?)と思いながらメールを開くとショッキングなタイトルが目に入りました!
「テリー・ファンク選手欠場のお詫びと払い戻しのお知らせ」

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 テリー、日本最後の
シングル戦は幻に…

「…テリーは腹壁ヘルニアの手術を行う為ドクターストップの診断を受け来日が不可能となりました…」 そ、そんなあ〜(涙)!
思えばテリーは昨年5月も肺炎で来日中止、大阪での引退前の天龍選手との夢のタッグが流れました(FILE No.428参照)。
不死身の男も流石にご高齢なのでとにかく心配ですが、主役欠場の緊急事態で良心的にチケットの払い戻しも可能との事、正直お目当てのテリーがいなくては行く意味がないので私も一瞬迷いました。
しかしどちらにせよこの週は東京にいるし、今回もそうですがマスカラスが来た時など、論外選手には良い席を回して頂いていますので結局行く事にしました(私は義理堅いのです 笑)。 それに苦しい時にこそ応援するのが真のプロレスファンですよ!

いよいよ当日、新宿から朝8時半のあずさ7号(2号ではありません 笑)に乗って甲府に向かいオオキさんの会に出席、夕方には再び新宿に戻って来ました。
折角山梨まで行ったのですから本当はジャンボ鶴田さんの墓参りをしたかったのですが、今回は日帰りにつき時間がとれず残念でした。
今宵の会場は久々にやって来た新宿FACE、テリー・ショックがあったものの払い戻しも殆んどなかったようで会場は満員、曙が侠気を見せてテリーの代打で論外と対戦、場内を盛り上げました。
私は最前列で観ていたのですが、第一試合からテレビカメラ(BSジャパンのカメラ)が試合じゃなく私の隣りの席のおっちゃんをずっと撮影していました。
(誰だろうこのおっちゃん、よほどの有名人かな?)と顔を見ても私の知らない人、ずっと気になっていましたが、メイン終了後に論外選手が場内に紹介、何と日本サッカー界のレジェンド(さしずめサッカー界のテリー・ファンク?)釜本邦茂さんだったのです。

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 チャボ・ゲレロ、9年ぶりの来日

テリーは欠場となりましたがこの日はもう一人のレジェンド、チャボ・ゲレロが出場していました。 ニックネームは「カリフォルニアの太陽」「小さな巨人」、ジュニアヘビー戦線で新日本では藤波辰巳、全日本では大仁田厚と戦ったチャボ、いや〜、年とってかなり腹は出たけど、懐かしいし渋いなあ〜。
皆忘れているかもしれませんが、このチャボも2007年無我ワールドのリングで日本引退試合を行ったはずなんですが…う〜ん、やはりプロレスラーに引退はない(笑)!
東京愚連隊興行の模様はこちらをクリック

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 大巨人アンドレとの抗争で一躍有名になった現役時代のキラー・カーンさん

全試合終了後、同業のHさん、Mさんと会場に近いキラー・カンの店「居酒屋カンちゃん」に行きました。
同店を訪れるのは私は通算4度目、お店のご主人はキラー・カンさん、かつてはキラー・カーンとしてリングに上がりアクシデントとは言えあの大巨人アンドレ・ザ・ジャイアント足折り事件で一躍有名になったトップレスラーです。
87年、まだまだ円熟期の40歳の時にすぱっと引退し以後一度も復帰していないカーンさん、こちらはプロレスラーのカムバック完全否定派で、その言葉は辛辣です。
(週刊プロレスインタビューより)

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 カーンさんと記念撮影

「(復帰するレスラーは)はっきり言って最低だね。人それぞれ事情はあるのかもしれないけど、だったら辞めなきゃいいじゃない。辞めると言う事は俺はもうプロレスが出来ない身体だと、それを辞めた人間がまた戻るなんて言語道断ですよ。引退したら石にかじりついてでもカムバックするな!
プロレスラーが自分たちの地位を自ら下げているって事ですよ。またそれに馬鹿なファンがついていくんですよ。辞めた人間に泣かされてまたカムバックしたらそれに泣かされて。本当にファンも馬鹿ですよ。」
…ハイ、カーンさんのご意見、世間の一般常識に照らし合わせれば100%正論、私もその馬鹿なファンの一人で耳が痛いです(笑)。
カーンさんは過酷な現役時代の後遺症で首を手術されたとの事で、見せてもらった首筋には痛々しい大きな傷跡が…首は神経を司る大事な部分なので運動も出来ないそうです。

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 名物カンちゃん鍋は美味

文字通りリングで燃え尽きて今は第二の人生で頑張る「蒙古の怪人」(カーンさんのかつてのニックネーム)…私、因みにこのお店の名物カンちゃん鍋が大好きです。一人前(確か2800円)が三人分ぐらいの量があり、ほんと庶民には嬉しい話です。9月からは新大久保に移転との事ですが、また食べに行きますので!

