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社長の経営日誌

孤高の天才 社長の経営日誌 田宮社長が好き勝手に織りなす独白です
 FILE No.420 2015.4.18

「 運命(1) 」

〜 闘魂vs超獣初対決30周年記念 〜

本日は4月18日、この日付を聞くと走馬燈のように私の頭の中を駆け巡るのが1985年の4月18日、両国国技館で行われた「燃える闘魂」アントニオ猪木と「超獣」ブルーザー・ブロディの「運命的な」初対決です。
当時のプロレスファンが夢にまで見たスーパーマッチの実現からもう30年の月日が流れたのかと思うと感慨深いものがありますが、その頃の時代背景を振り返って見ましょう。

80年代の前半、金曜夜8時のゴールデンタイムで常時20%以上の視聴率を稼ぎ、興行は全国どこへ行っても満員で大盛況と言う一大プロレスブームを巻き起こした新日本プロレスですが、人気No.1のタイガーマスクが83年8月に電撃引退、翌84年9月には長州力が10人以上の選手が引き連れて退団した事により、一気に屋台骨が揺らぎ出しました。
長州軍団は新組織(ジャパンプロレス)を結成して全日本プロレスと業務提携、翌85年から全日本のシリーズに全戦参加する事になりました。つまり事実上全日本に集団移籍したのと同じ事で、これによりマット界の勢力分布図は大きく塗り変わりました。
イケイケの全日本は一気に新日本を潰してマット界を統一すべくさらに攻勢をかけ、年末には新日本の常連外国人だったダイナマイト・キッド&デイビーボーイ・スミスを引き抜きます。

翌85年、両団体の興行成績ははっきりと明暗が分かれました。
長州軍団やキッド&スミスが参戦した全日本のシリーズは全国で人気沸騰、さらに3月にはファンの間で来日が待たれていた未知の強豪、ザ・ロード・ウォリアーズを招聘してますます人気に拍車をかけました。
全日本にとって唯一のハンディは日本テレビの中継番組が土曜日夕方(5時半)であると言う事だけでしたが、時の勢いは恐ろしいもので10月には悲願であったゴールデンタイム粋への移行(土曜日夜7時)に成功したのです。
対照的に大量の選手を失った新日本の興行成績は年明けからガタガタで、特に地方会場では閑古鳥が鳴いていました。
猪木、藤波、坂口と言った主力勢以外は大半が無名の若手選手ばかりですからカードを組むのも一苦労の有様で、生命線であるテレビ朝日のゴールデン粋でのテレビ中継は継続出来ていたものの、この興行不振が続けばいつゴールデンからの降格、最悪の場合は放映打ち切りとなっても不思議ではなく、もしそれが現実となれば崩壊は時間の問題とまで言われていました。
90年代には大スターとなる武藤敬司、橋本真也、蝶野正洋の「闘魂三銃士」もこの頃はまだデビューまもない坊主頭の若手選手にすぎませんでした。
いや、のんびりと新人が育つのを待つような時間的余裕は無く、早急に興行人気を回復させなければならない崖っぷちの状態だったのです。
そんな状況下で新日本は4月18日、両国国技館でのビッグマッチ開催を発表しました。

前年(84年)に老朽化の為に取り壊しとなった蔵前国技館に代わって新装となった両国国技館では先行して3月9日に全日本がプロレスこけら落としを行い、前述のロード・ウォリアーズの初来日、常連のブロディ、長州軍団など豪華キャストの投入により超満員の観衆を集め、ゴールデンタイムでの特番も行われるなど大成功を収めていましたので、後発の新日本としては何としても一矢報いたいところでしたが、問題は両国を満員に出来るカードを組めるかどうかです。
当初、ファンやマスコミの問い合わせに新日本側は非公式に「メインは猪木vs藤波を予定している」と答えていました。
しかしここで唐突に師弟対決を行う必然性は正直あまり感じられず、苦戦必至の印象は否めませんでした。逆に言えばそれ以外に組むカードがないと言う苦しい台所事情を感じさせたのです。
果たして逆転の隠し玉はあるのか? 皆が心配して成り行きを見守っていましたが、新日本は水面下で起死回生の大仕掛けを行なっていたのです!

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 週刊ファイトは世紀の一戦実現を独占スクープ!

