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社長の経営日誌

2010.6.26
FILE No.177
「 格闘技世界一決定戦(1) 」

このブログの更新日は6月26日、しかも土曜日…、6月26日土曜日と言えば今から34年前の1976年に、アントニオ猪木とモハメド・アリの格闘技世界一決定戦が行われた記念すべき日です。
と言っても今の若い人は知らないだろうなあ…。モハメド・アリ(本名カシアス・クレイ)は20世紀で最強と言われたアメリカのボクシング世界ヘビー級のチャンピオンでそのボクシング・スタイルは「蝶のように舞い、蜂のように刺す」と形容されました。
現役のボクシングの世界王者が日本のプロレスラーと戦うという前代未聞の試合は何故実現したのでしょうか?

「100万ドルの賞金を用意するが、東洋人で誰かこのオレに挑戦する奴はいないか?相手はレスラーでも何でもいいぞ。」
ほら吹きクレイの異名を持つアリがリップサービスで言ったジョークが、新聞のコラムに掲載されたのが全ての始まりでした。
これを真剣に受け止め名乗りを挙げたのがアントニオ猪木だったのです。
マレーシアでの防衛戦を前に日本に一泊したアリの記者会見に新日本プロレスの関係者が現れ、アリに直接応戦状を手渡しました。
アリは「イノキ? WHO(誰だ)?」と言ったもののまたまたビッグマウスで「エブリタイムOK、レスリングで勝負してやる。」と言い放ちました。
勿論これもパフォーマンスで、アリ陣営は本気でやる気などなくその後は音信不通となりました。
「冗談じゃない! 男が公の場でやると言ったじゃないか!何が世界のアリだ!」とばかりに猪木陣営はアメリカ、ヨーロッパと世界中のマスコミに働きかけてアリを追い掛け回します。
とうとう逃げ切れなくなったアリ陣営は試合実現の為の交渉のテーブルに着きますが、ここでアリ側が要求してきた試合のギャランティはなんと1000万ドル(当時のレートで30億円)という途方も無い金額でした。
しかし不可能を可能にする為、あらゆるリスクを背負う覚悟だった猪木はとうとう試合の正式調印にこぎつけます。(アリのギャランティは最終的に610万ドル=18億円にて合意)

調印式の模様は「水曜スペシャル」で生中継されました。
試合でもない調印式がゴールデンタイムに特番で放送されたのですから、いかにこの試合が注目されていたかわかって頂けると思います。
今でも覚えているのですが、番組内でレポーターが「世紀の一戦、どっちが勝つ?」と街の声を拾うシーンがあり殆どの人が「アリの勝ち」と答えていました。
(何だよこいつら、日本人のくせに猪木を応援しろよこの非国民め。)と子供心にいらいらしたものです。

そしてとうとうやって来た6月26日土曜日、日本武道館で行われた試合はアメリカでゴールデンタイムに放送する関係上、正午からという異例の時間に開始されました。生中継を見るため私も小学校が終わると一目散に走って帰ったものです。
昼間の放送で38.8%という驚異的な高視聴率を上げ、ビデオがまだない時代でしたので夜にも再放送が行われました。
そして日本、アメリカだけでなくこの試合は、なんと全世界37ヶ国で放送されたのです。果たして地球上のどれだけの数の人がこの「20世紀最大のスーパーファイト」を目撃したのでしょうか?

アリ陣営はプロレス技の殆どが使えない、文字通りがんじがらめのルールを要求して来た為、猪木は試合時間の大半を寝転がった状態でキックを放つ戦法しか使えず、試合は15ラウンドを戦い抜いてのドローに終わりました。
不完全燃焼の結果に世界中のマスメディアはこれまでと一転して「世紀の茶番劇」「世界中に笑われた猪木・アリ戦」と叩きまくりました。
莫大な借金、圧倒的に不利なルール、そして試合後の世界中からの非難、全てのリスクを受け入れて猪木は絶対に不可能な夢を実現したのです。

「スリルと殺気に満ちたルール内での究極の真剣勝負」とこの試合が正当な評価を受けるようになるまで、長い年月がかかりました。
そして命がけで戦った猪木とアリには深い友情が芽生え、アリは猪木に自分のテーマ曲をプレゼントしました。
そう、イノキ・ボンバイエ!の掛け声で始まるあまりにも有名な猪木のテーマ「炎のファイター」は元々、アリ・ボンバイエ!と叫ぶアリのテーマだったのです。

今や20世紀の伝説として語り継がれる猪木−アリ戦、あれから34年の月日が流れましたが今も目を瞑ると世界中が沸きかえったあの当時の興奮が脳裏に甦るようです…。

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