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社長の経営日誌

 FILE No.266 2012.3.24
「 鉄の爪一家の悲劇(2) 」

(前回からの続き)

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 次男ケビン(左)、
四男ケリーのフィギュア

兄弟の相次ぐ死によりエリック兄弟は次男のケビンと四男のケリーの二人だけになってしまいました。
切断した右足の痛みに耐えながら義足でリングに上がっていたケリーは痛みを和らげる目的でコカインを常用するようになりしだいに中毒になっていきました。
そして93年2月、とうとうコカインの不法所持から実刑を伴った有罪判決が確定、その直後にテキサス州デイトンの自宅でピストルによって自らの命を絶ってしまいます(享年33歳)。

こうして全員が世界王者となるという輝かしい未来が約束されていたはずのエリック兄弟はケビンを除いて全員が天に召されたのです。
「鉄の爪」と呼ばれて一世を風靡した男は、どうして「鉄の心」を息子たちに授ける事ができなかったのでしょうか?
傷心のフリッツはダラスでのプロモート業から完全撤退、晩年には愛妻であったドリス夫人とも離婚し寂しい隠居生活を送っていましたが97年9月、肺がんによって68年の波乱の生涯を終え5人の息子の待つ天国へ旅立ちました。

亡くなる一年前の夏、フリッツは日本の雑誌の特派員の取材に応じていました。
結果としてこれがファンに対する最後のメッセージとなってしまいましたが、一連の悲劇についてフリッツは気丈にこう答えています。
「確かに息子たちの相次ぐ死はショックだったが、私は現実に目を背けるような生き方だけはしたくなかった。運命は運命としてね…。
ただ、デビッドとケリーが生きていたらダラスのプロレスももう少しいい時代が続いたと思う。デビッドが世界王者として全米をサーキットし、ケビン、ケリー、マイク、クリスがダラスのマーケットを守る。その夢だけは果たせる自信があったんだが…。」

たった一人だけ生き残ったケビンもプロレス界からフェードアウトし、こうして鉄の爪一家はプロレス界の伝説となったのです。

まだフリッツが在命だった96年、かつてフリッツの下でテレビ中継アナウンサーを勤めていたビル・マーサー氏がダラスの新聞の取材に答えました。
マーサー氏によれば後の悲劇はそもそもフリッツとドリス夫人の結婚が遠因と言うのです。
「2人は1950年、フリッツが20歳、ドリスが17歳の時に結婚しました。
当時大学のフットボールの花形選手だったフリッツがまだ高校生だったドリスを見初めて、今で言う駆け落ちで強引に結婚してしまったのです。どちらの両親も大反対、しかし既にドリスは子供を宿していた。それが59年に感電死した長男のジャックだったのです。」
また、84年に日本で亡くなった三男デビッドについても衝撃的な事実が語られました。
「日本では内臓疾患とあいまいに報道されたそうですが、日本の警察から送られてきた報告によると使用していたドラッグの副作用による死でした。
フリッツの犯した大きなミステイクは『デビッドは日本での第一戦で心臓麻痺を起こした。』とファンに嘘をついた事です。
デビッドが日本でツアーに入る前に急死した事はこちらの報道で皆知ってましたから。
この嘘によって今までエリック一家を支持していたファンが一斉に疑惑の目を向けるようになったのです。」

マーサー氏は85年10月に退職しましたがその直前にはこんなエピソードもあったそうです。
「85年8月、イスラエルへの遠征で瀕死の重傷を負った五男マイクが体重65kgまでやせ細ってしまったのに、フリッツは強引にステロイド注射を命令して10月4日のコットン・ボウル大会に間に合わせようとしました。
私はフリッツの本性を見てしまった気がして怖くなりました。
87年にマイクが自殺した時、私は残る三人も同様の死を迎える予感がしましたが本当にクリス、ケリーまでもが自ら命を絶ってしまいました。
今はどうか残ったケビンだけでも神様が守ってくださるようにと祈る気持ちです。」

鉄の爪一家を襲った数々の悲劇から長い時間が過ぎた2009年、ファンには嬉しい知らせが届きました。
フリッツとエリック兄弟全員が、世界最大のプロレス団体WWEの殿堂入りを果たしたのです。
天国のフリッツと兄弟たちに代わってたった一人生き残ったケビン・フォン・エリックが実に久しぶりに公の場に現れ、一家を代表して表彰を受けました。

そして今年、ケビンの二人の息子、ロス・フォン・エリック(23歳)とマーシャル・フォン・エリック(19歳)がプロレスラーになる為、日本のプロレスリング・ノアに練習生として入団する事になりました。
ケビンの息子、つまり鉄の爪の孫に当たる二人はその血筋の良さから将来に大きな期待がかけられています。
二人の入団会見に付き添う為、父ケビンも実に24年ぶりに日本にやって来ました。
今年で55歳になるというケビンは明るい表情でインタビュ―に応じました。
「日本に帰って来る事ができて嬉しいよ。息子たちがノアに入る事になったが彼らには私と弟のタッグのようになって欲しい。
(貴方のお父さんも偉大なレスラーでしたがプレッシャーはありましたか?)
みんなそう言うけどそれはなかった。レスラーになったのは自分の意志だったし、父のようになりたいと思っていたんだ。父をいつも誇りに思っていたし、何か目指したいものがあればそれを好きにならなければいけない。私たちにとってそれは父だったんだ。父も私たちにプレッシャーをかけるような事はしなかったよ。
(兄弟の相次ぐ死について)
みんな恐れて私に聞いてこなかったけどこれだけは言える。ネガティブに捉えた事はないんだ。
弟たちは本当に素晴らしい人間ばかりで私たちの絆は本当に強かった。
若くして亡くなってしまったのは確かに悲しいけど短い人生を精一杯生きたからね。
父だってそうだ。いい思い出しかないから父にも弟たちにも感謝の思いしかないんだ。
呪われた一家と呼ばれた事も勿論知っていたし、直接言われた事もあるよ。
だけど私たちが呪われていたなんて思った事はない。
プロレスは危険な仕事なんだ。マイクは肩を手術した直後に猛暑の中で戦った事もある。だけどこの仕事は私たちが自分の意志で選んだんだからどんな運命になろうと泣くわけにはいかない。人生はいい事もあれば悪い事もある。私たちはこの仕事に全力を尽くした。
ある記者に言われた事もあるよ。『次は君(が死ぬ番)じゃないの?怖くないの?』ってね。だけど怖くなんかないよ。私たちは悲劇の一家でもなんでもない。
私だっていつかは死ぬ。それがいつかなんて誰にもわからないけど、天命を全うしてあの世に行ったらまた父や弟たちに会える。そうしたらそこでまたタッグを復活させるのさ。
色々な事があったけど、今は本当に幸せだと思っている自分がここにいる。」

父親や兄弟への畏敬の念を忘れず数々の苦難を乗り越えて前向きに生きるケビンの言葉に深い感動を覚えました。
ケビンの息子たちは希望に胸を膨らませてデビューを目指しトレーニングに励んでいます。そこには暗い陰などみじんも感じられず、呪われた一家の汚名はもう遠い過去の伝説となった事を印象づけました。
第三世代の手による鉄の爪王国の再建はそんなに遠くない事でしょう。

参考文献
 月刊(週刊)ゴング (日本スポーツ出版社)
 週刊プロレス   (ベースボールマガジン社)
 格闘技&プロレス 迷宮ファイル(芸文社)
<過去の日記>
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