両国までちょうどあと一ヶ月となった3月18日、私はいつものように駅の売店で週刊ファイト(廃刊)を購入しました。
この時期になっても未だ両国のカードは正式発表されず(やれやれ、新日本はどうなってしまうのだろう)と胸を痛める毎日でしたが、表紙をめくった瞬間飛び込んできた見出しに腰を抜かしそうになりました。

「4月18日 両国国技館 猪木 vs ブロディ」!!

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 当初の噂の猪木vs藤波は
当て馬で新日本の隠し玉
はこの男!?

犬猿の仲で企業戦争真っ只中の新日本の総帥・猪木と全日本のエース外国人のブロディの試合は絶対にあり得ない超ドリームカード、その夢がある日突然実現!?
ほっぺたをつねりたい心境で、むさぼるように記事を読みました。

内容を要約すると
「新日本が勝負を賭ける両国の目玉カード、新日本が口にしている猪木vs藤波は当て馬で、猪木vsブロディが決定的、新日本はカードの正式発表を3月21日に予定しているが、本紙の取材にブロディ本人は新日本行きを完全否定、猪木社長、坂口副社長にズバリ直撃したものの冗談を言うばかりでノーコメント、しかし新日本関係者は誰一人として肯定はしないが否定もしていない。

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 関係者からは極秘情報が…

海外関係者からは「ブロディは4月に日本に行く」という証言も得られた。
振り返って見ると全日本の前シリーズ(2月22日〜3月14日)に参加したブロディの態度や試合ぶりは明らかにおかしかった(後述)。
あらゆる情報を総合してブロディの新日本移籍は決定的、昨年末にキッド&スミスを引き抜かれた新日本が痛烈なしっぺ返しをしたとしか思えないが…」

他の雑誌や新聞には全く出ていない特ダネで週刊ファイトの独占大スクープでしたが、記事にもあるように確かにこの4日前まで行われていた全日本のシリーズでのブロディは、シリーズ途中で風邪を理由に2日間試合を欠場したりと(流石に仮病とまでは思えないですが)明らかな異変がありました。
シリーズ後半にロード・ウォリアーズが登場するとファンやマスコミの注目が集中し、凄まじいウォリアーズ狂想曲が始まりましたが、ホテルのロビーでウォリアーズの取材を目的として詰めかけたマスコミに対して、ちょうどエレベーターから降りてきたブロディが激高して灰皿を投げつけるハプニングがあったそうです。

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 全日本に来日したブロディには数々の異変が…

また、ブロディは親しい記者に「こんな扱いを受けるなら二度と日本に来ないぜ」とぶちまけたとも伝えられました。

シリーズ最大のヤマ場、3月9日両国大会ではメインに鶴田、天龍vsロード・ウォリアーズ、セミファイナルに長州とブロディのタッグ対決がマッチメイクされましたが、この試合でブロディは長州に対し、暗黙のルールぎりぎりと言って良い凄まじい喧嘩ファイトを仕掛け、長州の持ち味を全く発揮させませんでした。

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 ブロディは長州に対し
最初からケンカ腰

その試合ぶりは相手の長州だけでなく、メインに出場するウォリアーズをもかすませるほどのど迫力で、どちらの試合がメインに相応しいかを知らしめようとしていたのは明らかでした。

ブロディ新日本行きの状況証拠は揃っているものの、当時の週刊ファイト編集長の井上義啓氏(故人)はすっぱ抜くか否か、締切ぎりぎりまで悩みに悩んだそうです。
ブロディ本人や新日本関係者が口を割らない以上、勇み足による誤報に終わったら大問題となるからですが、その井上編集長がブロディ移籍間違いなし!と報道に踏み切ったのはシリーズ最終戦(3月14日)の名古屋大会でブロディが試合途中で突如試合を放棄、そのまま控え室に帰ってしまったとの一報を受けたからでした。

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 WHY?ブロディは最終戦で謎の試合放棄
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 一週間後、「運命」の
メロディに乗って…
超獣が新日本マットに!