翌日の夜もHさんとディファ有明でプロレス観戦、プロレスリング・ノアの聖地のイメージが強い(ノアの事務所も同所内にあり)ディファを訪れるのは実は初めての事でしたが、今宵の団体はノアではなく「邪道」大仁田厚の新団体、その名も「ファイヤープロレス」の旗揚げ戦でした。
プロレスラーの復帰問題となると日本版テリー・ファンク、何度も引退と復帰を繰り返すこの人を絶対忘れてはなりません。
その大仁田厚は還暦となる来年10月25日、還暦電流爆破をやって今度こそ本当に引退宣言!? 自身の集大成、引退ロードの舞台として新団体を旗揚げしたのです。
「あと一年ちょっとでお別れだな。みんな信じてないかもしれないけど今度こそ本当に辞めるんだけどな。」
ハイ、誰も信じてません(笑)。…と言うかテリーの影響を誰よりも受けたこの人がプロレスを辞められるわけないんですよ!
勿論来年公約通り引退試合は行われるでしょうが、数年以内に必ずリングに帰って来て生涯現役を続けると私は確信しています。

この日のメインは前夜に続いて参戦のチャボ・ゲレロが、かつてのライバル大仁田とタッグを結成するカードが組まれました。
82年3月7日、アメリカ・ノースカロライナ州シャーロットでチャボ・ゲレロの持つインターナショナルジュニアヘビー級王座の防衛戦が組まれ、ここで当時海外遠征中の若き日の大仁田厚の挑戦が実現しました。
この時馬場さんは挑戦者として大仁田か、同じく海外で修行していた渕正信かのどちらを抜擢するか悩んでいましたが、テリー・ファンクが「実力なら渕だが一発勝負の強さなら大仁田だ。」とプッシュしたのだそうです。
セコンドにもついてくれたテリーの期待に応えた大仁田は見事な勝利で王座奪取、チャンピオンとして日本への凱旋を果たし今度は日本に舞台を移してチャボとのライバル抗争が始まりました。
そして今でも語り草になっているのが同年11月4日、後楽園でのタイトル戦で、この試合は大仁田がジャーマンで勝利したのですが、試合後に大波乱がありました。
負けたチャボが潔く大仁田に握手を求め、腰にベルトを巻いてやろうと背後に回った瞬間、不意打ちのジャーマン! そして勝利者賞の大トロフィーで大仁田を滅多打ちにして何と右腕を32針も縫う大怪我を負わせたのです。

そんな二人が34年の恩讐を超えてタッグを結成、昭和のファンには感慨深いカードでしたが、試合は中盤になって相手チームのケンドー・カシンが突如トロフィーを持ち出し(当時と比べると小さなトロフィーでしたが)チャボを背後から一撃、その罪を大仁田になすりつけるという展開、過去の事件を知っている私他数名は大爆笑でしたが、こんな古いアングル、会場にいる人の99%は理解できませんよ(笑)。
うちの会社の会長室にも以前社内コンペで使ったトロフィーが転がってますので、もし今度チャボが来日したらこれ持って会場に行こっと(笑)。
ファイヤープロレス旗揚げ戦の模様はこちらをクリック

バラエティに富んだ試合が楽しめた今回の上京でしたが、やはり今一番気になっているのがテリーの容態です。
11月開催の全日本プロレスの両国大会にファンクス招聘のプランがあるとも耳にはしましたが、あの高齢で身体にメスを入れたわけですから、冷静に考えるとリングに上がる事は難しいでしょう。例え試合が出来なくてもテリーが元気になってくれれば、私は満足、そして出来る事ならまた元気な姿で日本の土を踏んで欲しいものです。
我々にどんな困難にも絶対に負けない不屈の精神を教えてくれたテリー・ファンク、 映画「シェーン」の有名なラスト・シーン「シェーン、カムバック!」になぞらえて、「テリー!カムバック!!」の言葉で本稿を締めたいと思います。

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昨年にはかつての宿敵同士の対談が実現  多くのファンに勇気を与えてくれたテリー
(昨年11月横浜にて)
 テリーのカムバックを皆が祈っている…
(4月、アメリカにて)
<過去の日記>
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