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社長の経営日誌

孤高の天才 社長の経営日誌 田宮社長が好き勝手に織りなす独白です
 FILE No.462 2016.2.27

「 格闘王の称号(1) 」

ちょっと古い話になりますが昨年の10月12日、新日本プロレスの両国大会にスペシャルゲストとして、OBである「格闘王前田日明さんが来場しました。
この日私は昼の全日本プロレス後楽園ホールとのはしご観戦でこちらの方には墨田区のHさんたちも一緒でしたが、前田さんの登場を後で知って「両国に行けば良かった。」と悔やんでいました(笑)。 また後日会った元闘魂猪木塾生も両国では試合そっちのけでリングサイドに座った前田さんばかり注目していたそうで、引退(99年2月)からもう17年にもなるのに、まだまだその根強い人気に驚くばかりです。

現在は不良少年たちを格闘技を通じて更正させる為のアマチュア主体の総合格闘技大会「THE OUTSIDER」をプロデュ−スする前田さんですが、そもそも前田さんが格闘技を始めるきっかけになったのは子供の頃に観た「ウルトラマン」でした。
最終回でウルトラマンが宇宙恐竜ゼットンに敗れるのを目撃してショックを受けた前田少年、自分が大きくなってウルトラマンの敵を討とうと一念発起、少林寺拳法を習い始めたのだそうです。
因みに二年前、「ウルトラマン」のブルーレイBOX発売イベントに前田さんがゲスト出演した時、ステージに乱入したゼットンとの対決が実現!前田さんは実に47年の時を経て子供の頃の誓いを果たしたのでした(笑)。

学生時代は空手に明け暮れ、プロレスには全く興味がなかった前田さんを運命的にプロレス界に導くきっかけを作ったのは、佐山聡(後の初代タイガーマスク)でした。
大阪の前田さんが通う空手道場にたまたま出稽古に来た佐山が社長のアントニオ猪木に「大阪に身体の大きい有望な奴がいる。」と報告、猪木の命を受けてマネージャーの新間寿さんがスカウトにやって来たのです。

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 若手時代、猪木の付き人を務めた前田日明

渡米してアメリカで空手道場を開く人生設計を持っていた前田さんは「うちはモハメド・アリのジムと提携しているから、アリに弟子入りしてヘビー級のボクサーを目指せばいい。でもその前にうちで身体を作ってからいきなさい。デビューしてほんの少し試合をしてくれるだけでいいから。」と言う新間さんの言葉に乗せられて新日本プロレスに入門する事になりました。
練習は厳しかったものの前田さんにとって新日本プロレスですごした時間は「毎日が修学旅行」のような充実した青春時代、但し正式デビュー(1978年8月)を果たしたものの前述のように元々プロレスラーになる気がなく、あくまで渡米が目的だったので入門から一年ほど過ぎた頃新間さんに「そろそろアリのジムに行かせて欲しいんですけど。」と申し出ると「おまえ、まだそんな事言ってるのか?」(笑)

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 前田はゴッチと出会わなければとっくの昔にプロレスを辞めていたと言う…

あっさり夢破れた前田が、それでもプロレスを辞めなかったのは「神様」カール・ゴッチと出会った事が大きな理由でした。
妥協なき強さを求めるゴッチの哲学の下、朝から晩までトレーニングに明け暮れる毎日、そしてそれが生活の全てとなるにつれ前田は純粋に強さを追求するゴッチのプロフェッショナル・レスリングに傾倒していきました。

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 猪木は前田を自分の後継者として期待していた

新日本プロレスは大型の前田を未来のエース候補として期待しており、猪木自身も前田を自分の後継者にと考えていました。
82年にはイギリスへの武者修行に送り出され、翌83年1月にロンドンでウェイン・ブリッジを破りヨーロッパヘビー級王座(WFGP認定)を獲得、この直後に米フロリダに渡り帰国までの二ヶ月半をゴッチの下でトレーニングに明け暮れて12種類のスープレックスを習得した前田はポスト猪木として4月に華々しく凱旋帰国しました。
しかしここから前田は周囲の期待とは裏腹にずるずるとスランプに陥っていきます。
それはゴッチの元で学んだレスリングと、実際にリング上で行われている試合にあまりにもギャップがあったからです。

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 外国人選手の中で唯一
遠慮なしに戦えたアンドレ・ザ・ジャイアント戦

対戦する外国人選手からは危険なキックや投げ技にクレームが付けられ文字通りの手足をもがれた状態、「遠慮せず思い切って蹴って来い。」と男気を見せたのは「大巨人」アンドレ・ザ・ジャイアントぐらいでした。