実はアメリカでもダブルクロスの常習犯のブロディは、あるテリトリーを出て行く時に最後の試合で全く同じ試合放棄をやっていたのです。

ファイト発売3日後の3月21日、後楽園ホールで新日本のシリーズ最終戦が行われました。
ブロディがやって来る事を信じて疑わないファンが集まり、これまでの不振が嘘のように会場は熱気ムンムンの超満員、そして集まったファンの期待通りメインの猪木の試合の前に突然館内が真っ暗になり、スポットライトに照らされた先にはスーツ姿のブロディの姿が!
館内はブロディ・コールが大爆発、大ピンチで瀕死の状態だった新日本にとっては救世主の降臨そのもので、その姿は神々しくさえ映ったものです。

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 猪木とブロディの激しい
視殺戦

このブロディ初登場時に会場で流れたのはベートーベンの交響曲第5番「運命」でした。実はこの選曲は猪木さんの発案で、猪木と極めて親しい間柄の東京スポーツの永島勝司記者によると前日、電話での会話の中で生まれたのだそうです。
「いよいよ(明日は)ブロディですね。」
「うん、新日本も色々あったからね、俺もこれから彼とどんな試合になるか、まだ見当もつかないよ。」
「とは言ってもまだ安心できないよ。ブロディは何かと問題のある選手だから…。」

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 背筋がゾクゾクするような名勝負の予感が漂う…

「わかっているよ。でもこれは俺にとっても彼にとっても運命的なものだよ。 ところでさ、ブロディの入場する時の音楽なんだけど何かアイディアないかよ?」
「う〜ん、ちょっと待ってよ、今社長(猪木)、なんて言った?運命的なもの?」
「おっ、それだ!ベートーベンの運命だ!早速手配させてみる。これはイケるぜ。」
30年が過ぎた今でも、ブロディ初登場と言えば「運命」のメロディが脳裏に蘇るファンは多いはずで、この選曲をした猪木さんの感性には脱帽です。

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 嵐のように立ち去る
ブロディ

もっとも猪木さんの頭の中ではもっと大きくて激しい「ジャジャジャジャ〜ン!」と言うイントロがイメージされていたようで、実際会場で流れたレコードの曲には肩透かしだったそうですが…。 準備期間と予算があればオーケストラによる生演奏と言う手もありましたが…後楽園ホールのスペースでは無理な相談ですね(笑)。

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 翌日、会見に臨んだ
ブロディ

リングに上がったブロディは猪木と対峙してバチバチと火花がスパークするような凄まじい視殺戦を展開、緊迫感たっぷりの最高の名場面が生まれました。
「愛し合う男と女は運命の赤い糸で左手の小指同士が繋がれているという赤い糸伝説、猪木とブロディも戦いの赤い糸で結ばれていたのでしょうか!」
古館伊知郎アナが二人が戦う度に聞かせてくれた名調子が懐かしいです。
両国での猪木vsブロディが正式発表され、翌22日、会見を開いたブロディは、「イノキの目にバーニング・スピリットを見た」との名言を吐きました。

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 「イノキの目にバーニングスピリットを見た」の名言が…

不振にあえぐ新日本は戦力補強の為、前年末に渡米した取締役の山本小鉄(故人)がハワイでブロディと接触、口説き落とす事に成功したのですが、6年間も全日本の外国人エースを務めたブロディが最終的に移籍を決めた理由は何だったのでしょうか?
誰もがすぐにギャランティの問題と思うでしょうが、ブロディの夫人であるバーバラさんの証言によれば、金銭的な条件は全日本も新日本も大差はなかったそうです。
ブロディにとってお金以上に大切なのが、自分こそがナンバーワンだというプライドであり、自分がいながら長州やロード・ウォリアーズと言った新しいタレントを採用し優遇するようになった全日本の体制に不信感が募っていた時に新日本から誘われて心が動いたのでしょう。

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 会見には自ら魂と呼ぶ
チェーンを持参、しかし
これが後にトラブルの
元凶に…!?

一説によると初来日のウォリアーズの一人一人のギャラは全日本で6年戦ってきたブロディと同額、あるいはそれを上回ったと言われており、その事は決定的にブロディのプライドを傷つけました。
ブロディは本国アメリカでもWWF(現WWE)のようなメジャー団体に束縛される事を嫌い、インディペンデント(独立小団体)をフリーランスで渡り歩き、ヘルプする事に無償の喜びを感じていました。
「俺は客の入らないテリトリーが好きなんだ。俺が初来日(79年1月)した当時の全日本は正直言って、客はそんなに入っていなかった。
そして今の新日本を見ろ。前ほどの勢いはない。俺が移る事によって新日本が少しでもアップすればそれはそれで良いことじゃないか。あの猪木の目をもっと生き生きさせるのは、どうやら俺しかいないようだな…」
このブロディの高すぎる自尊心が後に様々なトラブルを生む事になるのですが、両国大会の前人気は空前の盛り上がりで、運命の決戦当日を迎える事となったのです…。

(次回へつづく)
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