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社長の経営日誌

孤高の天才 社長の経営日誌 田宮社長が好き勝手に織りなす独白です
 FILE No.464 2016.3.12

「 格闘王の称号(3) 」

(前回からの続き)

アントニオ猪木を語る前田さんの言葉は辛辣ですが、同時にそこにはある種の愛情のようなものを感じます。
前田さん曰く、自分が猪木批判をするのは良いが他人が猪木さんの悪口を言うと頭に来るとの事(笑)「そりゃそうですよ!血縁の息子が言うのはいいんです。それを他人がお前の親父がなんだって言ったらそりゃぶっ殺しますよ!自分の親がどんな駄目人間でも子供が言う分にはいいんだけどそれを他人に言わせたら駄目なんです。他人が親子とわかっていて目の前で言うって事は親の名前にかこつけて俺と言う人間を否定しているのと同じだからね。だから全人生、全人格をかけて怒らなあかん。」

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 猪木引退試合に駆けつけた前田さん(1998年)

猪木さんとの関係を親子に例える前田さんは猪木さんの引退試合(98年4月4日・東京ドーム)には花を持って駆けつけてくれ、リング上で久々に感動の再会が実現しました。
余談ですがこの日は特別ゲストとしてモハメド・アリも来場、前田さんは「アリのサインが貰えないなら行かない。」と駄々をこねていたそうです(笑)。
元々プロレスラーになるつもりはなくアリのジムに行く為に新日本プロレスに入門した前田さんは実に21年目に憧れのご本人との対面が実現、「本当はあなたに弟子入りするつもりだったんですよ。」と嬉しそうに話していたとか…。

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 猪木、前田、感動の再会
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 昭和のファン、感涙の
スリーショットが実現

残念ながら私は都合がつかず会場には行けませんでしたが、2013年の4月、東京で前田さんと藤原組長の師弟によるトークショーが行われ、途中で突如猪木さんが現れるハプニングがありました。
まさかのサプライズに会場は騒然、観に行った知人の報告によると猪木さんが登場する時、前田さんは思わず襟を正したそうです。
少しの間3人によるトークタイムとなり、前田さんが「猪木さんは当時俺にプロレスをどんな格闘技の奴が見てもおかしくないジャンルにすると言ったから俺はその通りにやろうとしたんですよ。」といつもの自己主張をすると横から藤原組長が「うるさい!難しい事を言うな!」とツッコミ、猪木さんは「やっぱりハチャメチャが面白い。一歩はみ出す勇気をね。」
藤原組長の「本当は前田の事嫌いなんでしょ?」の追い打ちにも「前田は可愛いよ。生意気っていいよな。」と終始余裕の対応を見せていたそうです。
猪木さんの出番は正味10分ほどでしたが、退場時には前田さんとがっちり握手&ハグとファンにとっては感涙ものの名場面が実現、ああ、ナマで見たかった!!

さて、そんな前田さんのイベントが昨年からわが関西でスタートしました。
題して「前田日明ゼミIN西宮」、格闘家としてでなく知識人としてのイベントで、毎回テーマを決めてゲストを招き講演を行う、かなりお堅い内容です。
シリーズ全6回の予定で昨年中に3回実施され、この3回目にはあの田原総一朗さんが登場したそうです。
通常のプロレスイベントとは性格が全く違うものなのでプロレス雑誌などにも告知されず、私がこのイベントの存在を知ったのは割と最近の事、ようやく今年なって1月に開催された第4回に参加する事が出来ました。
この回は「日本の議会制民主主義の崩壊 〜立憲デモクラシーとは何か〜」と言うテーマで、ゲストに法政大学教授の山口二郎さんが招かれました。
当日は熱心な100名近いファンが西宮市にあるノボテル甲子園に集まりましたが、このイベント、入場料が2,000円(学生は1,500円)、終了後の懇親会も3,000円(学生は無料!)と言うリーズナブルさ、大体プロレス関連のイベントと言うとぼったくり料金(それでも行く我々 笑)なのに何と良心的な事よ…流石格闘王は太っ腹!
裏話によると田原総一朗氏を呼んだ時はギャラが高すぎて赤字になったと聞きました(第3回と第4回が半年も空いたのはそれが原因か?)。もう少し値上げしてもいいのにとこちらが心配になりますよ。

開始時刻が迫り、当日東京から移動して来たと言う前田さんが会場に現れました。
現役時代と比べるとかなり太ってお腹も出た(こちらも太っ腹 失礼!)ものの全身から立ちこめるオーラは健在で格闘王の風格を感じました。
午後2時にイベント開始、まずは「戦後システムはいかに崩壊したか」と言う山口さんの講演があり、続いての第2部は山口さんと前田さんとの対談、最後は質疑応答の時間が設けられ1〜2人が手を挙げましたが、集まっているのはどう見ても前田さん目当てのプロレスファンが殆ど、こんな難しい話に質問なんて出ませんよ(笑)。

