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社長の日誌

社長の経営日誌

2010.5.1
FILE No.159
「 社長10年史 」
 
Part1 ターニング・ポイント

私が社長に就任した日、5月1日が今年もやってきました。(FILE NO.013 「5月1日」参照)
早いもので今年私は、社長就任10周年を迎えました。
まさしく悪夢の、暗黒の10年ですが過ぎてみればあっという間でした。
普段はあまり過去を振り返るような事はないのですが、10年を一つの節目としてこれまでの事を書きとめておきたい衝動に駆られました。
人や会社に歴史あり、社員はもとよりお取引先なども随分と人が変わっていますのでこの機会に10年の軌跡を知ってもらうのも良いでしょう。
但しかなりの長編となりますので当面、短期集中連載として週三回程度更新していくつもりです。

 
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
 

93年5月にタミヤに入社した私は、仕入、営業、京都営業所などいくつかの部門を経験しましたが、この時代はまだまだバブルの余韻が残っていて、会社の売り上げの伸びも止まる事はありませんでした。
しかし売り上げは上がっているものの、利益に乏しく決算をすると殆ど手元に残るものはないという状況だったようです。
既存のお得意先が黙っていても右肩上がりだったおかげで、営業は決まった得意先のみを訪問する御用聞きスタイルで、新規開拓は決まった人たち(私も所属した開発部という部署があった。)がするので自分たちはしなくても良いという風潮があり、営業は弱体化していました。
しかも得意先の言う事を何でも引き受けて来るべきと言うような間違った顧客第一主義が定着していて在庫は物凄い量に膨らみ、不良在庫の金額も半端なものではありませんでした。

安売り、赤字販売も横行し垂れ流されたままでした。
売り上げこそが全てを癒すという典型的な売り上げ至上主義体質になっていたのです。
主力得意先であるスーパー業界の伸びとともに売り上げ拡大が続く時代が長かったので、その状況が半永久的に続くという錯覚があったのかもしれません。
もし歯車が狂い売り上げが下がり始めたら大変な事になる、何とかこの赤字体質から脱却しなければならないと漫然と危機感を感じていました。

世の中の景気からは少しずれているかもしれませんが、95〜96年頃が我が業界のバブルの頂点、当社の売り上げもピークに達しました。
我々の仕事は毎年12月が一年で一番の繁忙期です。
確か95年の12月だったと思いますが、年末の仕事納めの日に12月の売り上げが確定し、過去最高の数字となりました。
当時まだ私は一介の社員に過ぎませんでしたが、「タミヤ始まって以来、最高の売り上げだ♪」と上層部の面々がお祭り騒ぎをしていたのを覚えています。
誰もがこの後に冬、いや氷河期がやって来る事に気がついていませんでした。
その時にはしゃいでいたメンバーも十年後には大半が姿を消す事になるわけで十年一昔とはよく言ったものです。

タミヤのターニング・ポイントとなったのは97年でした。
この年、創業社長であった私の父、田宮一成は社長から会長になり社長のポストをそれまで専務だった番頭に譲ります。当時体調が悪かったのも原因でしょう。
しかし、この社長交代は最大のミステークでした。
新社長は、得意先を酒やゴルフで接待する事が得意な典型的な古き良き時代の営業マンタイプで、経営能力やコスト意識は全くないタイプだったからです。
朝令暮改がひどく社員で支持する人も誰もいませんでした。
そして当人がその事を理解せずに社長になった事が悲劇を招く事になります。

そしてもう一つ、この97年には大きな試練がありました。
当時、当社の売り上げの第二位を占めていた大口の得意先との取引が終了したのです。

製造メーカーが問屋機能を持った事によって当社を外してユーザーと直接取引をする事になったのがその理由です。
当時の当社の上層部とメーカー、ユーザーの間でどんな話し合いがあったかは私にはよくわかりませんが、何でも「ユーザー・チョイス」の一言で済ますこの業界、泣き寝入りで終わった事は容易に想像できました。

売り上げの10%もの数字を占める得意先が無くなり時を同じくして日本経済もバブルが崩壊して本格的なデフレに突入、坂道を転がるように当社も低迷期に突入して行きました。

 
(5月6日更新分に続く)
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