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社長の経営日誌

2010.10.9
FILE No.192
「 沖縄出張(1) 」
 200回までM8 

9月27〜29日まで、流通システム研究会で沖縄に行って来ました。

実は私、9月末は色々とハードで25日には日帰りで東京で、そして翌26日も神戸ワールド記念ホールと連戦でのプロレス観戦でした。
日帰りの東京も結構くたびれますが、神戸大会は行きつけの鍼灸院の佐野先生(FILE No.185「針の穴」参照)や診療所のスタッフや患者さんたちと一緒に行く恒例行事の為、欠かせません。
東京 → 神戸 → 沖縄とプロレスラーの地方巡業並みの私に佐野先生も「大丈夫ですかあ?」と(半分呆れて)心配してくださいました。

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沖縄の青い空と海

そんなわけで無事、まだまだ暑い沖縄の地に辿り着いたのでした。
到着して早速、会議(今回は年に一度の定時総会)をこなし、夜の懇親会はホテルからタクシーで15分ほどの松風苑(www.syofuen.jp)と言う、素晴らしい庭園のある料亭で食事をさせて頂きました。

ほろ酔い気分(私は連戦の疲れからお酒は控え目にしました。)での帰りのタクシーで、今回の出張での最大のハプニングは起こりました。
私は田井屋の田井社長と同乗したのですが、その田井さんが突如、衝撃的な事を口にしたのです。
「女将さんに聞いたんですけど、今のお店、ウルトラマンを創った人の実家らしいですよ…。」

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現在、資料館となっている
金城哲夫氏の仕事部屋
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在りし日の金城氏のパネル
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貴重な資料やグッズが
展示されていました

初期のウルトラシリーズの企画立案に関わってメインのシナリオライターを務めた金城哲夫(きんじょう てつお)(*)、彼は多くの名作、異色作を残して若くして命を落としました。


その金城氏は沖縄出身で今も彼が地元で使っていた仕事部屋は資料館として残されていて、年に何人ものファンが訪れて来るそうです。
その資料館の模様は、ほんの数週間前にテレビの特集番組でオンエアされていたのですが、ま、まさか、たった今食事をしていた場所がそこだったなんて!?
話を聞いていたタクシーの運転手も「その通りですよ。」と詳しく教えてくれ、田井さんに女将さんの名詞を見せてもらったら確かに金城さんでした。(後で確認したら姪に当たるそうです。)
あまりの驚きにすっかり頭がパニックになり、なんで食事中にその話を教えてくれないのかと散々田井さんを責めた私は、いったんホテルで田井さんだけを降ろすと同じ車で松風苑にとんぼ帰りし、お願いして庭園の一角にある資料館を見学させて頂きました。
当時の資料やグッズが所狭しと飾ってある様はまさにテレビで見た通りでした。
案内してくれた支配人さん(金城氏の甥っ子さんだそうです。)によると、年に30人ぐらいのファンがここを訪ねてくるそうです。

興奮冷めやらぬままホテルに帰りましたが、全く偶然とは凄いものです。
テレビでドキュメントを見たその直後にやって来た沖縄で、たまたま食事に行ったお店が行きたかった場所だったなんて…。
勿論お店を予約した段階ではそんな事知る由もありません。(因みに、このお店をたまたま発見したのは田井屋の竹中本部長、ナイスジョブです!)
思えば帰りのタクシーで田井さんと乗り合わせなければ私は何も知らず沖縄を去ったか もしれませんし、何か運命的なものを感じました。
タクシー内でさんざん文句を言っておいて何ですが(笑)田井社長有り難う御座います!

まだまだ続く沖縄編Part2は次回にて!



*金城哲夫
1938年、沖縄県出身の脚本家。
63年に円谷プロダクションに入社し、「ウルトラQ」「ウルトラマン」「ウルトラセブン」などの企画立案、メインのシナリオライターを担当し才能を開花させ、数々の傑作を生み出す。
69年に退社し故郷、沖縄に帰郷後は沖縄海洋博のプロデュースを任される。
76年、泥酔した状態で自宅の仕事場(松風苑の敷地内にあり、現在は資料館)に入ろうとして階段から転落死した。 享年37歳。
(次回へつづく)
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