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社長の経営日誌

 FILE No.274 2012.5.19
「 巌流島 」

「石垣島」(FILE No.262参照)に続く「島」シリーズ第2弾!
5月5日子供の日に、山口県は下関市にある巌流島に行って来ました!

巌流島は正式名称を船島(ふなしま)と言う、関門海峡に浮かぶ小さな島です。
慶弔17年(1612年)に宮本武蔵と佐々木小次郎が戦った、俗に言う「巌流島の決闘」は歴史上有名ですが、今年はその400周年に当たる年で島では様々なイベントが行われ、その一環としてこの日、プロレス興行が実現したのです。
…と言う事は今回も(四週連続)形を変えたプロレス会場紹介シリーズだ?(笑)

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 巌流島で戦ったアントニオ
猪木とマサ斉藤

1987年10月4日、この巌流島にリングを組み、観客を一人も入れずにアントニオ猪木とマサ斉藤の究極の死闘が行われました。(2時間5分14秒、斉藤の戦意喪失で猪木が勝利) 当時その試合を観て(無観客試合なので当然テレビ観戦)いつか自分も巌流島に行きたいと思っていましたが25年目にやっと念願が叶いました。

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 歴史の一頁として島の年表
にも記されていました
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 巌流島木碑

今回は「魔法の針治療師」佐野先生を誘っての旅行で、朝9時34分に新神戸駅から新幹線さくら号に乗り込みました。いつも診療所では時間が無くてゆっくり喋れないので、道中はプロレスの話、治療の話で盛り上がりました。
11時37分に新下関着、新幹線の乗車駅だというのに駅周辺は食事をする所もあまりありませんでしたが、小さな食堂で軽く腹ごしらえしてタクシーで唐戸桟橋へ。
ここから船でいよいよ巌流島へと渡ります。
乗船時間は10分足らずですが船内のスピーカーからは巌流島の概要や歴史についてのアナウンスがあり、その時に何と!「1987年にはプロレスラーのアントニオ猪木とマサ斉藤が試合を行い…」と流れたのですよ! いや〜、これには感激しましたねえ〜。 島内にある年表の置物にもしっかりとこの試合の事が記されていましたし、今や猪木−斉藤戦は武蔵−小次郎戦と並ぶ伝説になっているんですね!

ようやく島に上陸、とうとう実現した夢に興奮冷めやらぬままあちこちを探索しました。
400年前と比べると人口埋め立てによって島の大きさそのものが5〜6倍になっているので武蔵と小次郎が戦った浜辺がどこだったのか、見当もつきません。

…と言うか歴史にも詳しい佐野先生によれば実際には二人は戦っていない(武蔵が小次郎の船を沈めて島に取り残し餓死させた)という説が最有力だそうです。

この日の島内は一大イベントとあって多くの人が上陸し、露店が立ち並び、太鼓は鳴るわ、コンサートがあるわと非常に賑やかな空間でした。
87年当時の巌流島は全く何もない無人島で、マスコミと関係者だけが見守る中、猪木と斉藤はただ一心不乱に戦い続けました。戦いは夜にもつれ込み、かがり火が焚かれる幻想的なムードの中での血闘でした。
どうもその印象が強すぎるので、この日のほのぼのとした雰囲気はあまりにもギャップが(笑)…。
因みに島の半分以上の土地は現在、民間企業(三菱重工)の私有地となっており当時リングを作った場所は柵で覆われて草木が生い茂って立ち入りができません。
欲を言えば何も無い巌流島でリングがあった場所に一人佇んでみたかったものです。
やはりもっと早く来ればよかった…。

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 巌流島にレジェンドが集結

今回の試合は多目的広場にリングが設置されて行われました。
試合に出場したのは、藤波辰爾、下関市出身の初代タイガーマスク、同じく山口県出身の長州力ら昭和のレジェンドたちです。
この日は天候にも恵まれ、炎天下のリングで熱戦が続きました。(→こちらをクリック

興行は夕方に終了、まだまだ名残惜しかったものの船で島を後にしました。
船着場から再びタクシーに乗ると旅館はすぐです。
この日の宿泊先は「みもすそ川別館」(http://www.urban.ne.jp/home/mimosuso/)という老舗の有名旅館、そしてこの宿こそ、巌流島決戦前夜に猪木さんが宿泊した場所なのです! しかも嬉しいことに猪木さんが泊まった部屋、「金天の間」のブッキングに成功! 実は今回は下関出身で当時の巌流島の仕掛け人である、私の家のご近所の上井文彦さん(元新日本プロレス取締役)に試合チケットや旅館の手配と大変ご尽力頂きました(有難う御座います。)