元々好きで入ったわけではないプロレス界、いっそ足を洗おうかと悩んでいた矢先、大きな転機となる事件が起こりました。
クーデターにより新日本プロレスを追われた新間氏から、猪木の受け皿となる団体UWFへの移籍を打診されたのです。
猪木も後から合流すると言う言葉を信じた前田は新間氏のブッキングでニューヨークMSGでWWFインターナショナルヘビー級王者となり(FILE No.453 参照) 帰国後、若きエースとしてUWFの旗揚げ戦に参加、しかし結局猪木の移籍は幻に終わりその責任をとって新間氏も退陣、ここからUWFは一人歩きを始める事になりました。
そしてこれにより初めて前田は自分が理想とする格闘技としてのプロレスの実験の場を与えられたのです。
いずれもゴッチの教え子である藤原喜明、木戸修、佐山聡らがUWFに移籍して来た事により、サブミッション(関節技)とキックを主体としたUWFスタイルのレスリングが確立され、信者とまで呼ばれる熱狂的なファンが生まれました。
しかしテレビ中継もなく地味なスタイルのUWFは後楽園ホールに集まるマニア層には支持されたものの、東京、大阪以外の地方興行では大苦戦、赤字がかさみ遂に85年の終わりには単独での興行が不可能になりました。

去就が注目されたUWFですが水面下で話し合いが持たれ新日本プロレスとの業務提携が成立、86年から新日本マットへの復帰が正式決定しました。
前田が「UWFでの一年半が何であったかを確かめる為に新日本に来ました。」と有名な台詞を口にしたのは12月6日両国のリング上でしたがもっとも現場は一触即発の波乱含み、何しろこれまでUWFは自分たちのレスリングこそが本物の格闘技であると標榜し、新日本プロレス(及び全日本プロレスも含む)を暗に批判して来たからで、ストロングスタイルの元祖を自負する新日本の選手の一部からは「UWFのやっている事は我々が普段道場でやっている事に過ぎない。彼らは今更どの面下げて戻ってくるのか?戻りたいなら土下座しろ!」との反発の声もあったそうです。

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 新日本とUWFの業務提携
が決定、しかし現場では
反発の声が…

ファンとしては新日本 vs UWFの「本家と元祖のイデオロギー対決」の開戦は大歓迎で年が明けるのが待ちきれない心境でしたが、新春のシリーズのカードには肩透かしを食わされました。
「UWF代表者決定リーグ戦」として、まずUWFの選手同士で二回戦総当たりのリーグ戦を行い(決勝戦は2月5日、大阪城ホール大会)、優勝した代表選手が翌2月6日、両国国 技館で猪木に挑戦する、と発表されたからです。
おまえたちは知名度がないのだからゴールデンタイムの放送でUWF同士で戦ってまず名前を広めろとばかりの上から目線の屈辱的な扱い、しかしマッチメイク権は新日本にあるため従わざるを得ません。恐らくは現場のUWFアレルギーが強くいきなり対抗戦では危険なのでまず様子見と言う事だったのでしょう。
こうして始まった身内同士の過酷なリーグ戦は、前田日明と藤原喜明が大阪での決勝戦に進出、当時私も会場で観戦しましたが、多くのファンは前田が優勝し猪木戦が実現する事を期待していたものの、前田のスリーパーで口から泡を吹きながらも藤原がレッグロックで前田の足を極めギブアップを奪う戦慄のフィニッシュ、こうして藤原が猪木戦を勝ち取ったのです。

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 猪木はUWF代表決定
リーグ戦を勝ち抜いた藤原をスリーパーで沈める

こうして翌日のシリーズ最終戦、両国では新日本とUWFの頂上対決として猪木vs藤原のかつての師弟対決が実現、カール・ゴッチの弟子同士らしく息をもつかせぬサブミッションの攻防となりましたが試合後半、故意か偶然か?猪木の放った蹴りが藤原の急所に命中、藤原は悶絶して苦しむもレフェリーは反則をとらず試合続行、怒った藤原が頭突きの連打に来たところを猪木はナックルパンチのカウンター(*後でスロービデオで検証するとこれはエルボーで反則ではなかった)、完全に戦意を喪失した藤原の背後に回った猪木がスリーパーに捕らえて失神させ完勝しました。

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 試合後、前田は猪木の喉元に怒りのハイキック一閃!

セコンドに着いていた前田は猪木の試合ぶりに激高、試合が決まると同時にリングに乱入して猪木の喉元にハイキックを叩き込み、試合後にはこれもあまりにも有名な名台詞、
「アントニオ猪木なら何をやっても許されるのか!」と叫び、自分が猪木に引導を渡すと宣言したのです。

この流れを受けて次のシリーズの最終戦、3月26日東京体育館のメインとしてファン待望のアントニオ猪木VS前田日明の一騎打ちが電撃決定しました。
UWF誕生の経緯もあり、この二人がシングルで戦えば何が起こるかわからないと言うあまりにも危険な試合を観ようと前売り券は飛ぶように売れましたが、いよいよ世紀の一戦が目前に迫った時、まさかのハプニングが起こりました。
何と、猪木が突然前田との試合を拒否したのです…!

(次回へつづく)
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