講演会は4時半に終了、さあここからがファンお待ちかねの懇親会です。
前田さんの乾杯で始まったパーティは立食形式で結構食事も充実しており、ぼったくりが多い他のプロレスイベントと違って本当に良心的でした(しつこい!)。

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 83年、ヨーロッパヘビー級王者として凱旋

ファンは皆大名行列を作り前田さんは記念撮影&サインで大忙し、私は秘蔵コレクションであるヨーロッパヘビー級王座のレプリカを持参しました。
前田さんが83年の凱旋帰国時に手土産として持って帰って来たこのベルト、本物は現在新日本プロレスで保管されており、何年か前にイベントで展示された事があります。
ネット通販で知り合った方がアメリカで一本のみ限定で作らせたレプリカが私の手元に届いたのがイベントの直前、間に合うか否かギリギリまで冷や冷やものでした。
前田さんにお見せすると流石の格闘王も目を白黒、「こんなのどこで売ってるの?」「いくらぐらいするの?」と逆に質問攻めに合いました。
33年前、凱旋帰国時のベルトを持ったポーズを再現して頂き、サインも頂けて嬉しかったです。

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ヨーロッパヘビー級のチャンピオンベルト
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33年前を思い出して前田さんとツーショット  裏にはサインを頂きました

一通りファンサービスの列が途切れると皆で前田さんのテーブルを取り囲んで今度は質問タイムの始まり、ようやくここで講演会では聞けなかったプロレス&格闘技の話が聞けました。
「86年の藤波戦は…」などとマニアックに問いかけるファンに前田さんも最初は苦笑して「そんな30年も昔の話覚えてないよ。皆、自分の30年前の事なんて細かく覚えてる?」と言っていましたが次第に舌も滑らかになりエンジン全開、ここでは書けないような話が連発!
「○○は練習しなくて太り過ぎだし、肝っ玉が小さいから全然強くない。」
「××はチキン、あいつとだったら俺が今やっても勝てるよ。」
「△△?遊ばずに真剣にやれば強いんだけどね。」
…伏字にしたままでは読者の皆様に申し訳ないのでヒントを出しておきますので皆さん勝手に推理してください、○○はかつての日本人トップ選手、××は元オリンピックメダリスト、△△は外国人選手(故人)です。

私は改めて「猪木さんとシングルで戦いたかったですか?」と聞いてみましたが、ここでも前田さんはぶれることなく我々が活字で何度も読んだ言葉を繰り返しました。
「俺は猪木さんが目指した格闘技をただひたすら追求して来ただけで、猪木さんと試合をしてそれを試したかっただけだよ。結局周りが心配して実現しなかったんだろうね。」

「UWFでの一年半が何であったかを確かめる為に新日本に来ました。」
前田さんがUWFとして新日本のリングに戻って来た時の言葉に正直当時はピンと来なかったのですが、実に30年が過ぎてその意味がわかったような気がしました。
かつて猪木さんが後継者として期待した前田さん、結局前田さんは自らその道に背を向けて理想の格闘競技の追求に邁進したわけですが、そんな波乱万丈な所もある意味猪木的な生き様で、それが猪木さんに代わって格闘王の称号を得る事になった所以でしょうか。
それにしても歴史にIFはないとは言えあのまま前田さんが新日本プロレスに残っていたらプロレス界の歴史は大きく変わっていた事でしょう。

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 UWF版WWFインター王座を
持って頂きました
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 今回もベルトを持って
ツーショット撮影に成功

イベントは翌月にも第5回が行われ、この日は憲法学者で「報道ステーション」でコメンテーターを務める木村草太さんがゲストでした。
前田さんは講演中に、先頃「日本はアメリカの51番目の州になった方が良い」と発言した某議員を指して「あんな奴は国家反逆罪の売国奴だ。」と過激発言を連発していました(笑)。
この日の私は昨年新間さんのイベントにも持参した(FILE No.453 参照) UWF版のWWFインターナショナルヘビー級ベルトを前田さんにお見せしましたが、 新間さんもわからないと言うこのベルトの本物の行方、前田さんによれば「事務所に空き巣が入り貴重なベルトやガウンを盗まれた事があった」そうです。
ただ、これは前田さんの勘違いで、盗難事件は恐らく新日本時代の事でしょうから、やはり本物が何処にあるかは依然謎のままです…。

イベントは次回が最終回となりますが今から楽しみです(もう持参するベルトはありませんが 笑)。

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