決戦当日の猪木さんは実は40℃近い熱があったのです。
しかもこの頃の猪木さんは副業の失敗による莫大な借金地獄に苦しみ、後に発覚した事ですが巌流島の二日前には倍賞美津子との離婚届けを役所に提出していました。
点滴で熱は2℃だけ下がったものの、心身ともにぼろぼろの状態で島に渡り極限の戦いを繰り広げたのです。

自分の生き様を全てリング上でさらけ出すのが猪木プロレスの真骨頂ですが、巌流島はまさしくその典型でした。
2時間の激闘で額からは流血、全身は草むらによる切り傷だらけ、そのうえ肩を脱臼した状態で宿に運ばれてきた猪木さんは部屋に大量の氷を運ばせ氷風呂に突入しました。
女将さんの証言では宿にある氷だけではとても足りず、近くの下関グランドホテルからも運んでもらうなど大騒動だったとか…。
荒療治を終えた猪木さんはそのまま大分にある治療所に向かったそうです。

そこで、折角同じ部屋に泊まったのだからと私めもコンビニで買ってきたロックアイスを風呂桶にぶち込み伝説の氷風呂の再現(笑)。
少し不安でしたが医者が一緒なので万一何かあっても大丈夫だろうと高を括り冷たい氷風呂に突入! いや〜、気持ちいいし心が引き締まる…。
しかし伝説の再現にはあまりにも氷の量が少なかったので物足らず、翌朝改めて挑戦すべく女将さんにお願いしたらトロ箱一杯の氷を届けてくれました。
ついでに夕べの食事の時の白ワインも残っていたので一緒に入れて、ワイン氷風呂が出来上がりました。
バカな奴だと笑われそうですが、心身ともに極限状態で死闘を演じ氷風呂に沈んだ猪木さんの心境を思うと笑い事じゃないですよ!
ゆとり教育に毒された心の弱いそこのあなた(君の事だよ、○○くん!)氷風呂に入って精神を鍛え直す事をお勧めします…。

話が前後しましたが、宿についての食事はふく(下関では福に因んでふぐではなく、ふくと言うそうです)のコース料理、みもすそ川別館はテレビでも紹介されるほどのふく料理の有名店です。 お刺身、天ぷら、てっちり、最後は勿論雑炊と半端じゃないほど美味なフルコースを堪能致しました。 包材屋の分際で(笑)こんな贅沢をしていいのでしょうか…。

翌日は旅館のすぐ目の前にあるみもすそ川公園にずらりと並ぶ長州砲(長州と言えば、腕鉄砲水リキラリアット?)を見学、ロープウエイで火の山公園へ。
ここの展望台からは遠くに巌流島が見えます。

87年この場所から巌流島を観た藤波さんは同行した上井さんに「あそこで長州と試合がしたい。」と話しました。
そう、実は巌流島決戦は元々藤波選手のアイディアだったのです!
巌流島は藤波選手の出身地である大分と、長州選手の出身地である山口県徳山市(現・周南市)の丁度中間地点に当たり、話題になると思った上井さんはすぐにこの案を会社に話しましたが、猪木さんの鶴の一声で猪木さん自身が出陣する事になったのです。
テレビ視聴率(ゴールデンタイムに特番で放送された)、話題性なども考慮した猪木さんの判断は正しかったと思いますが…藤波さんにはショックだったでしょうし「それ以来、猪木さんと藤波さんの仲はおかしくなった。」との関係者の証言もあります。
つまり、今回の巌流島での藤波−長州戦は幻に終わった25年前の決着戦でもあったんですね。う〜ん、何と言うロマンでしょう・・・。

火の山ロープウェイを後にした我々は、海底にある関門トンネルを渡って北九州の門司港へ。海の底をたったの15分ほど歩いただけで北九州側に出るのですから不思議なものですが、はね橋が開くのを見学して、木造の門司港駅から電車で小倉まで出てそこから新幹線で帰りました。
悪い事にこの日(5月6日)はGWの最終日、新幹線は超満員でしたが幸いにも座る事ができて助かりました。

夢とロマンに溢れた今回の旅行、大量の写真はとても捌ききれませんのでアルバムにまとめました。ダイジェストとしてお楽しみ下さい(→こちらをクリック)。
ふぐだけに目に毒かもしれませんが、豪華料理の写真を観ながらパソコンの前でお茶漬けをご賞味下さい(笑)。美しい?私めの入浴シーンもあり、これこそ目の毒だ(笑)!?

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